「おとなになる」ということ。

先日発売された話題の書『思想地図β2』内に収められていた、東京都副知事の猪瀬氏と東氏、そして村上隆氏の鼎談において、猪瀬氏の発言に(いい意味でも悪い意味でも)ちょいとひっかかってちょいと考えさせられた。
なので、ちょいと自分への覚書として書きつけておくのである。

(以下、今思想地図が手元にないのでディテールが異なる可能性がある。ご寛恕下さい)

氏曰く、「漱石は大人になることを拒否し、鴎外は大人、つまり家長としてその生を全うした」のであるらしい。
「この国は滅びるね」と登場人物に軽々しく口にさしめた漱石に比べ、鴎外はあくまで責任ある「日本の」家長として振る舞い、文章を書いた。
その具体例として猪瀬氏は、大正の次に来たるべき新しい元号は(日本の、だけではなく東アジア圏全ての)開闢以来まだ何処の国にも使われたものであってはならない、と過去全ての元号を洗い出し、後継者にそのリストを託した、ということを挙げておられた。
なんでも、「大正」は越、即ちベトナムで過去に既に使用されており、そのことが鴎外にとっては非常に遺恨を残すものであった、らしい。

この言説を読んでまず第一にひっかかったのは、氏が「元号を全て網羅して、次の世代に託す」ことが即ち家長としての責任を全うする態度として当然認識できる、と言い切っておられることである。
我が国の年号はどこも使ったことがない、オリジナルのものであらねばならない、という自負というかこだわりは理解できる。
もう少し進めて愛国心といってもいいかもしれない。
しかしそれが、江戸期からの古き良き(というニュアンスだろう。この文脈では)家長としての責任を断固として全うする意志表明であることは自明だ、と言われれば正直首を傾げざるを得ない。
その行為はひょっとすると、マニアックな学問的渉猟主義の表れである、とも解釈はできるのではないか。
とはいえ、鴎外の著書のあちこちから感じとれるエートスから、彼が「日本を支えていく家長としての責任」を志向していたということは確かに間違いはあるまい。
ただ、上の元号の一例でのみ、この「覚悟」のエビデンスとすることには違和感を覚えた次第である。

もう一つひっかかったのは、漱石=新しい時代に大人になることを拒否した子供である(猪瀬氏は「放蕩息子」と評しておられた)という視点に関してである。
というのも、先日私は奇しくも「漱石は明治期以降の正しい『大人』の方向性を指し示した作家である」という論を読み、成る程成る程!と深く首肯したところであったからだ。
これは、内田樹先生著(またか、と謂う勿れ)『おじさん的思考』の中に収められた「『大人』になること-漱石の場合」なる論である。

(此方も、只今元本が手元にないのでディテールが異なる可能性ありです)

内田先生によると、まず漱石は『虞美人草』にてこれからの時代にあるべき「大人への道」のロールモデルを示し、『こころ』にて同じくこれからの成熟した大人=正しいおじさんのロールモデル、そして師と弟子のあり方(またか、と謂う勿れ)を示したのだという。

これらのモデルは、江戸期、いやそれ以前から連綿と受け継がれてきた大人=家長モデルとは全く異なる。
だが、明治の御維新で変わってしまった世界には従前とは違った「大人」のロールモデルが必要であった。
そしてそのことを漱石は正しく、且つ切実に認識していた。

どのようなモデルを漱石が提示したのかは原著、及び内田先生の著書をご一読頂きたいのだが(それは例えば「家長」の様に一言で言い表せる類のものではない)、ここで重要なのは漱石もまた鴎外と同じく「正しい大人のあり方」を提示していたのではないかという事である。

つまり、鴎外と漱石は共に新しい時代における「大人への道」を模索し、前者はそれを伝統的な「家長の責任」という形態に落とし込んで伝承しようとし、後者は新しい時代に相応しい新しいロールモデルを作り上げ読者に広めようとした、といえるのではあるまいか。
結局どちらが正しかったのかは私には判断しかねるが、一つだけ言えることは私達はどちらの系譜の衣鉢も受け継ぐことはなく、遂に大人のロールモデルというものが具現化することはなかったということだ。
かくして、日本はめでたく放蕩息子=子供だらけの国となったのであった。

私達はどうやったら、そしていつになったら「大人」になれるのだろう?

