ボンベイのサファイヤについて。【その1 ジン編】

さあさあ今日は前回のお約束どおり、私の大好きなジン、「ボンベイ・サファイヤ」についてのお話である。
しかしながら。
ボンベイ・サファイヤのことを知るためには、まずはジンのことを知る必要がある。
あー、そこのあなた、そこから始めるのかい、とか言わない言わない。
だって、改めて「ジンとは何ぞや」と問われると、ほら、ちょっと困るではないですか。ね?
ほらほら、古より「将を射んと欲すればまず馬を射よ」って言うじゃありませんか。
意味不明で強引ではありますが(一応自覚あり)、ま、いつものことなのでご寛恕くださいまし。

ジンの歴史は、古く12世紀、腺ペストが大流行した時期にオランダの僧たちによって作られた薬用酒に始まるという。
1660年、オランダのライデン大学の医学部教授、フランシスクス・シルヴィウスはこれを改良しジュニエーヴル(Gehever)と名づけ、当時オランダの植民地であった東インド地域で働く人々のための解熱・利尿用薬用酒として製造、販売を始めた。
その製法は利尿作用のあるジュニパー・ベリー(杜松の実)を純粋アルコールに浸漬、蒸留するというものであった。
因みに製品名のGeheverとは、原材料の杜松の実のフランス語である。
最初はあくまで薬局で薬用として販売されたのだが、このジュニエーヴル(オランダではイェネーフル(Genever)イェネファー(Geneva)と呼ばれる)、純粋に酒としてもなかなか美味だったのでたちまち巷の酒飲みに愛飲されるようになったという。
(ここらへん、本邦の「薬用養○酒」なんかとはえらい違げほんげほん)

このようにして16世紀末にはジュニエーヴルはオランダではひっぱりだこの人気酒となっていたのだが、これに目をつけたのがオランダ駐在の英国兵士である。
いずれも酒飲みの彼らは、この酒を「オランダの勇気」と名づけて母国に持ち帰った。
「ジン」と名を変えたこのスピリッツは勿論イギリスでも大人気となったという。

その流れにさらに拍車をかけたのが、かの名誉革命→オレンジ(オラニエ)公ウィリアム(ウィレム)3世の即位である。
彼は英国王の地位を継承して間も無く、フランスから輸入するワインやブランデーの関税を大幅に引き上げ、さらにジンを国内に普及させることに一役買ったそうである。
ほほう、確かに確かに。
彼の一生はフランス(ルイ14世)との確執に明け暮れたようなものでしたからなあ。
…しかしまあこの措置の目的はそれだけではなく(まあ多少はありましたでしょうが)、
真の目的(或いは、彼が真の目的と見せかけた目的)は、国内のグレーン・ウイスキー(国産スピリッツ)生産の保護であった。
スピリッツの製造・販売を保護すれば国産スピリットの売り上げはぐんぐん伸びるであろう。
となれば、スピリッツ製造業者は勿論、スピリッツの原料たる穀類を生み出す地主もまた潤ってうはうはとなろう。
当時の国会議員の殆どは、当然ながら裕福な土地所有者層であった。
生え抜きのキングではなく謂わば「よそもの」の王であったウィリアム三世は、このような関税措置をなすことによって彼ら土地所有者層を自らの支持層に取り込もうとしたのではなかろうか。

ときに、このころのジンは今のドライジンとは相当に違ったスピリッツであった。
当時のジンの製法をかなり忠実に踏襲しているといわれるのがオランダジン(上記イェネファー、又はジェネヴァ)である。
主原料は、大麦麦芽、トウモロコシ、ライ麦。初めからこれらを混合して使用する。
ドライ・ジンより大麦麦芽を多く使うため、麦芽香ができあがりの酒に残るのが特徴であるそうな。
これらの原料穀物を糖化、発酵させ、単式蒸留機で2回ないし3回蒸留する。
こうして出来た蒸留酒にジュニパー・ベリーやその他の草根木皮類の香草を加え、
さらにもう一度単式蒸留機で蒸留が行なわれる。
こうしてできるジンは、香味にコクがあり、麦芽の香 りが残ったややヘビーな酒質を持つ。
そのため、カクテルのべ一スなどにするよりは主としてストレートで飲まれることが多いそうな。

