■脈略なく、戦争関連の映画の感想3本。

■ひまわり

オープニングの一面のひまわり畑&テーマ音楽で既に涙腺が緩んでしまう。
エンディングでは言わずもがな。

しかし本当は、この映画、つっこみどころはたくさんあるのだ。
ソフィア・ローレン怖すぎるとか、マストロヤンニがぺーぺーの一兵として出て行くにはあまりにもお年を召しているのではないかだとか、そもそもストーリーがあまりにもお涙ちょうだいで狙いすぎだろうとか。

でも、あのどこまでも続くひまわり畑の底抜けの明るさ、澄み切って怖いほど碧い空、そしてあの名曲「ひまわり」でテもなくやられてしまうのだ。
あの悲しいストーリーの後にぱあっと流れるあっけらかんとしたひまわりの映像は、あまりにも鮮やかすぎて、そしてあまりにも無邪気すぎて鋭く痛く心に染み入る。
そして追い討ちをかけるように流れる「ひまわり」。
何度も何度も見ているのに、エンディングでぼろぼろ泣いてしまう稀有な映画である。
#近頃やたらと涙腺が緩いということもあるけれど。

■灰とダイアモンド

ストーリーは正直ステロタイプである。
戦争というバックボーンがなければふつーのバッドエンドの青春映画だと思う。
つまりは、どうも歴史のもつ迫力に頼りすぎているきらいがあるのだ。
このことは戦争がらみの映画全般に言えるのだけれども…

けど、ディテールがいい。
主人公が共産党幹部を殺した、丁度そのときにときにあがる花火のシーン。
酒場にて死んだ同士の思い出話を語るとき、弔い火の如く小さなウォッカのグラスに次々と火をつけていくシーン。
撃たれた主人公が、物干し場に数知れず翻る真っ白なシーツの一つに斃れこみ、
そのシーツだけがみるみる黒く(本当は赤く、なのだろうけれども白黒なので黒く見える)染まっていくシーン。
ストーリーはすぐ忘れてしまいそうだけど、こういうディテールは忘れられそうにない。

■ムッソリーニとお茶を

舞台は第二次世界大戦前夜~ムッソリーニ政権台頭・崩壊~連合軍によるイタリア解放の時代。
当時のイタリアにとって敵国人となった後も居座った頑固なイギリスばあさん達と、成金アメリカ女性、そしてイタリア人少年を軸としたお話である。
あらすじを書いてりゃあきりがないので書かないけれど、ランダムな感想は以下の通り。

・都合よすぎじゃ!

成金アメリカ人女性(あの「月の輝く夜に…」のシェールが扮していた。これは適材適所)がファシストの伊達男に騙されてすかんぴんにされて、さらにユダヤ人であることまで露呈して危うく密告されそうになるのだけど、うまく逃げおおせるところとか。
いよいよ連合軍においつめられて自暴自棄になったドイツ軍が、あの美しいサンジミニャーノの塔を爆破しようとしたところ、囚われの身のイタリア美術大好きなイギリスばあさん達が「そんなことさせるか!」と塔に我が身を縛り付けて抵抗し、何を生意気なといきりたったドイツ兵に殺されそうになるのだけど、 そこに実にタイミングよく連合軍が現れてドイツ軍は逃げだし、実にタイミングよくサンジミニャーノが解放されるところとか。

ハッピーエンドは好きだけど、いくらなんでもねえ。
こういう安直なオチのつけかたにはかなり興ざめした。
でもまあ、こういうオチでもつけないとこの老婦人達は助からないのでしょうけど。

・でもイタリアの街はきれい

舞台はフィレンツェ、そしてサンジミニャーノ。
後者はあまりスクリーンには登場しないのだけど、やっぱりイタリアはいいなあ。

・全編を流れるユーモア

イギリス婦人の誇り高さ、人情に厚いところ、そして不屈のユーモア。
いささかステロタイプで、安直で、浪花節的なところがむずむずしたが
(生粋のイギリス婦人レディ・へスターと成金アメリカ女エルザの和解のあたりとか)、
おかげで重い時代を扱っているわりには最後にはなんだか心がほんわかした。
それに、いくらひねくれてみても所詮私も大阪人なので、義理や人情、浪花節には弱いのである。

てな訳で色々とつっこみどころは多かったけど、全体的には後味がよい映画だった。

|

■リーダーになるための素質とは。

我が研究室の院生ちゃん、Kちゃんは最近とっても忙しい。
修士1回生の彼女、とある学術大会のリーダーに抜擢されたのだが、メンバーはいずれも曲者揃い故、纏めることにいろいろ苦心しているようだ。