そんな問いが、観念的なものから急にリアルに具体性を帯びだしたのが当に今年、2011年であるといえよう。
敗戦からこの方続いてきた、一億総子供でいられた時代は終わった。
このまま皆で仲良く惰性で子供を続けていたら、それこそ漱石大人の仰る通り「日本は滅びる」であろう。

しかし今現在の我らが日の出ずる国には、鴎外も漱石もいない。

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普通の家族がいちばん怖い

かの養老孟司氏をして
「スティーブン・キングより怖い」
と仰らしめるという岩村暢子氏の著作(というか、データ集計)である。
とはいっても不肖私、スティーブン・キングを読んだことがないので何も言えないのだが。

この本では、綿密なアンケートにより浮き彫りになった「そこらへんの家庭」のクリスマスとお正月の食事事情が紹介されている。
飾りつけには熱心だけど、ディナーは店売りのチキンとポテトで済ますクリスマス。
実家で用意された御節をしたため、そうでない場合は買いだめしておいたコンビニおむすびやパンを家族各自が適当にとって食べるというお正月。

…うーん。
最初は「さもありなん」と思い読んでいたが、途中から「このアンケートとやら、本当なのか?」と疑いを持ち始めた。
内容があまりにも自分の「普通の家庭の食生活」に対するイメージとかけ離れているということもあるのだが、ディテールの部分で違和感を感じた部分が多々あった。

例えば、このアンケートでは文章での回答に添えてその日の食卓の写真の提出が義務付けられているのだが、その証拠写真の中には「正月の食卓風景」としてコンビニおむすびや菓子パンが無造作に放り出されているものがある。
人には多かれ少なかれ見栄というものがある。
正月の食事についてアンケートされている主婦が、幾ら匿名性が保証されているとはいえ堂々とこれがうちの正月のごはんです!とおむすびを撮影するものだろうか。
だって文章で答えるならまだしも、撮影するんですよ。撮影。
写真を撮るとなれば、嘘でもせめて御節パックくらい買ってくるものではなかろうか。

また、掲載されているちょっと非常識(と読者に思われるであろう)な主婦達のコメントの口調が、一様に

「うちはこうしてますけど、それが何か?」

という感じで、過度且つ不自然に挑発的なのも気になった。
まあ中にはそういう人もいるだろうが(こんな回答を寄せる人なのだから、恐らくは大多数なのだろうが)、少しは

「いやあ、お恥ずかしい限りですけど…」

という含羞を浮かべたニュアンスのご回答もあってもいいんじゃなかろうか。
この「一様に」というところに、やはりどうしても何かしら作り物めいたものを感じてしまうのである。
例えるならばそれは、テレビショッピングのオーディエンスが一斉に上げる「ほほーっ」という白々しい歓声に似ている。

とかなんとか眉に唾をぺたぺた塗りつつ読み進めていったのだが、最後のエピローグに差し掛かったとき、残念ながら(だろうな、やっぱり)この疑惑を方向転換せざるを得なくなった。
エピローグにはこのデータを収集した岩村氏の「気になったこと」が書いてあったのだが、それは何かというと「アンケートの内容が著しく矛盾していること」なのだという。
一方で「自分の子どもには日本の伝統や風習というものを継承していってほしい。自分もそのために色々頑張っている」となかなかいいこと書いていた主婦が正月一日には「皆自由に食べるので菓子パンをたくさん用意して好き勝手に食べられるようにした」と書いていたり。
この調子で、心掛けやと実際の食事風景が全く乖離しているアンケートを提出した人は1人2人というレヴェルではなく相当数いた由である。
岩村氏も、これ、本当に同じ人が書いたのよねえ?と思わず何度も見直してしまったらしい。
また、この一連のアンケートは紙ベースだけではなく実際に本人に会ってインタビューを行うのだが、その場でもこれらの主婦達は平気で(ここ重要)話を二転三転させたという。

このクダリを読んだとき、私は「うーん」と唸ってしまった。
ここのデータ(といってよいかは分からぬが)には、確かに真実の香りがする。
ということは、今まで「いやー、そりゃ誇張しすぎだよ。ははは」と軽く読み飛ばしていたデータ達も本当…なんだろうか。
いやー、確かに並みの怪談よりも数倍怖いわ、この本。