さてさて。
ジンにとっても、また他の政治的な諸々にとっても重要人物であられたウィリアム三世がお隠れになった後もイギリスにおけるジンの爆発的人気は止まることを知らなかった。
ウィリアム三世の次に王位についた彼の義妹アン女王もまた、彼の政策を踏襲しジンの普及に手を貸した。
当時、ロンドンの周辺40km以内で蒸留酒を生産・販売できるのはロンドン・ディステラリー組合なる組合のみである旨法令で定められていたのであるが、彼女はその法令を廃し、誰でも蒸留酒が作ることができるようにした。
この撤廃により、以後雨後の筍の如く蒸留所が生まれることとなる。
また、彼女は前王よりもさらにブランデーの輸入税を上げ、逆に国産スピリッツの税率を下げるなどの措置をも行った。
なかなか粋なことをなさるクイーンである。

という訳で、彼らの統治後ジンはすっかりイギリスに定着し、売れに売れ飲みに飲まれた。
以後、1751年までの約60年間は俗に「ジンの時代」と呼ばれている。
実際、1690年のジンの消費量は年間200万リットルだったのに比し、約40年後の1729年にはなんと10倍の2000万リットルを消費するまでになったという。

しかしながら、これだけこぞって皆様一斉にお召しになっていれば、世に何らかの弊害が起きぬ訳がない。
実際、この時期のイギリス(特にロンドン)にはジンに纏わる悲惨な話に事欠かない。

例えば。

(その1)
1734年、ジュディス・デュフォーという女性が処刑された。
罪名は殺人罪。彼女は自分の子を殺害したのである。
動機はジン。
生活能力のない彼女は、赤ん坊を貧民院に預けていたが、ある日彼(彼女?)を連れ戻しにやってきた。
目的は一緒に暮らすため、ではなく彼の新しい着物であった。
ジュディスはその貧民院で支給された着物を剥ぎ取ったのち彼を絞め殺し、死体をドブに捨てた。
その着物は1シリング4ペンスで売れ、早速彼女はそのお金でジンを贖い飲んだという。

因みに、だいたいジン一杯の価格が凡そ幾らぐらいだったかについては、当時の酒場の看板文句が参考となる。
曰く、

「ホロ酔いは1ペニー、泥酔は2ペンス」

ということは、ジュディスは赤ん坊のおくるみでもって6回は泥酔するほどジンが飲めたということであろう。
(1シリングは12ペンスである)

(その2)

1751年、社会風刺画家として名高いウィリアム・ホガースが一枚の版画を世に問うた。
その名は「ジン横丁」

Image002

(クリックすると多少は大きくなりますが、すみません、十分に見えるほどは大きくなりません)




この「ジン・レーン」、よく見てみるとそりゃもう酷い。

・酔っ払った母親の腕から赤ん坊が地面に落ちている
・泥酔者が別の赤ん坊を鉄串で突き刺している
・女が持ち上げられ棺桶の中に入れられようとしている
・屋根裏部屋で男が首を吊っている
・大工がジンを買うために道具を質入れしようとしている
・酒場の前で母親が赤ん坊の喉にジンを流し込んでいる

とまあ、阿鼻叫喚の巷を活写した(って実際ここまでの風景は実在しなかっただろうが)おぞましくも哀しい銅版画である。
また、ここには前述の看板の文句も見て取れる。
しかしここでは一句多くなっていて、曰く、
「1ペニーで微酔、2ペニーで泥酔、棺桶用の藁は無料」
とな。いやはや。

対照的なのは、同時期に描かれた「ビール街」なる版画だ。

Imagebeer










・人々は裕福そうに小太りしている
・テーブルの上には本が積んであり、人々はビールを飲みながらまじめな話をしている
・画家や大工など、仕事に励みながらビールを楽しんでいる