今日、彼女から先生に宛ててこんなメールが来ていた。

「先生。リーダーとして他の人に信頼されるためにはどういうことをしたら良いのでしょうか?」

ああ、こりゃあいろいろ悩んでいるようだなあ。
そう思っていると、先生からKちゃんに宛ててのレスが返ってきた。

subjectは「マントヒヒ」。





目が点になりつつも、一読するとざっと次のようなことが書かれていた。

「リーダーは、まず第一に率先して行動することです。
どんな些細な仕事でも進んで引き受けることです。
そうすれば皆がついてくるのです。
私は、いつもマントヒヒのボスの話を思い出すのです。
マントヒヒのボスは、大抵が年老いたヒヒで、力の点では若い雄には劣ります。
では何故年老いたヒヒがボスの座にいるのか。
それは、彼が群れに危機が襲ったときには率先してその危機に立ち向かうからです。
リーダーの資質の源泉というのは、powerではなくauthorityなのです」

へー。
先生、なかなかいいこと言うじゃん。


嘘だけどね。





いや、嘘っていうのは言い過ぎだけど、この回答はあまりにもいろんなことをごまかしすぎている。
だいたい、マントヒヒの例えを敷衍すると、そもそもボスの座を手に入れるまでのプロセスで一番重要だったのは他ならぬpowerであった筈だし、そもそも危機に率先して立ち向かうだけのボスであれば、若いpowerに満ち溢れた若ヒヒがボスであるに越したことはないだろう。

んでもって、この答えでは肝心のauthorityをどのように獲得するかが分からない。
powerに依らないauthorityとは何だろうか。
マントヒヒ(に限らず、その他動物)の群れを念頭に置くと、その主な要素は恐らくexperienceではなかろうか。
でも、そう考えると、確かに院生1回生のKちゃんにexperienceなどある訳もないので、それを分かってわざと先生はその点をぼかして書いたのかなあ、などと邪推(でもないけど)してみたりした。

でも、マントヒヒではなく人間社会でのリーダーの素質にはもうひとつ、もっと重要な要素があるように思う。
それはずばり、
「自分についてきたら得だよー、いいことあるよーと他人をだまくらかす才能」
ではなかろうか。
そう考えると確かに、自分が率先してせっせと下働きするという作戦はなかなか有効だと思われるので、結果として先生は正しいことを言っているのだなあ、とへんに感心した。
きれいごとを言いつつ本質的なところも突いている先生の回答は、実はもんのすごく鋭いのかもしれない。
なんだかんだいっても、やっぱり先生は侮れないのだ。

|

■すーべにーる・ふろーむ・ぺきん。

昨日夕刻、父母が北京旅行から帰ってきた。

「…冬の中国というのはなあ、心底寒いんやぞ。
まつげは凍るし、洗濯物だってあっという間にぱりんぱりんになるんやぞ」

なんて話を満州帰りの祖父から寝物語に聞かされて育ったという母は、荷詰めの際、それこそ南極探検隊もかくや、というようなぽかぽかぬくぬくの服をうんとこさスーツケースに押し込んでいた。

「…ねえ母。いくらなんでも、この旅支度はオーバーじゃないの?」

「何言ってんのあんた。何せ冬の中国は(以下略)」

だったのだが、なんでも北京も暖冬だったらしく、折角の大仰な冬衣装も結局殆ど袖を通さずじまいだったのだそうな。

今朝、母より、
「お留守番ご苦労様やったねえ。はい、お土産♪」
と何やらビニール袋をでんと渡された。
以下、頂いたお土産を羅列する。

・はんこ

何やら赤い石の素材のものである。

「なあなあ、これってひょっとして赤瑪瑙?」

「そんな高級素材なわけないやろ」

「…やっぱそうかあ。翡翠とかだったら高級そうやけどねえ」

すると母、何やら得意げに

「ふふふー。
実は今回、翡翠も買ってきてん」

と仰るではないか。

おおっ、流石母、太っ腹。
実際も太っ腹だk(以下略)
#略してないし。
モノは指輪?
それともペンダントだろうか??

ごそごそ
(ビニール袋を探る音)

「ほら、これや!いいやろ??」

「…なんですかこれは」

「何ゆうてんの。これが翡翠やで。すごいでしょ」

「いや、翡翠は見たらわかるけど。
これの用途は何かと聞いてるのよ」








「顔用美容ローラーよ」







「…はい?」

「これ使ったら、肌がもんのすごく綺麗になるらしいよ」

「…胡散くさー」

「何ゆうてるの。








楊貴妃も使ってたらしいで」










「はいはい使ってない使ってない」

「他にもさ。














西大后も使ってたらしいで」











「はいはい使ってない使ってない」

一体何を吹き込んでいるんだ中国の商売人は。
しかし、売り込むにしても、楊貴妃はともかくとして西大后を持ち出してくるというのははっきりとマイナスイメージだと思うのだけどどうなんだろう。
で、もう一つ、楊貴妃と西大后とはあまりにも時系列を無視した取り合わせであると思うのだがどうなんだろう。
でもまあ、そこらへんが大陸的おおらかさというやつなのかもしれないな。
(多分違うけど)