さて、ではこの本の感想をば。
(今までの話は、なんと感想ではなくマクラだったのです。どうだびっくりしただろう)
この本はタイトルにあるように「普通の家族」の異常な食卓風景について書かれているのだが、その元凶だと(暗黙的にではあるが)名指されているのは疑いもなくアンケートに答えた主婦その人である。
そりゃまあ、今の世と雖もご飯を準備する(敢えて作る、とは言わない)は主にお母さんなんだから、確かに第一義的な要因は主婦にあるということになるだろう。
しかし今や食以外の分野のみならず、家庭のあらゆる場面で「お母さん」が絶対的権力を振るうようになっている。

例えば「住」に関しても、家のしつらえ、ひいては家そのものが女性化しているというのはいみじくも建築家・故宮脇壇氏が喝破されていた通りである。
宮脇建築事務所にマイホームの設計を依頼せんと訪れる家族(夫婦)は、そもそもが建売住宅や大手建築メーカーではなく建築事務所を選んだという点において住に対し相当のこだわりがある方々なのであるが、その中でもあーでもない、こーでもないと口やかましく注文をつけるのは圧倒的に女性なのだという。
その注文のつけ方というのもふるっている。
例えばこう。

「あのね、映画の『風と共に去りぬ』でレット・バトラーがスカーレットを抱えて登っていく階段があるでしょ。
あれと同じような階段をつけて欲しいのよ」

いやですね、あのお屋敷と同じような階段といいましたら、お宅の敷地つきぬけて隣の隣のおうちの敷地まで占領するくらいの規模になるんですけど。
だから無理ですよと上奏しようものなら、なによ私は少女の頃あの映画を見て将来家を建てたときには絶対あの階段をつけるって心に決めてたのよ!あの階段がつけられないってんならもう家なんか要らないわ!むきーっ!と逆上なされるので、黙って鉛筆を取り上げ実物の数分の一のそれっぽく見える階段を設計するのだそうな。
(随分前に読んだ話なのでうろ覚え失礼)

それはまあ極端な話だとしても、今まで何も住のことについて系統立てて学んでこなかった(当たり前ですが)女が1人、突然家を建てるという大事業を任されるのだから大変だ。
旦那に相談しても、俺は仕事が忙しいんだから家のことはお前に任せたよ、だって一番家の中に長くいるのはお前だろう?と全権委任されることが殆どである、らしい。
そこでわっはー、じゃあ私の好きにする!それじゃあ昔から憧れだったロミオとジュリエットが呼び交うみたいなバルコニーつけてー、フリルとレースのカーテンが揺れる出窓つけてー、と雪達磨式にデコラティブになっていくものである、らしい。
上の例は少女趣味に即して書いてみたけれど、カントリー調であれアジアンテイストであれ何でもよい。
ポイントは「人一人(ここでは主婦)の『気分』に左右される」ということである。
そしてこのことは、「食」に関しても同じことが言える。
(やっと話が戻ってきました)

「今日はそういう気分だったので凝ったお料理を作ってみました」

「お正月は御節があったらいいと思うけど、そういう気分じゃなかったから作りませんでした」

等など。
食の権限が主婦に一極集中している以上、これは当然の帰結なのだ。
云わば核家族の主婦は家庭の独裁者。
用意して「頂ける」ご飯に夫も子供も何の文句もつけはしない。
いや、子供は文句を言うかもしれないが、それは十中八九よりジャンキーなものが食べたい(つまり主婦にとってはよりラクができる食事)という要求である。
だって、このような母親に育てられてきた彼らは幼少から凝った食べ物なんて食べてこなかったのだから。
知らないものに対しては要求のしようもない。
旦那は時々「手のかかる和食食べたいなあ」なんていうかもしれないが、そんなもんは他所で食べておいで!と一喝すれば済む。
#しかし、岩村氏の他の著書で「主人は生の枝豆が美味しいといいますが、私は麦酒を飲まないし、準備が面倒なので(!)冷凍枝豆しか出したことがありません」と言い放った主婦がおわした、という記述を読んだときは私は涙を禁じえなかった。
枝豆ぐらい茹でてあげましょうよ、奥さん。