とまあこういう違いがあるそうなのだが、私にはこの人々が真面目な話をしてるんだか与太話をしてるんだかの判断は正直つきかねる。
(ビールを片手に様々な与太話をやりつやられつしてきた不肖私めの経験から申しましても、彼らとてとてもじゃないがそんなお真面目な話をしているとは思えないのだが…
つーか昼間っからビールかっくらってる時点でアウトだろうに)
なにはともあれ、この版画二枚から、当時ビールは健全な酒だがジンは不健全な酒、というレッテルを貼られていたのではないかということが推測できるのである。

とまれ。
このようにジンのお陰で(特に)労働者層にアルコール中毒者や泥酔者は増加の一方、犯罪は多発し労働力の確保にも影響が出るといった弊害が山のように発生したので、ジン産業を保護してきた政府もいよいよ何らかの対抗策を考えねばならない事態に陥った。
そこで1736年、サー・ジョン・ジキール卿なるお方がジンに関する規制法案を議会に提出、成立の運びとなった。
その法案の内容は、
・ジン1ガロンにつき5シリングの税金を20シリングに引き上げ
・ジンの販売は年額50ポンドの免許税を納めたパブリック・バーに限る
といったものであった。

いやはや税金いきなり4倍ですよ皆様。
例えるならば、消費税がいきなり20%になってしまったようなものである。
このような突然の暴挙に酒飲みども、及び酒店営業者が黙っている訳もない。
忽ち世には地下蒸留所が乱立し、闇のジンが出回るようになった。
一方、消費者たる労働者はあちこちでデモや暴動を起こし、その鎮圧までにはなんと30年もの年月がかかったというから酒飲みの恨みというものは恐ろしい。
仕方なく政府は、1765年、「無免許のパブリック・バーを取り締まる」「不正販売を禁止する」といった謂わば妥協案の法律を成立させた。
この妥協案でもどうやら一定の効果はあったらしく、以後ジンによる社会不安、労働力低下といった弊害は徐々にではあるが下火となっていった。

1800年代(つまり19世紀ね)に入ると、ジンの世界は大きな変貌を遂げる。
まず、「ジン・パレス」の台頭。
先の「ジン横丁」にでもありそうな薄暗く汚い居酒屋に代わり、数多くの鏡で囲まれ、華美な装飾を施された明るく優雅な建物がジンを供する場として次々とオープンした。
これが産業革命の申し子の中産階級にばか受けし、以後ジン・パレスは隆盛の一途を辿ることになる。

また、この時期製法も大きく変貌した。
19世紀も半ばの1831年のこと、アイリッシュのイーニアス・コフィが連続蒸留器を発明したのである。
(厳密に言うならば、この連続蒸留器、スコットランド人の蒸留業者ロバート・スタインが5年前に発明していたのだが、コフィはこのスタイン蒸留器を改良、「発明」したのである。
この蒸留器は当初「コフィ・スチル」と呼ばれたが、後にコフィが特許を取ったので
「パテント(特許)・スチル」という名になった。
アイリッシュらしく(いや、なのに、というべきか?)なかなか商魂逞しい御仁である)
この連続蒸留器、粗留塔と精溜塔を連結して連続操作を可能にした画期的な蒸留器で、
これにより従来のポットスチルよりも格段に純度の高いアルコールを得ることができるようになった。
この連続蒸留器により、アイルランドやスコットランドではブレンデッドウイスキーの台頭を見るのであるが
(ブレンデッドとは、シングルモルトと連続蒸留器によって得られたグレーンウイスキーをブレンドしたものである)まあそれは別の話なので後日に譲るとしよう。
(後日があるのか)

とまれ、英国のジン製造業者も早速このパテント・スチルを導入し、従来のオランダ生まれの「ジェネヴァ」
(前記参照)よりも一層軽く、一層ドライなジンをせっせと製造するようになった。
これ即ち現在のドライ・ジン(ロンドン・ジン)である。
我らがボンベイ・サファイヤもこの類に属する。