・ビーズのバック

「これ、可愛いやろ。
これからクリスマスシーズンやし、パーティー行くのにぴったりやと思って…」

「うんうん。
とっても可愛いし気に入ったけど、私には残念ながらパーティーなんていう色気のあるイベントの予定はないのね」

「これさぁ、(←母はデフォとしてあまり人の話を聞いていない)最初行ったデパートで○元だったのね。
で、高いから、□元だったら買ってやるって言ったんだけど、なかなかまけてくれないのよ。
最後にはお店の支配人まで出てきて交渉したんだけどやっぱり金額が折り合わなかったの。
だからもういい!ってお店でて、他の店でやっと□元までまけさせたのよ。
それはどうしたかっていうとね(以下得意げに延々と話は続く)」

やはり大阪のおばちゃんは世界最強であると思う。

・怪しいパンダと笹の刺繍入りハンカチ
(しかも縁取りがショッキングピンク)

「母。このいやーなセンスのハンカチは何ですか」

「ああ、これはツアー参加者全員にくれはってん。
あんた、要る?」

「はいはい要りません」

・鉄観音烏龍茶

これは実際とってもおいしい。
(と思われる。まだ飲んでいないが、一度お土産に頂いて感動した思い出があるので)

以上である。
これから、翡翠コロコロローラーを使ってみようかなと思っている。
楊貴妃並みに美しくなったらまたこの場にて報告します。
西大后になったら…
どこかを訴えます。(どこを?)

|

■サプリ狂想曲。

今日、母がフジサン○イビジネ○アイというビジネス紙をふりまわし、いささか興奮気味に
私の部屋に飛び込んできた。
この新聞、一応ビジネス紙を標榜しているものの、一面にどこぞのアパレルメーカーのキャンギャルに○○さんが決定!だの、パリコレが華々しく開催!だのといったニュースを掲載しており、巷では何であっても少なくともビジネス紙ではないという評判が高い。
つまり、まことにもってフジサン○イグループらしいミーハーで軽い新聞なのである。
#何でうちがこんなものを購読しているのかといえば、所謂おつきあいというやつです。

何はともあれ、こんな新聞のどんな記事がそれほど母を興奮させたのであろうか。

「これこれ!見てみて!ここに、今日放送予定の『あるあ○大辞典』の内容の記事が載ってるんだけど、このなんとか酸ってやつがめちゃめちゃ体にいいんやって!!」

#ね。何であっても少なくともビジネス紙ではないでしょ?

「ふーん」

「あんた、今日薬局行くって言ってたわよねえ。これ買ってきて!」

「ふーん。ま、いいけど…
そういや母、この前体にいいっていって買ってきたクエン酸どうした?」

「あんな酸っぱいの食べられへんわあ」

「…あっそう。
じゃ、同じように前に買ってきたコエンザイムなんたらとかいうやつ、どうした?」

「あ、そーいや冷蔵庫にしまったままで忘れとったわあ」

「…また、そのなんたら酸とかいうのも、そんなもの達の二の舞になるんじゃないの?」

「いや!これはいいらしいの!絶対いいらしいの!だから買ってきて!!」

「…あー、はいはい」

とまあ、このように母はメディアの喧伝には非常に弱い。
「おもいっ○りテレビ」だの「あるあ○大辞典」だので取り上げられたら最後、万難を排してそれらのブツを手に入れるのである。
って、これは別にうちの母に限ったことではなく、大抵の世のお嬢様方(@みのも○た氏)には共通していることではありますな。
#でも、母はみの○んた氏は嫌いであるそうな。ようわかりまへんわ。

てなわけで。
いよいよ出かけようとした際、今一度母に確認することにした。

「で、さっき言ってたなんたら酸って何?」

「あ、えーっとね、えーっとね。

クエン酸!」

「それ、酸っぱいゆうて飲んでへんやつやんなあ?」

「あ、ごめんごめん間違えた。
えーっと、そうそう、

グルタミン酸!」

「味の素ですか?」

「違うー!」

「だってグルタミン酸ゆうたら味の素ですよ、母」

「ちょっと待って!今新聞みてくるから」

結局、件の「なんたら酸」は「αリポ酸」とかいうなんとも怪しい「酸」であることが判明した。
そんなもの売ってるんかいなあ、と近所の薬局を覗くと、ありましたありました。
αリポ酸に加え、なんと今流行のコエンザイムQ10にブルーベリーエキスまで入ったスペシャルな錠剤が売っていた。
価格は120粒(1日4粒服用)で2780円。そんなに高くもない。

しかし、あまり興味がないので今まで殆ど見たこともなかったのだが、最近の薬局の健康食品、サプリ売り場ってものすごいことになっているのですね。
ビタミン各種は勿論のこと、イチョウ葉エキスにノニエキス(これは、確かタヒチ特産のフルーツだったはず)、マカ錠剤(これはわかりません)に亜鉛、コラーゲンに大豆イソフラボン、ガーリックオイル(なんか旨そうだな)。
そうそうたるラインナップを見て何やら私も圧倒されてしまい、思わず「ヘム鉄」サプリを購入してしまったことであった。
いえいえ、私も最近どうも貧血気味でしてねえ…
(げへげへ)