ではこれらの食生活の崩壊の責めは全て主婦に帰されるのか?
それは違う。
ポイントは「一極集中」「独裁」にある。
誰であれ(男でも女でも、はたまたかのヒトラー総統でも)、権力が一人に集中すると何かしらおかしなことになることは歴史が教えるところであるし、またそこまで大仰にならずとも皆様実体験でよくご存知のところである。
さほど遠くない昔、この独裁権は「家父」つまり父に存したのだが、勿論このシステムも相当おかしなものであった(向田邦子のお父上などを思い出されよ)
そんな中でも、家庭の諸般事の七面倒くさいしきたりや決まりが連綿と受け継いでこられた理由の一には、権力者たる父がそれら諸事の大部分に直接従事しなかったということが挙げられよう。
確かに、世の中には幸田露伴みたく娘に家事を一から叩き込むというヘンコ親爺(失礼)もいたにはいたが、そういう種族はごくごく少数であった(と断言していいでしょう)
時が代わり、家族を統べたもう独裁者が父から家庭の諸般の作業を執り行う主体たる母にシフトした際、そんな面倒くさいことやってられまっか、とそれらのが簡略化・気まぐれ化したのは云わば当然の成り行きであった。

また、更には核家族化が進み、姑に舅、小姑etcといった「外部の目」が家庭から消え去ったということも重要なポイントであろう。
日本国の国会は国権の最高機関、且つ唯一の立法機関であるが、かような国会においてすら司法(裁判所)、行政(内閣)の各機関より様々な牽制を受けることはご存知の通りである。
監視や牽制を受けぬ、最高且つ唯一の権力機関。
これが暴走せぬ訳がない。
いや、絶対する。

かくして主婦という独裁者の支配下にある家庭内の食生活は、冒頭の著作に見るような様相を呈することとなった。
繰り返すが、私は決して決して主婦が悪い!怠け者だ!と申し上げている訳ではない。
この放縦な食生活は、戦後の(一部は戦前に始まっていた)家父長制の崩壊、ひいては家族解体の当然の帰結だと申し上げたいのである。
私には子もいないが、この本に登場する主婦の皆様と同じような立場となれば、若干後ろめたさを抱えつつ、誰にも何も言われないのをいいことに同じような食卓を準備するのだろう。
…いや、絶対する。

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1月の読書。

1月度の読書数、以下の通り。

・読んだ本
17冊 (1日平均0.5冊)
・読んだページ
5540ページ (1日平均178ページ)

うーむ。
正月休みがあった割にはさほど冊数が伸びなかったな。
20冊はいけると思っていたんだけど途中で失速してしまった。残念。

でもま、自分としてはかなり読んだ方だと思う。
今回読んだ本の内、実に11冊は内田樹先生のご著作であり、彼の本は私にとってはチョー読み易く相当なスピードで読了できるので、それもまた冊数が稼げた一因であろう。
来月はイベントが多く休日は殆ど潰れるし、何といっても月の日数自体も少ないので10冊いけば御の字だと思われる。

【今月のMVP】

『神は妄想である』リチャード・ドーキンス
『私家版・ユダヤ文化論』内田樹

選びきれぬので今月は2冊。
感想など書いてみたいけど、時間がないのと頭が働かぬので(いつものことですが)割愛致しやす。

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永遠の都ローマ物語―地図を旅する



30年にわたる研究と8000時間をかけて描いた緻密なパノラマ地図で、古代ローマを完全再現。
ローマを訪れた青年の案内で、歴史、文化、民衆の暮らしぶりを紹介する。
写真も豊富に掲載。古代ローマ大型復元地図付き。


(Amazonより)

大型本で219ページ。
しかもこの充実した内容。
これはかなりお高いに違いない。

と思いきや、


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あら素晴らしい。
これは買うっきゃないでしょう。

という訳で、またもや密林書店の誘惑に負けて買ってしまいました。

届いて再び吃驚。
大型本で200頁越しとは知っていたけれど、


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こりゃまたお得感更に倍率ドン!である。
#ね、チェブメジャー、お役立ちでしょ?
##と、これが言いたいだけのために写真を撮りましたつまり自己弁護。