では、このドライ・ジンの製法や如何に。
原材料はとうもろこしに大麦麦芽にライ麦など。(ダッチ・ジェネヴァと同じ)
これらを連続蒸留器にかけ、95度以上という純度の高いグレーン・スピリッツを得たのち、
これに植物性の成分を加え、再度単式蒸留器にかけ成分の香りを染みこませる。
出来上がったスピリッツは良い香りがするが、あまりに度数がきつすぎるので水で薄めてはい一丁あがり。
「植物性の成分」とは、ジンがジンたる所以のジュニパー・ベリー(杜松の実)をはじめ、コリアンダー・シーズ、
キャラウェイ・シーズ、シナモン、アンジェリカ、オレンジやレモンの果皮、その他各種の薬草、香草などで
あるが、これらの配合や配分は各メーカーの秘伝である。

という訳で、我らがボンベイ・サファイヤも大体このような製法を経て生まれているのであるが、
ボンベイは一箇所、このような一般的な方法とは少しく違ったユニークな過程を経ているのである。
さあそれは一体なんなのか?
続きはまた今度のお楽しみー。

#正直、何について書いていたんだか見失いそうです。

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琥珀色の研究はまだまだ続く。

こんばんわ、仕事帰りの電車の中、今日はやけに浴衣姿の女の子が多いなあ、
なんでだろ?と考えてみたところ、
なあんだ、今日はPLの花火じゃん。
ということに気づきました大阪在住ぴこらです。

PLの花火。
一度は行ってみたいのですが、どうもあの日本一といわれる人出に
恐れをなして行けないのであります。
昔は、毎年一度は花火を見るというタスクを己に課していたのですが、
昨今の不景気で花火大会が次々に中止となる今日この頃、なかなかそうもいきません。
去年も花火を見に行けませんでした。恐らく今年も無理でしょう。
母さん僕の夏はどうしたんでしょうね。
なんて『人間の証明』チックな科白を呟いてみる夏なのでした。

さてさて今日のお題は引き続き「琥珀色の研究」ことウイスキー飲み話である。
ちなみに今日は飲んでいません。
流石にウィークデーにウイスキー飲むのはどうかなあ、と思うので。
#かろうじてその程度の理性は残っている訳である。

では、へなちょこレビューを以下どうぞ。

■ラガヴーリン16年(アイラ)

アイラモルトの特徴、ヨード臭(潮の香り)、燻し臭はやはり強く感じる。
しかし、先日飲んだボウモアより、より個性的で重厚である。
建築に例えるならば、ボウモアが万人受けするあっさりした
コロニアル・スタイルであるならば、
ラガヴーリンは好き嫌いのはっきり分かれるゴシックというところであろうか。
因みに、私はラガヴーリンの方がが好みである。
#ゴシック形式は好みではないが。

ボトルの能書きの最後にはこのような文字が書かれている。
「Time,say the Islanders,TAKES OUT THE FIRE but LEAVES IN THE WARMTH.」
洒落たことを言うものですね、アイラ島の方々は。

■タリスカー(アイランズ(スカイ島))

「舌の上で爆発するような」という評判のタリスカー。
どんなんやねん?と思いつつ一口啜る。
…成る程、確かに。
胡椒のようなぴりぴりする刺激が暫し舌の上に残る。
スモーキーで微かにヨード臭がするところはアイラモルトに酷似しているが、
この刺激はこのモルト特有のものであろう。
「気分が滅入っているときに飲むと思わぬ効果をもたらしてくれる」
(『モルトウィスキー大全』より)なんだそうだ。

今日は以上です。
まだまだ琥珀色の探求は続きますので乞うご期待。
#もとい、見捨てないで読んでやってください。

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琥珀色の研究、いよいよ佳境へ。

こんばんわ、本日は余りの首こり&肩こりゆえ終日ベットにてごろごろしておりました
ぴこらです。
でもって、「アジアのビーチリゾート」などというムックをひもときつつ
ゆくりもなくアーユルヴェーダやスパなどに想いを馳せていたのでありました。