薬局を出て本屋さんへ。
雑誌でも立ち読みしようかと思っていたのだが、オールカラーの文庫版で「美しい椅子」なるシリーズが1~4巻まで出ていたのでこれまた思わず買ってしまう。
私は、密かに椅子が大好きなのである。
なかでも昔から憧れていていつか偉くなったら(だからいつなんだ、それは)欲しいと思っているものはかの有名なアルネ・ヤコブセンの傑作「エッグチェア」である。
あの、包み込むようなまんまるのフォルムは見ててうっとり、座ってしっくりする。
#一度だけ、ILMUSで座ってみたことがあるのだ。
でも、平均価格帯50~60万の椅子というのは、一度旅行でも諦めない限りちょっと手に入れることはできない。
まずは、比較的廉価な同じくヤコブセンの「スワンチェア」でも…と思うがなかなか難しいものである。

他にも文庫本を数点購入し、家に帰る。

「ほら、母よ。αリボ酸買ってきたよ」

「わー、ありがとう。これが欲しかったのよう」

「…で、母。
これ、一体何に効くの?」

「…何やったっけ??」

大阪の主婦のカリスマ(私ゃ認めてませんが)、上沼恵美子のお母さんという人はサプリメントマニアで年金の殆どをサプリ購入資金に宛てているのだという。
お陰でお肌はつるつるぴかぴかなんだそうだが、上沼が

「…で、おかあちゃん。結局何が一番効くん?」

と尋ねると、おかあちゃんは

「うーん。
ぎょーさん飲んでるさかい、どれが何だかよーわからへんわあ」

と仰るのだそうな。

確かにサプリは体にいいのだろうが、摂りだすとあれもこれもときりがなくなるのも事実である。
徒にサプリの氾濫に踊らされるのではなく、どこかで折り合いをつけて本当に必要なものだけ摂取すること、そしてその判断に必要な情報を採取することが肝要であると思われる。

…と、私は母に言いたいのだけど、本人はあるふぁさんを手に入れて大変嬉しそうなので
今回は言わないでおくことにした。
飲むことによって「体にいいことしている私!」という精神安定をも得られれば、それはそれでいいんじゃないかなとも思いますしね。

|

■病人の食欲について

いったい、私には病気になると唐突にある特定の食物を欲し、それ以外は見向きもしないといった性癖がある。
今日はそのお話をば。

病に倒れると食べたくなるものは、以下のようなものである。

・トマトジュース

普段も結構好きなんだけど、病気になるとそれこそ病的に飲みたくなる。
まさか体が自発的にリコピンを欲している訳ではないと思うのだけど。
あ、言っときますがレッドアイではありませんよ。

・うちの近所のケーキ屋さんのカツサンド

これが結構美味しいのだ。
お粥も喉を通らないくせに、これが食べたい食べたい!と小さいとき何度も母にせがんで買いに走ってもらったっけ。
しかし、他のものは喉を通らないくせに、なんでまたこんなこってりしたものが食えるのか我ながら不思議である。

・白味噌のお雑煮

それは遠い昔、幼稚園時分の夏休みの頃であったという。
(本人は記憶していないので、以下母より伝えきいた話である)

夏風邪で寝込んだ際、

「何が食べたい?」

と母に聞かれた幼い私、一言

「お雑煮」

と答えたのだという。
しかし、時は夏休み。
当然そんな時期に雑煮の材料が売っている訳もない。
それでもなんとか母はあちこち駆けずり回り、材料を揃えてこさえてくれたのであったが、オフシーズンだけによい白味噌が売っておらず、一口食べた私は


「まずーい」

と言い放ち、それからはもう口をつけようとはしなかったそうだ。

「…あん時はねえ。
もう、張り飛ばしてやろうかと思ったわよ」

とは母の弁。
確かに、私もそんなガキは張り飛ばすと思われる。

・たこ焼き

大阪の子ですから。
だがしかし、大阪の子であるが故に味にはうるさい。
いくら病で舌が麻痺していようとも、メリケン粉の塊は断固として排除するのである。

・切り干し大根の煮物

ほーら、だんだん訳が分からなくなってまいりました。
薄味の京風の優しい味付けのもの、ではなく、からーく味付けしたものが非常に好ましい。
#普段は前者が好みなのですが。

・バターロール

食パン、クロワッサン、フランスパン、菓子パンは熱がでるとどれもうけつけなくなるのだが、何故かバターロールだけはすいすい食べられるのである。

以上、羅列してみたけれど、本人も何が何だかさっぱり分からない。
強いて言うなら、どれもこれも塩っけのきついものであるような気がする。
確かに、熱が出たあと熱さましなんかを飲むとものすごい勢いで発汗するので、こういう欲求は生理的にも理にかなっているのかもしれない。
しかし、その線で考えるとバターロールはなんだ?バターロールは。

ま、要は、病人は食べられるものを食べて元気になりましょうということです。
#かなり強引ですが。

|

■「東京ばな奈」に関する簡単な一考察

今日、今春よりうちの院生になる学生より「東京ばな奈」を頂きました。
実は、食べるの初めてなんですよ東京ばな奈。
感想は、

「えっらくくどい甘さのバナナカスタードだなあ」

という一言(にしては長いな)でした。

で、なんで東京土産にバナナなのでしょう。
とっくに言い古されたネタなのかもしれないですが、ちょいと興味を持ってお菓子の能書きを眺めてみました。
以下、長くなりますが全文を記載したく思います。
(著作権とか大丈夫ですよね・・・?)

