■脈略なく、戦争関連の映画の感想3本。
■ひまわり
オープニングの一面のひまわり畑&テーマ音楽で既に涙腺が緩んでしまう。
エンディングでは言わずもがな。
しかし本当は、この映画、つっこみどころはたくさんあるのだ。
ソフィア・ローレン怖すぎるとか、マストロヤンニがぺーぺーの一兵として出て行くにはあまりにもお年を召しているのではないかだとか、そもそもストーリーがあまりにもお涙ちょうだいで狙いすぎだろうとか。
でも、あのどこまでも続くひまわり畑の底抜けの明るさ、澄み切って怖いほど碧い空、そしてあの名曲「ひまわり」でテもなくやられてしまうのだ。
あの悲しいストーリーの後にぱあっと流れるあっけらかんとしたひまわりの映像は、あまりにも鮮やかすぎて、そしてあまりにも無邪気すぎて鋭く痛く心に染み入る。
そして追い討ちをかけるように流れる「ひまわり」。
何度も何度も見ているのに、エンディングでぼろぼろ泣いてしまう稀有な映画である。
#近頃やたらと涙腺が緩いということもあるけれど。
■灰とダイアモンド
ストーリーは正直ステロタイプである。
戦争というバックボーンがなければふつーのバッドエンドの青春映画だと思う。
つまりは、どうも歴史のもつ迫力に頼りすぎているきらいがあるのだ。
このことは戦争がらみの映画全般に言えるのだけれども…
けど、ディテールがいい。
主人公が共産党幹部を殺した、丁度そのときにときにあがる花火のシーン。
酒場にて死んだ同士の思い出話を語るとき、弔い火の如く小さなウォッカのグラスに次々と火をつけていくシーン。
撃たれた主人公が、物干し場に数知れず翻る真っ白なシーツの一つに斃れこみ、
そのシーツだけがみるみる黒く(本当は赤く、なのだろうけれども白黒なので黒く見える)染まっていくシーン。
ストーリーはすぐ忘れてしまいそうだけど、こういうディテールは忘れられそうにない。
■ムッソリーニとお茶を
舞台は第二次世界大戦前夜~ムッソリーニ政権台頭・崩壊~連合軍によるイタリア解放の時代。
当時のイタリアにとって敵国人となった後も居座った頑固なイギリスばあさん達と、成金アメリカ女性、そしてイタリア人少年を軸としたお話である。
あらすじを書いてりゃあきりがないので書かないけれど、ランダムな感想は以下の通り。
・都合よすぎじゃ!
成金アメリカ人女性(あの「月の輝く夜に…」のシェールが扮していた。これは適材適所)がファシストの伊達男に騙されてすかんぴんにされて、さらにユダヤ人であることまで露呈して危うく密告されそうになるのだけど、うまく逃げおおせるところとか。
いよいよ連合軍においつめられて自暴自棄になったドイツ軍が、あの美しいサンジミニャーノの塔を爆破しようとしたところ、囚われの身のイタリア美術大好きなイギリスばあさん達が「そんなことさせるか!」と塔に我が身を縛り付けて抵抗し、何を生意気なといきりたったドイツ兵に殺されそうになるのだけど、 そこに実にタイミングよく連合軍が現れてドイツ軍は逃げだし、実にタイミングよくサンジミニャーノが解放されるところとか。
ハッピーエンドは好きだけど、いくらなんでもねえ。
こういう安直なオチのつけかたにはかなり興ざめした。
でもまあ、こういうオチでもつけないとこの老婦人達は助からないのでしょうけど。
・でもイタリアの街はきれい
舞台はフィレンツェ、そしてサンジミニャーノ。
後者はあまりスクリーンには登場しないのだけど、やっぱりイタリアはいいなあ。
・全編を流れるユーモア
イギリス婦人の誇り高さ、人情に厚いところ、そして不屈のユーモア。
いささかステロタイプで、安直で、浪花節的なところがむずむずしたが
(生粋のイギリス婦人レディ・へスターと成金アメリカ女エルザの和解のあたりとか)、
おかげで重い時代を扱っているわりには最後にはなんだか心がほんわかした。
それに、いくらひねくれてみても所詮私も大阪人なので、義理や人情、浪花節には弱いのである。
てな訳で色々とつっこみどころは多かったけど、全体的には後味がよい映画だった。
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