#余談ですが、アーユルヴェーダの目玉の一つって、例の額にたらたら油を垂らしつつ
頭のマッサージをして貰えるという、あれですよね。やっぱり。
(今調べたら、あれって「シロダーラ」っていうそうです。
白い油を額にだぁらだら、ってとこでしょうか?)
あの油って、胡麻油の一種だそうですが、もしおうちで試してみたいとお思いになっても
ゆめ一般に市販されているスタンダードな茶色の胡麻油はお使いになりませぬよう。
お使いになるのであれば、「太白」等の高級胡麻油がよいそうです。
ま、私は後の惨状を想像してしまうので絶対家ではやりませんけど…

さて。
今日二回目の更新のテーマは、標記の通り「琥珀色の研究」、つまり
私の今のマイブーム、シングルモルトについての探求話である。

シングルモルトウィスキーについて耳学問(文字学問?)を最近多くしている
私であるが、恥ずかしながら今まで飲んだウィスキーは全てブレンデッドで
未だシングルモルトを口にしたことはなかった。
これはいけない。実践なくして何の知識であろう。

で、遂にシングルモルトウィスキーを注文しました、というのが
この前もこの場で書いたところであるが、
今日、やっとこさそれらを賞味する運びとなった。
以下、本日飲んだシングルモルトの批評&私の感想である。
(批評の部分は『モルトウィスキー大全』土屋守氏著 より一部抜粋した)

■マッカラン12年

色;非常に濃い、赤みがかかった琥珀色。
香り;ノーブルで濃厚なシェリー香。熟した果実、干し柿。複雑で深みがある。
味;カラメル、ココア、チョコレート。オイリーなナッツ、かすかにピーティー。
コンソメスープのよう。

私の感想;nobelという単語を体現したかのよう。
でもそのnobelさはあくまでも女性的な繊細さを感じさせるものである。
甘みを強く感じるも、子供じみたしつこい甘さではなくこちらもあくまでnobelな甘み。
極上のチョコレートボンボンを彷彿とさせる。
同時に、旨みも強く感じる。上手に出汁をとった(但し肉系の)スープのよう。

■ボウモア 12年

色;赤みがかかったマホガニー。
香り;リッチなシェリー香。トフィー、カラメル、オイリー。かすかに石鹸?
味;シェリー、ハーブ、薬草。やや酸味が強くピーティー。複雑。スパイシー。

私の感想;「アイラモルトは(海に近いが故に)ヨード臭がし、スモーキーでピーティー」
とはよく聞くところであるが、正直なところ、そんな細かいディテール、
素人には分かるんかいな?と思っていた。



分かりますわ。

いや、感動しました。
最初に栓を開けたとき、ヨード臭(磯の香り)がぷんとたったにまず感動。
次に口に含んでみて、重すぎず軽すぎないその味わいにふむと唸り、
そして最後に鼻に抜けていくスモーキーな香りにまた感動。
この「燻し香」には好き嫌いがあるというが、私は断然この香りを愛好するものである。

…いやはや困りました。
どちらも余りに旨くって、ついついグラスがすすんでしまうのである。
仮にどちらが好きか?と尋ねられても、それは、そうですね、
タヒチとモルディブどちらが好きか?と聞かれるようなもので
(ビーチ好きにしか分からん例えすいません)、
どちらにもそれ(そこ)なりの良さがあるので何とも言い難いのである。

…ああ、拙いなあ。また一つ酒に嵌ってしまった。
それもこれも田村隆一氏が悪いのだ。
全くもう、責任取ってよねミスタ・タムラ。
(とはいってもとっくに彼は白玉楼中の人なんだが)
という訳で、これから私はますます(肝臓を壊さぬ程度に)
琥珀色の研究に精を出そうとぞ思う。
その研究の成果はこのblogにて公開していきたいと思うので請うご期待。