「かくれんぼしたね
鬼ごっこしたね
ハイッ、おやつに
黄色いバナナ
おいしいね

あれから
東京は変わり 人も変わり
いつの間にか
忘れてしまったあの味は
ずっと小さな街角に
かくれんぼしていたんだね
『東京ばな奈 見ぃつけたっ。』」

はい、意味不明です。
しかしまあ、この文章の巧拙はいまは一旦おいておきましょう。
私はこれを読みましたとき、

この能書きの語り手?の年代(子供時代はいつ?)

ということが何故か非常に気になりました。
なので、以下その謎に迫ってみたいと思います。
#普通の人はそんなもの気にならねえよ、といったつっこみはしないでください。

1段目より、語り手の子供時代はバナナというものが子供のおやつになるほどポピュラー、かつ廉価であったということが窺い知れます。

では、それはいつ頃の話なのでしょう。
言わずと知れたことですが、バナナは今も昔も99%以上が輸入されています。
輸入が始まったのは明治36年のこと。
大正末期になると、台湾に「青果株式会社」なるものが設立されたことにより取引全般が統一され輸入が拡大しました。
かの有名な「バナナの叩き売り」などが始まったのもこの頃から。
私の祖父は明治末期生まれでしたが、昭和初期頃にはバナナが死ぬほど安く、そりゃもう山のように買ってはぱくぱく食べたものだとよく申しておりました。

ところが、日中戦争、それに続く太平洋戦争が勃発したことで、世の中バナナどころではなくなってしまいます。
戦いすんで日は暮れて、日本は台湾というバナナ一大生産地を失ってしまいました。
以後、バナナは超高級果物へと変貌を遂げます。
私の母は戦後すぐに生を受けた所謂「団塊の世代」っ子なのですが、バナナは1本単位で、しかももんのすごい値段で売られているのをよく見たそうです。

昭和25年には台湾バナナの輸入が再開されるのですが、まだこの時期は外貨不足による輸入措置制限が採られており、高嶺の花であることには変わりなかったようです。

昭和38年にバナナの輸入自由化が決定され、また、翌々年昭和40年に日本バナナ輸入組合が発足した頃から、バナナは再び少しずつ一般庶民の食卓にも登るようになってきました。
そして、昭和45年には台湾を抜きより廉価なエクアドル産バナナが輸入NO.1に、また、48年にはもっと廉価なフィリピンバナナがNO.1となり、今現在もその地位を守り続けているそうです。

以上の知識(なんだかなあ)より、私は語り手の子供時代は

・大正末期~昭和初期
・昭和40年後半以降
であると考えます。

なんだけど、能書き後半で
「ああ、なんか子供時代から歳食っちまったよなあ」
的慨嘆が見られますので、彼の子供時代は、少なくとも今より20年以上は前だと考えられます。
ですので、もう一度まとめますと、彼の子供時代は

A.大正末期~昭和初期
B.昭和40年後半~50年代

でほぼ間違いないかと思うのです。

ここまで絞り込んではきたものの、さて、真の正解はどちらなのでしょう。
この謎を解くには、語り手たる彼が何故東京名物としてバナナのお菓子を作ったのであるかということが非常に重要なポイントとなってくるのです。
#この文章、別に「東京ばな奈」の創始者が書いたんじゃないんじゃないか?
とかそういうつっこみはなしです。

何故、彼の中ではバナナ菓子=東京菓子なのでしょうか。
普通に考えますれば、「東京がバナナの生産地であるから」です。
しかし皆様ご存じの通り、東京にバナナ園は存在しません。
(小笠原とかにはあるのか?そこまでは存じませんが)
では何故なのでしょう。
もう一つ考えられることは、「東京が(全国の他の地方に比して)バナナが入手し易い地であるから」(と彼が思い込んでいた)ということです。

この考えを元にして、もう一度能書きの語り手の彼の子供時代の時代を考証しましょう。

B.昭和40年後半~50年代 であった場合

この時代になりますと、私が説明するまでもないことですが輸送手段も発達しており、バナナも日本全国平等、かつ潤沢に流通していたと考えられます。
(っていうか、そうだったでしょ?<同年代の方々)
この年代に子供時代を送られた方が、バナナ及びその加工品を東京名物にしようと考えるということは少し考えにくいかと思います。

A..大正末期~昭和初期 であった場合

この当時、かなりの量のバナナが輸入されていたというのは先に書いたとおりですが、
国内の輸送手段はまだ不十分であったことはご存じの通りです。そりゃまあ時代が時代ですしね。
ですので、輸入されたバナナの多く(には限らず、輸入された珍しい「とつくに」の物品)は殆どが大都市に集中しました。
#ちなみに、私の祖父は大阪人でした。
特に帝都であります東京には(今も昔もですが)国内外を問わず様々の珍しい食料品が運ばれてきました。
その流れをさらに加速したのが、昭和10年に開設されました皆様ご存じ東京中央卸売市場(築地)です。

つらつら考証して参りましたが、以上の論拠から私は次のように考えます。
すなわち、

能書き語り手の子供時代は大正末期~昭和初期である
→今現在80歳~90歳?