で、肝心の感想だが。
いやあ、細かいですね素晴らしいですね、再現地図。
地図と共に遺跡の写真も掲載されていて、何度でも見飽きない趣向になっている。

文章部分は属州ヘラクレイアの青年がローマを訪れ、名所を訪ね歩いているという設定で書かれている。
生まれて初めてカプトゥ・ムンディ(世界の都)を見る彼の驚きや賞賛、そして時に当惑の目線がなかなかに面白く、あっという間に読み終えてしまった。

ただ、二点ばかり苦言というかこうしたらもっと面白くなったんじゃない?と思うところがあった。
まずは、現在のローマ地図も並行して載せて欲しかったということ。
薄紙で印刷したものを上に被せるようになったりなんかしていたら最高である。
ローマ好きなら、あらあそこにこんなものがあったのねー、と楽しめること請合いだ。
確かに昔の地図だけでもテヴェレ川にコロッセウムにパンテオン、あとはハドリアヌスの霊廟(今のカストロ・サンタンジェロ)で大まかな位置は同定できるけど、しかしそこはやっぱり詳細に今のローマとの対比ができると嬉しいなあと思うのである。

そして、件の属州青年の足取りと地図をもうちょっと連動させて頂きたかった。
確かに一応章分けはされていて、記述と地図は一致するようになっているのだが、例えば文章部の地名に番号を振って地図にも同じ番号を振るくらいの工夫は欲しかったなあと思う。

とまあちょこちょこと僅瑕(といったら酷だけど)はあるものの、何度も繰り返して楽しめそうな良本である。
本当、この作りでこのお値段は破格ですよ。
絶対買いです。

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世界は分けてもわからない

福岡氏、二冊目の(多分)新書である。
前作の『生物と無生物のあいだ』はベストセラーとまではいかずとも相当売れ、先だって何かしらの賞をおとりになっていたようである。
その一報を目にした時には、ああ、このような本が評価されるとはまだこの国の読書層というものは捨てたもんじゃないんだなあ、と何やら感慨深く嬉しかったことであった。

とまあ偉そうな話はさておき。
二冊目の本書は、ミクロとマクロの関係に纏わるエッセー集である。
と一言で言ってしまえば無味乾燥極まりないのだが、これがまた実に面白い。

前作とも共通するが、福岡氏の文体の持ち味は科学者らしいクール且つ簡潔な記述と、詩的でロマンチックな叙述が交錯している点にある。
それは、どこかよく冷えたジンベースのカクテルに似ている。
冷たく仄かに甘いが、しかしジンが効いているので気づくと酔いが回っている、といったところだろうか。

とはいいつつ個人的には酔えぬ箇所も多々あったが、それはきっと私が読み物に関してすれっからしであるが故のことと思われる。
酒の例えが続くが、元々私は酒好きではあったものの、さほど強いクチではなかった。
それが数々の飲酒体験を経て(勿論、苦いものも多々ある)、鍛えられた結果今は目出度くある程度は強くなったと自負している。
#あくまで「ある程度」ですぜ。
同じように、読書に関しても数多のヘンなものを読みすぎた所為、いやお陰?で、気付けばそんじょそこらの「狙った」文章にはいっかな感心できぬニブチンと成り果てていた次第である。
老獪になったといえば聞こえはよいが(そうか?)、ある意味これは感受性の摩耗と言えなくもないような気もしている。

とまれそれはさておき。
本書ではこのような文体で以て、ミクロとマクロに纏わるエピソードが縷々綴られていく。
一つ一つのエピソードは独立しつつ、それでいて互いに絡み合い繋がっていく。
それは恰もモザイク画の如きものである。
タイルは集まりモザイク画となるが、その画という「全体」はタイルの「総和」以上のものである。
そしてまた、この「全体≠総和」こそが本書の主題でもあるのだ。
ランゲルハンス島。
ヴェネツィア。
須賀敦子。
コンビニのサンドイッチ。
次々と楽器を違えて同じメロディを奏でるが如く、様々な事象でもって繰り返しその主題は語られていく。