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いざ、ウイスキーの醸される聖地へ。

それは旅行から帰ってきた日のこと。

疲れ果ててさあ寝るべえと支度をしていたところ、
母が小さな新聞の切抜きをひらひらかざして我が部屋にやってきた。

「…何それ」
「あんたが興味あるやろうと思って切り抜いといたんよー♪」

その記事の内容は以下のようなものであった。

「サントリー山崎蒸留所が夏のイベント『MALT&CINEMA』開催

サントリー山崎蒸留所は、土、日、祝日に映画を見ながらモルトウイスキーを
楽しむ夏のイベント『MALT&CINEMA』を開催する。
(中略)
ピュアモルトウイスキー「北杜12年」1杯の無料試飲と、特別メニューの
シングルモルトを1杯100円で販売するほか、浴衣を着て来場すると
6種のモルトウイスキーの中から好きなウイスキーを1杯プレゼント。
(以下略)」

「母!母!私の浴衣どこにあったっけ!?」
「確か2階のクローゼットに…」
「捜す!捜すわ!!」

でもって、疲れ果てていたにもかかわらずその日のうちに浴衣を捜し出し
翌日にはサントリーに予約の電話を入れたのであった。
※因みに、このイベント自体には予約は要らないそうです。
私は、このイベント前に蒸留所の見学を是非ともしたかったので予約を入れました。

さて、最近シングルモルトウイスキーに凝っている私、
やはり知識を得るには実践あるのみということで
遂にモルトを注文してしまいました。
ラインナップは以下の通り。

■マッカラン12年(スペイサイド)
「シングルモルトのロールスロイス」と称えられるこのモルトをまずは飲まねば
鬱蒼たるモルトの世界の門戸を開くことはできないであろう。

■ボウモア12年(アイラ)
アイラのモルトも是非飲んでみねばならないものであるが、
初心者故ラフロイグやラガヴーリンには腰が引けてしまい、
まずはスモーキーでピーティーなアイラモルトの中でもバランスが取れていて
入門者向けというボウモアを頼んでみることとした。

■飲み比べセット
・タリスカー10年(スカイ島)
ものすごくパンチが効いたモルトとのこと。
・オーバン12年(ウエストハイランド)
古典的な味わいのモルトだそうな。
・グレンキンチー10年(ローランド)
軽くドライとのこと。モルトには珍しく食前酒向きなんだって。
・ダルウィニー15年(ハイランド)
おだやかで軽く飲みやすいそう。
・ラガヴァーリン16年(アイラ)
前述のアイラモルト。重厚かつなめらか、モルトの最高峰との呼び声も。
・クラガンモア12年(スペイサイド)
華やかでやわらかなスペイサイドの代表銘柄。

以上、『モルトウイスキー大全』を参考に記述致しました。
いやあ、飲み比べるのが今から楽しみである。

…しかし、話は最初に戻るが、
母親に
「お前が好きだろうと思って」
とウイスキー蒸留所見学の切抜きを取っといてもらう三十路女というのは
如何なものなのであろうか。

他にも、今回の旅行の土産として「酒盗」(鰹の塩辛)を買って帰ったのだが、
それを食べた父がしみじみ

「あいつは酒飲みやから、うまいもん買うてきおるわ」

と呟いたそうなのであるが、それも如何なものなのであろうか。
これは、褒められていると素直に喜んでいいものなのであろうか。

色々悩んではみるものの、ま、いっか。酒飲みには違いないんだし。←開き直り

という訳で(何がか知らないが)、
我が愛しのシングルモルトちゃんが届いたら、じっくり嗜んだ後
及ばずながらレビューなど書いてゆきたいと思いますのでまたご覧くださいませね。

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琥珀色の研究。

こんばんわ、阪神6連勝で浮かれまくっているぴこらです。
今日は2位の中日さんとの直接対決だったということは
8ゲーム差がついたということですか。
つーことは、今年、ひょっとするとひょっとして
リーグ優勝なんてことを想定してもいいってことですか。

…いやいや、奢ってはなるまいて。
奢ると何が起こるや分からない。一寸先は闇でございます。
いくらオールスターで6名もの選手が選ばれたとはいえ油断はならない。
勝って兜の緒を締めろでございますよ皆様。
ゆめゆめ
「今年の日本シリーズはソフトバンクとかあ…」
などという大それたことをお考えになりませぬように。