ということです。
若い(或いは、バカ)な文体の割には、能書きの彼は結構年寄りであったという結論に至ったわけです。

同時に、この仮説は、
「なんでバナナ菓子=東京のお菓子になるのだ?」
という疑問も見事解決してくれます。
即ち、上にも書きましたが、能書きの彼が新たな東京名物を作ろう!とあれこれアイデアを練った際、

そういえば、昔、バナナは東京(及び、大都市)でしか手に入らなかったよなあ。
(僕は東京のシティボーイだったから、おやつ代わりに食べていたけどね)

今でもそんなもんじゃないの?
(お年よりは往々にして「今」の現実に疎いものです)

じゃあ東京名物はバナナのお菓子にすればいいのではないか!

という思考回路が働いたものと思われます。

#ちなみに、「ばなな」の最後の「な」が「奈」である理由は、彼の両親が奈良県出身だったからです。
(ex.近江出身の商人が屋号を「近江屋」とつけるようなものです。)
太平洋戦争末期、両親の田舎に疎開し、その後数年間をこの地で暮らした彼はその間全くバナナというものを見ることすらできませんでした。
暮夜密かに生まれ故郷の東京を思い一掬の涙を流す時、同時に思い出すのは、その昔おやつにふんだんに食したバナナのあのとろけるような味わいであったことでしょう。
食べ物の恨みというのは恐ろしいものです。
ですから長じた後も、
「東京=バナナ」
という固定観念が彼の中にインプットされてしまったことは言うまでもありません。

はい。
ぜーんぶ嘘です。嘘ですよ。
#一応真面目な人間なので、断っておくことにしました。

いえね、あまりにも能書きが意味不明すぎて思わずいろんなことを考えてしまったのです。
どうもすみません。

てな訳で、上の論証(では決してありませんが)は全て寝言みたいなものなのでゆめゆめお信じにはなりませぬよう。
#言われなくても分かりますか。そうですか。
##あ、でも、「バナナの歴史」の部分は本当ですよ。

|

■カバ(CAVA)について

今日はスペイン産スパークリングワイン「カバ」についてあれやこれや書いてみたい。

まずはスパークリングワインについての基本のお話から。
スパークリングワインで有名なのは、何といってもフランスはシャンパーニュ地方で作られるご存知シャンパンである。
シャンパーニュ産以外のフランス産スパークリングワインは「ヴァン・ムスー」と呼ばれ、決してシャンパンという名で呼ばれることはない。

スパークリングワインがシャンパンとなるためには、以下の二つの条件を満たさねばならない。

・シャンパーニュ地方で生産されるスパークリングであること(当たり前)
・瓶内で二次発酵すること
(他のスパークリングの場合、二次発酵をタンクで行ったり炭酸ガスを後から注入するものが多い)

これらを条件を満たしたものだけが晴れて「シャンパン」を名乗ることができるのだ。

さて、所変わってスペインである。
スペインでは、スパークリングワインのことを「エスプモーソ」という。
その中でも、

1.シャンパンと同じく瓶内で二次発酵する

かつ、

2.最低でも9カ月貯蔵熟成したもの

をカバCAVAと呼ぶのである。

スペインも、フランス、イタリアと同じくワインに関して原産地呼称制度を採用している。
しかし、カバに関しては上に書いた製法の要件を満たしていればOKなそうで、特別な地域指定はないらしい。
これがシャンパンとの違いである。
ちなみに主な産地はカタルーニャ州。
カバ全体の95%の産出を誇っているのだそうだ。

つまりだ。
カバはほぼ、スペインのシャンパンだとご理解いただければよい。
なのだが、シャンパンに比べるとスペインのカヴァはコストパフォーマンスに優れているとの評判が高い。

他、カバに関する薀蓄を箇条書きにて以下羅列する。

・カバとは、その主な産地であるカタルーニャ州の言葉で「洞窟」または「地下蔵」を意味する
→つまりcaveの意なのですね。

・カバの歴史は、カタルーニャ州ペネデスのワイン生産者ホセ・ラベントスが、シャンパーニュで学んだ技術と醸造機器を故郷に持ち帰ったことに始まる。
彼はペネデス地方固有の品種を用いてシャンパーニュの技術を応用し、1872年にカバを誕生させた。
→その発祥からしてカヴァはシャンパンに負うところが大きいのだ。