その「楽器」の中でも白眉というべきは、終盤のATP(アデノシン三リン酸)分解酵素の精製実験に纏わる衝撃的なエピソードであろう。
最初の実験に関する説明部分は専門用語続きで、文系道一直線の私は正直読むのに難儀したが、途中からは一気に読まされた。
実験に於けるデータ捏造という問題を描いたこの章は、それ自体だけでも十分に一つの読み物足り得る。

だがこの話も、本書の中では他のエピソードと同じく「世界は分けてもわからない」という命題を完成するための一つのピースに過ぎない。
こういった、それ自体完成しており洗練されたピースが、ぱちり、ぱちりと音がするが如く綺麗に組み合わさり、やがて一つの命題を浮かび上がらせるという構成には、読んでいて小気味よさにも似た快感を覚えたことであった。

最近の自然科学系の学者さんは文章の上手い人が多いが、間違いなく福岡氏もその系統に連なる方である。
しかし、「文章の上手い理系」の増殖という傾向には、バリバリの文系人間の私は感心しつつも何かしら脅威を感じてしまう。
人文科学、そして社会科学系のセンセイ方、うかうかしておれませんぜ。

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やつがれとチビ



やつがれ:
「奴吾(やつこあれ)」の転。古くは「やつかれ」
一人称。自分自身をへりくだっていう。上代では男女ともに用いた。
(Yahoo辞書より)

主人公は「やつがれ」と称する太めの白猫。
(この作画のモデルは明らかに『くるねこ』の胡ぼちゃんだけど、中身は全くの別猫?である)
やつがれはある日、竹やぶでチビ猫を拾う。
そこからチビ猫に振り回される日々が始まるのだが…

前半はもう、顔の筋肉緩みっぱなしになる。
兎に角、チビのしぐさや表情がでーら可愛いのだ。
やつがれと一緒にでれでれしてしまうこと、請け合いである。

翻って後半は…

…初めてかもしれない。
漫画読んでいて





「いやー」





と叫んだのは。
しかも夜中。
#でら迷惑。

その後はひたすら涙。
即ち、目はかすんで鼻水ずるずる。
ティッシュで涙ふきふき鼻かみかみ、漸く読了した。
その後、そのまま寝ればいいものの、寝る前にうっかりもう一度読み直してしまい再び号泣。
翌日は一重と化していましたとさ。
(アイライン引けねえんでやんの)

いやー。
だめよこれは。
反則ですよ反則。
ストーリーはこの漫画の生命線なので(まあ、なんだってそうだが)詳しくは書かないが、まあ一度読んでみてください。
次の日アイラインが引けなくなること必至である。

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ナポリのマラドーナ

ほう珍しい。
お前がサッカー本など読むのかいな。
と、私を知る人からは驚かれそうだが、その実この本はサッカーとは全くと言っていいほど関係がないのである。
いやサッカーはおろか、タイトルのマラドーナの話ですら序章と終章にしか出てこない。
この本で専ら語られるのはイタリアの所謂「南北問題」である。

イタリアは、1861年のリソルジメント(統一)の直後から南と北の貧富の格差という内部問題を抱え込んでいた。
戦後、その格差はますます開き、これを是正すべく取られた南部振興策は一時的には功を奏するものの焼け石に水であった。
そしてこの振興策を苦々しく思う一部の北部、中部の人間は、地域主義を掲げ自らの地の自治権を主張するようになった。
また、同じく戦後南部から労働力が流入したことにより、それに対する反発(又は恐れ)から同じ自国民でありながらも彼らを差別視するという風潮も広まった。
かくして、イタリアの内部には亀裂が次第に深まっていったのである。

そして時は1990年。
イタリアは自国開催のワールドカップに沸いていた。
その中でも、このワールドカップの試合の中で一つ、全イタリア人、そしてマスコミが異常なまでに注目した試合があった。
それは他でもない準決勝第一試合、イタリア対アルゼンチンの試合であった。

自国開催ワールドカップで自国を応援するのは全く以って当然のことである。
だがこの時、北、中部の人間は疑いの目をもって「南」のサポーターを見ていた。
即ち、
もしかしたら、こいつらは統一イタリアチームではなく、ナポリのマラドーナ、そしてその母国であるアルゼンチンを応援するのではないか?
という疑念である。
ここでいうナポリとは言わずと知れた、セリエA(今は知らないが)のクラブチームである。
マラドーナがこのナポリの英雄だったことはサッカーに疎い方でもご存じであろう。