#いや、実は密かに想定して欝になってるんですけどね。

…てなことを書いておりましたのは昨日の話で。
今日は…はい、サヨナラ負けを喫しました。
なんだよー、ABCラジオが6時まで中継を中断するって言うから
油断してラジオの前から離れていたらあっというまに負けてたじゃないかよー!!
とまあ、こんな風に連勝ストップにむすっとしている土曜の夜なのでした。

さて。

#最近このパターンばっかりではないか、などという無粋な突っ込みは却下です。

ここ何日かの私のマイブームは「whisky(whiskeyに非ず)」である。
ウイスキー自体はそれほど好きな酒ではなかったのだが、田村隆一氏の
エッセイを読んでからというものの、俄然(スコッチ)ウイスキーに興味が出てきた。
という訳で、まずはサントリーのHP「Whisky On The Web」にて
少々お勉強してみたりした。
この中の、椎名誠氏による「シングルモルトウイスキーへの旅」がなかなか面白かった。
特にスペイサイド、アイラ島編がGood.
彼特有の軽妙な文章でスコッチの概要が分かりお勧めである。

さらに、昨日は光文社文庫『シングルモルトを愉しむ』土屋守著 を買ってきて
しばし読み耽った。
いやあWhiskyは奥が深くて面白い。
#大抵の酒は奥が深いんだが。
読了したらまたそのエッセンスをここでご披露させていただきたく思う。

しかし。

机上の学問では真に身に染みて知識を得られないのは何でも同じ。
やはり物事の本質を深く知るには実践あるのみである。
という訳で、本日、私は敢然と我が家の酒蔵に侵入した。

酒蔵と雖も、そこは日本の家屋によくある
「応接間の飾り棚なんだけどー、一応お客に対する見栄の為に
貰い物のお酒並べて在りまーす」的スペースである。
こういったスペースなので、どうせ大したものないだろう、とたかをくくっていたところ、
「赤霧島」はあるわ、「一本義」の大吟醸はあるわで度肝を抜かれた。

で、肝心のウイスキーであるが、
ありましたありました。

サントリー「響」30年が。

正直腰を抜かしそうになった。
つーかこれ、一本8万くらいするやん普通に。
なんでこんなものが死蔵されているのだ。いやはや我が家のセラー恐るべし。

という訳で、この響ちゃんを拉致して(おまけに赤霧島も一本義もまんまと頂いた)、
只今ロックで頂いていたのだが、

いやあ。やっぱ旨いわ。

今まで飲んだウイスキーは何だったのだと自らの酒飲み人生を反省したほど
それは美味であった。
ロックで飲んだのはこのコに失礼であった。今度はストレートで頂こうと思う。

唯一残念なのは、この「響」がシングルモルトではなくブレンデッドであることである。
いや、ブレンデッドも勿論素晴らしく旨いのであるが、
今回はシングルモルトに関し耳学問を多くしたので、今度は「マッカラン」や
「グレンフィディック」等のオーソドックスなシングルを飲んでみたく思う。

…こうやって酒飲みは形成されていくのでありました。
いや困ったなあ。
好きなお酒は日本酒にワインにビールで留めておこうと思ったんだが…
#既に手遅れとの説も。

…はい。せいぜい肝臓には気をつけようと思います。
と自分に言い聞かせてみる梅雨空の夜でありました。

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ウイスキーと銭湯。

こんにちは。
最近暑いのでキャミソールばかり着ていたら、母に「安キャバ」
(安いキャバクラのねーちゃん、の意だそうな)と呼ばれたぴこらです。

しかし実の娘になんて酷いことを言うのでしょう。
そのうち謝罪と賠償を要求してやります。

さて。

今日のお題はタイトル通り「ウイスキーと銭湯」である。
と言いましてもなんのことやらお分かりになられないやも知れないが、
これは田村隆一氏のエッセイを集めた「ランティエ叢書」の書名なのだ。
書名に違わず、この本はウイスキー、その他「命の水」に関するお話や
銭湯話に溢れており、実に飲んだくれの詩人田村氏らしい
エッセイ集に仕上がっている。