・スペインのスパークリングワインには、他には
Granvas(グランバス)=カバとは異なり二次発酵は大きなメタル製のタンクで行なわれる(シャルマー方式)
Gasificado(ガシフィカード)=後から炭酸ガスを吹き込んだワイン
などもあるが、90%以上がカバの製法、つまり瓶内で二次発酵する方法で作られる。

以上、カバに関する薀蓄でした。
色々調べて書いているうちにスパークリングが飲みたくて仕方なくなってしまった。
早くセグラ・ビューダス届かないかなー。

|

■楽しい健康診断

今日は健康診断日。
前もって出されていた指令どおり、朝御飯を抜いていつもより1時間早く家を出る。
通勤ラッシュのピークに巻き込まれ、只でもヘタレの私は朝から気息奄々となる。
大学最寄り駅~大学まで続くだらだら坂(上り)では、途中逆向きにころころ転がり戻ってしまいそうになった。
途中、こんな状態で採血されて分析されたら、正職員の採用取り消されるのではあるまいかという嫌な予感が胸を掠める。

決死の思いで辿り着いたのは保健センター。ここで健康診断を受けるのである。
受付済ませて待つこと5分、白衣のおねえさまに名前を呼ばれた。

「ぴこらさーん」

「はいはい」

「ここで、身長と体重を測定します」

見ると、それは最新式と思しき立派な機械であった。
よいしょと乗っかると、瞬時にして身長と体重が計れてしまうというお利口さんである。
惜しむらくは、電光掲示がばばーんと大きく前に張り出されていて、周囲の人に丸見えなことであろうか。
さりげなくその掲示版にカーディガンをひっかけ、いざ乗ってみた。
#さりげなくはないですね。

ちなみに、私、体重は…kg(いくらネットだからってカミングアウトはしません)、身長は148cmである。
しかし、この前家で計ったところ、149cmになっていて大変気をよくしていたのだ。
この歳になって伸びるってことも、ひょっとするとあるかもしれないではないか。
やーん、夢の150cmになってたらどうしよう??

ちょっとした期待と共に測定器に乗り、待つこと数秒。
数字が現れた。
「体重 …kg」
(これは、まあ、服を着て乗っていることを勘定に入れるとそうだろうなあ的数値であったのでまあよし)








「身長 143cm」






はいはいはいはい。ちょーっと待って。

私が正式に身長を測ったのは丁度1年前のこと。
その時はきちんと148cmあった。
つーことは私は1年で5cm縮んだってことですか。
でもって、あと30年したら私はなくなるということですか。
そりゃまた、どこぞの地盤沈下より酷い下降率である。

…いや、しかし待てよ。
数字は数字だ。ましてや最新式の機械様が叩きだした数字である。
ひょっとしたら、今までの測定の方が悉く間違いで、実は私はずっと143cmだったのかもしれない。

心は千々に乱れつつ、血圧測定器に向かう。
血圧は上120、下80であった。
世の人にとってみれば普通の数字なのかもしれないけど、低血圧気味の私としてはあるまじき高い数字である。
しかし今、血圧の値などどうでもよかった。
あの身長の値は本当に真の我が身長なのであろうか?
そのことばかりが胸を去来する。
#後から考えるに、この精神状態こそが高血圧の原因であったと思われる。

お次は視力測定。
これまた完全機械式で、画面を覗き込んで、そこに映る例の「C」マークのどこがオープンしているかを
ジョイスティック状のコントローラーで指し示すようになっていた。
(分からない時のための「?」ボタンもあり)
私はコンタクトこそしているものの、かなりの近眼なので矯正視力でもいつも0.6程度しか出ない。
この機械での測定においても、そもそも「C」マーク自体を見つけることが出来ずおろおろ画面を探し回ったりしたので、
さらに度は進んでいるものと思われる。

?ボタンを押し捲って測定終了。こりゃあ、結果きっと凄まじいことになってるな。
ちょっとびくびくしながら結果が印字されるのを待つも、いつまでたっても記録紙は出てこない。

「あのう、この機械ちょっとヘンなんですけど…」

「…ああ、紙詰まってますねえ。すみませんけどもう一度やっていただけます?」

「えー」

でも仕方あるまい。
もう一度測定しなおす。
ぴー。がががが。

「…すみませーん、また紙つまっちゃいました。申し訳ありませんけど、もう一度やっていただけます?」

なんじゃそりゃ。
そもそもなかったやる気はこの時点で悉く消えうせ、三度目はコントローラーをたてたてよこよこ…などと
なんたらコマンドのように適当に動かした。
結果。



両目とも1.5









ますますやる気は消えうせた。

お次はレントゲン撮影ということで、狭い待合室にて大勢の人とともに待たされる。
…にしても、気になるのはやはり先ほどの身長の一件である。
やっぱどう考えてもおかしい。
意を決して、見ず知らずの隣の人に話しかけてみる。
「あのう、つかぬことをお伺いいたしますけど、身長と体重の測定のとき、身長、だいぶ低い値でませんでしたか?」
すると、