結果として「南」の連中はこの試合でイタリアチームを応援し、一件落着と相成ったという。
しかしこのような緊張が生じうるということ自体、サムライニッポンの試合となれば北は北海道から南は沖縄まで(多分)おーおーおーおーにっぽーん♪と応援する我らが大和民族からしたら想像できかねるところである。

まあそんな当たり前の感想は兎も角として、マラドーナという(或る意味)キャッチーなネタをマクラにこのような根強く手強い問題を軽快に語る著者の手腕はなかなかのものである。
最近は毒にも薬にもならぬしょーもない新書が蔓延っているが、こういう語り手にこそすぱっと切れ味のよい新書を執筆していただきたいものだと思う。

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アイルランド冬物語

真夏に何を読んでいるんだ、というつっこみはさておき。

この本は今から60年ほど前のアイルランドの片田舎に於けるクリスマス前後の模様を描いたものである。

まず印象に残ったのは、「大きな森」シリーズの一巻、主人公ローラの未来のご主人アルマンゾ・ワイルダーの少年時代を題材とした『農場の少年』の冬の描写との著しい相同である。
『農場の少年』の舞台となった時代は恐らく1860年代頃で、このアイルランドのお話とは80年近い隔たりがあるのだが、両者のクリスマスへ向けての準備を始めとする冬の日々の生活は本当にそっくりなのだ。
それだけ1940年代当時のアイルランドが素朴だったということか。
いや、それだけ1860年代当時のアメリカが進んでいたとういことか。
どちらかは分からねど、兎も角当時のアメリカにはまだ到着して日の浅いアイルランド系移民がゴマンといた筈だから(1840年代のジャガイモ飢饉)、かような人々がアイルランドの風習を持ち込み、そしてそれが数のパワーで以て非常な勢いで伝播したであろうことは想像に難くない。
(ワイルダー一家がアイルランド系だったのか否かは定かではないが)

しかし、決定的な違いはある。
ワイルダー家は(兄弟間の揉め事はあるものの)実にアメリカ的で和やか、和気藹々なのに対し、アイルランドのテイラー家では常時きっついきっつい皮肉が飛び交うのである。
筆頭は家の長たるお父さん、そして通いの手伝い人?のダン。
近所に住むけちけちばあさんだって負けちゃいない。
彼らが放つ言葉は、よっ、これぞアイリッシュジョークの真骨頂!とでもいいたくなるシニカルを極めたものばかりである。
きっとこのおっさんおばはん達、こういったジョークを口にするときは表情一つ変えないのだろう。
所謂アイルランド名物、dead panって奴である。

なので、ただ単に美しく静かな田舎の冬物語、というわけにはいかないのだが、勿論期待通りの?抒情的な部分も多く、行ったことも体験したこともないアイルランドの暮らしに郷愁に似たものを覚えたことであった。
まあ、それは多分に「寒さ」に対する郷愁であったのかもしれないが…
#ほんまに最近暑いでんな。

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都市―ローマ人はどのように都市をつくったか



これは、小学生時代の私の愛読書であった。

とはいえ、文章部分は小学生の私には少々難しく、主に緻密に描かれた図ばかりを眺めていたのだが、それでもローマの都市、建築というものの卓越ぶり、緻密ぶりには十二分に感銘を受けたことを覚えている。
とはいっても、「紀元前とかいう大昔にこんな凄いもの作るなんて凄いなあ」という小学生程度の感動ではあったのだが。
#あ、小学生だからいいのか。
当時はペリスティリウム(中庭)のある家に住みたいものだ、と真剣に考えていたものであった。
ともあれ、この本が長じてローマというものに興味を持つに至る原点となったことには間違いない。

今になってあの本をもう一度読み直してみたい、と思ったのだが、どうやら大学の時の家の建て替えの際どこかに紛れ込んでしまったらしく、どこを探しても見つからなかった。
昔の本だしもう手に入れられまいと諦めていたところ、偶然にもAmazonの検索に引っかかってきたので喜んで手に入れたのであった。
先日やっと届いたので(やはり在庫が少なかったのだろう)、約20年ぶりに文章も含めじっくり読みなおしてみた。