この本にて、恥ずかしながら私、ウイスキーの綴りが2種あることを初めて知った。
田村氏の解説では少々解りにくかったので(これまたウイスキーの所為やも知れぬ)
ネットで調べた付け焼き刃の知識をここで披露すると、

「Whiskey」("e"が入っているウイスキー)

■アイリッシュウイスキー
《特徴》
・単式蒸留機で3回蒸留する
・麦芽を乾燥させる際にピート(泥炭)を使わない
(スコッチウイスキーとの違い。しかし最近ではスコッチの流行を受け変化している場合も多し)

■アメリカンウイスキー
《特徴》
・バーボンウイスキーはe入り、その他ウイスキーはeがつかない場合多し。
(アイルランドからの移民が多かった為との説あり)
法律上はe抜きであるらしい。

「Whisky」("e"抜きウイスキー)

■スコッチウイスキー
《特徴》
・単式蒸留機で2回蒸留する
・麦芽を乾燥させる際にピート(泥炭)を使う
(シングルモルト、ブレンデッドなどは主にスコッチウイスキーである)

■カナディアンウイスキー

■ジャパニーズウイスキー

上二つはスコットランドから技術が伝わったためe抜きのウイスキーになるそうだ。

…なんだかややこしい話になってしまったが、大雑把に言うと産地で名称が決するようである。

ま、何はともあれ。

この本のあちこちで田村氏は金色の(ウイスキーね)、或いは人垢の浮いた濁ったお湯色の(銭湯ね)研究に耽っておられる訳なのだが、
それが得も言われぬ詩人独特の文体で描かれているが故に
更に深みが増し実に面白い読み物となっているのである。
300頁弱の文庫本
(とはいっても活字が大きくサイズが小さいんですけどね、この叢書)
ではあったが1日の通勤の行き帰りであっという間に読み干してしまった。
なのだが。
この本で一つ、実にまったくもって大変いただけない箇所があるのだ。
それは何あろう「解説」部分である。
解説は、『イギリスはおいしい』等のイギリスものエッセイで一時期一世を風靡した
林望氏が書かれているのだが、その内容といったら、読んだ者に
全くどこのどいつがこの人選をしたのだ?と
ランティエの編集長の胸ぐら掴んで小一時間問いつめたい心持ちにさせしめるに十分のものである。
まず、林氏は「自分は詩人に憧れていた」という。
ほうほう、そうか。それでは田村氏の詩など暗唱できる程のファンだったのでしょうなあ。
ところがさ。
その後、林氏はこんなことを言うのだ。
(今手元に本がないので正確は期せませんが)
「しかしながら、このエッセイ集を読んで仰天した。
私の全く読めないウイスキーや酒話(氏は下戸なのである)、
そして私の苦手な銭湯話に溢れているではないか」と。
仰天するのはこちらである。
ポイントは2点。
1.何で下戸で銭湯嫌いに田村氏の本の解説を任せるのか
(別に下戸で銭湯嫌いが悪いと言っている訳ではない。念のため)
そして、
2.この人田村氏のこと全然知らないではないか。
(知ってたら氏の蟒蛇(うわばみ)ぶりだって当にご存じの筈である)
何だってそんな人に田村氏の本の(以下略)
ま、そんな驚きをもって解説を読み進めていった訳だが、
最後に林氏は
「(そんな自分が苦手なものばかりが好きだった)田村さんはいいなあ、豪快だなあ。
自分には詩人となる素質はなかったようだけど、やっぱ詩人になりたかったなあ」
とかいう結論で締めくくっているのだ。
なんだそりゃ。
私はそもそも林氏のお書きになるもの、及び文章は余り好きではない
(その割に読んでいるんだが)。
今回も、田村氏の軽佻なる文章を読んだ後に解説を拝読したため、
更にその思いを強くした。
だが。
この解説に関しては、これは林氏一人の責任ではあるまい。
ランティエ叢書関係者は解説者の人選をもっとしっかりすべきだ。猛省を促したい。
おかげで楽しい本の後味が失笑の影に薄れてしまったではないか。
#ま、それはそれで面白いからよしとしますか。

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