時は初代皇帝、アウグストゥス帝の御代。
ポー川の氾濫で打撃を受けた小さな村々を一つに纏め、商業機能を集約させた都市を作る計画が持ち上がった。
かくしてローマ都市「ウェルボニア」が建設される運びとなったのであった。

この「ウェルボニア」なる都市は架空のものである。
しかし、この都市計画、そして建設のプロセスは同時期のそれに忠実に描かれたものである。

以下、印象に残ったことを2点ばかり。

・技術と神事

当時の測量技師達が調べに調べ上げた条件のよい土地(水はけがよく水害に遭いにくい、等)が決定すると、神官がやってきて土地でとれた動物の臓物占いをし、GOサインがでると生贄を捧げ儀式を行う。
また、都市の規模を技師が決定すると、そこを神官が白い雄牛と牝牛を使って鋤をひきこここそが都市の境界線、つまり城壁の位置と範囲づける。
つまりは合理的な技術が先行し、神事はそれを権威づけするときのみ機能するのだが、こういった建築上の手順?にも所謂「ローマらしさ」が垣間見える。

・都市計画

上にも書いたとおり、計画者らはまず最初にこの都市規模を明確に規定した。
そしてその規模に見合った必要な設備を整備するのである。
また、今は必要なくとも将来必ず必要となる施設の予定地はきっちりと明記し、空き地として残していた。
人口が増えそうだからといって決して無計画に規模を広げることはない。
なぜなら、土地の広さは上述の城壁によって規定されているのだから。

このように作られた「都市」の性質は、自然発生的な「集落」(この言葉が対照語として適切かどうかは分からないが)のそれとは全く異にするものである。
ローマにおける、そしてその子孫たる西欧に於ける「都市」とは一体なんなのか、ということをビジュアルを通じ理解できる本というのは稀有なのではないかと思う。

以上は、今回改めて文章部分を読んでみての感想だが、やはりこの本の最大の魅力は豊富な図解部分であろう。
お陰で、小学生の時に感じたときめき(なんていうと面映ゆいが)を久々に体感することができた。
そして、やっぱりペリスティリウムのある家に住みたいわあという野望を新たにしたことであった。
本当に成長してないわ、私。

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フランス料理の学び方―特質と歴史

ご存じ、辻調(辻調理師専門学校)の生みの親、辻静雄氏の論考。
恐らく同校の学生に向けたものであろう講義体で書かれている。

前半のフランス料理の歴史(それは必然的にギリシャ・ローマの料理の歴史から語られることになるのであるが)には特に目新しい話はなかった。
しかし、私のような単なるアマチュアと料理のプロ達ではこうも歴史上の食のトピックスへのまなざしが異なるものなのか、という点は非常に興味深かった。

後半のフレンチの作り方の変遷の解説は、門外漢には読めはするが想像もつかない世界である。
牡鹿の角を6kgすりおろして作るソップ(スープ)って一体どんな味がするものなのだろう。
だが、金に糸目もつけずあらゆる食材を使えた古き良き時代から、常に材料費のことを頭に置きつつ料理をせねばならない今に至るまでの調理法が変遷する様は門外漢にもなんとなく理解はできた。

そして、巻末にはあの「天皇の料理番」、秋山徳蔵氏との対談が掲載されているのだが、これがまた面白い。
何が面白いって、二人の会話が全く噛み合っていないのだ。
昔話をしたい秋山氏と、なんとか当時のフレンチ情報を聞き出したい辻氏の丁々発止(というほど切れはよくないが)ぶりに時々くすっと笑いを誘われた。

ところで、この本は「論考」とのことであるが、そういった角度で見ると正直とりとめもないものであると言わざるを得ない。
だがこれはあくまで本書、そして本書の元となったであろう講義が「フランス料理をどう学ぶのか」というイントロダクションであるという性質上、已むを得ないと思われる。
殊更に論考などと称せず、普通に楽しい食の読み物として位置づけた方がなんぼか読者を惹きつけたのではないか、と思ったことだった。
辻氏の「論」の片鱗をお知りになりたい向きはちくま文庫の『辻静雄コレクション』(確か全四冊だったような)をお読みになられた方がよいかもしれない。

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