「そう!そう!そうなんです!4cmも低かったんですよう」

という涙がちょちょぎれるほど嬉しいお言葉が返ってきた。
すると、それに呼応するように、周りの人からも一斉に

「そうなんですよ、私も5cm低かったんです」

「私なんて6cmでしたよう」

「私も…」

という言葉が返ってきた。
ああよかった、やっぱり機械がおかしかったんだ。
この時周りの人から聞きだした誤差の平均値(約5cm)も私のケースと一致するし、これはもう間違いない。
ほっと胸を撫で下ろした私は、それからレントゲン技師さんに臨床検査技師さん、採血してくださった看護師さん悉くに

「さっき測定した身長値、おかしいから何とかしてください!」

と訴えた。
#レントゲン技師さんには何のことやら分からなかったと思われる。ごめんなさい。

そうしたら、最後に呼び出され、

「身長の値がおかしかったようですので、正しい値を申告してください」

と言われたではないですか。

「148cmです!」

嘗て、私がこの時ほど誇らしげに自分の身長を人に告げたことがあったであろうか。
いやない。

…ここまで書いてきて、自分の身長に対する思い入れ(コンプレックスと言い換えてもいいかもしれない)がけっこう強いものであったということをあらためて思い知らされた。
そこまで身長に対して敏感に反応したというのは、我ながら少々意外ではある。
でもさ。








体重はそのままで、身長は低くなるってそんな機械最低じゃないですか?






ま、何はともあれ、検査は終了した。
今はヘンな結果(ex.飲みすぎでγ-GTP値が異常です、等)が出ないことを祈るばかりである。

|

■桜に寄せて

大学構内の桜、ついに8~9分まで咲く。
毎朝のだらだら坂を登っての通勤はとってもだるいけど、最近は桜のお陰で楽しく歩くことができる。

どうも昔から桜、及び「桜」と名のつくものに弱い。
桜餅は大好きだし、(ブルーきちがいの割に)淡いピンクの桜色は大好きだし、
今ヒットチャート上位のケツメイシの「さくら」も大好きである。
#最後のはなんか違うが。
どう足掻いてみても、結局は私も正しい日本人なんだなあということを桜の季節のたびに思い知らされるのであった。

ここで私の敬愛して止まない金子光春氏の詩をご紹介する。
この詩、「若葉のうた」という詩集に収められている。
「若葉」とは、金子氏のお孫さん。
初孫が生まれて嬉しくて仕方がないおじいちゃんが詠んだ、そんな詩ばかりが集められている。
金子氏の詩集としては、異端中の異端なのだが(理由は、「金子光晴」をぐぐってみると分かります)
ま、おひとつお読みください。

「さくらふぶき」

夢でみた若葉は、さくらふぶきのなかに、花嫁の振り袖すがたで立ってゐたが
顔をのぞくと、やっと立ちあがる、まだあかん坊のままの顔だ。

あたりはしづかで、もの哀しいことしの春のかはたれどき
しあはせなんだねとたづねると、娘らしくその顔を袖にかくしてはにかんだ。

パパやママが若葉のしあはせを見送るさびしさの、その日はいつの先のこと、
その日にあへるすべもない祖父は、うば車を押しながらそっと祈る。
雨風よ。若葉をよけてゆけ。

うば車がしづかにうごくと、若葉は、まぶたを閉ぢる。
そのまぶたのうへに、一もとのうこんざくらが、とめどもなしに散りかかる。

…あー、なんかダメなんですよね。こういうの読むと。
娘さんを持つ親御さんなんかだともっとダメなんじゃないかしら。
「春」に「桜」というシチュエーションが絡んでくるから、より切なくなってしまう。

(注;さきほども書いたけれど、この詩で金子光晴氏の詩業を判断しないで欲しい。特に女性の皆さん。
この詩を彼のスタンダードだと誤信したら、必ず酷い幻滅を味わいますよ)

|

■東急ハンズ所感。

先日、心斎橋の東急ハンズに行った。

ハンズに行くと、いつもどうもヘンなものばかりに心惹かれてヘンなものばかり購入してしまう。
今までハンズで買ったけったいな代物の例を挙げると、

・羊皮紙
・プリズム(勿論、ちゃんとした理科実験用の本物。結構高かった)
・硝子の小石一袋(ブルーに透明のアソートセット)
・大理石の板

てなところである。
なので、私は本当はハンズにはあまり近づかない方が宜しいのである。
幸い昨日は誘惑に打ち勝ち何も買うことはなかったが、やはり心惹かれるモノはたくさんあった。
以下、私を誘惑したモノたちをご紹介しよう。

・アクリルの球体、立方体

透明アクリル素材の何てことない球体に立方体である。
どうも、透明な素材で作られたモノ(透明ブルーであれば尚良し)には昔から弱いのだ。
え?その球体に立方体、何に使うのかって?
勿論、そんなものに使い道なんてある訳ないではないですか。
こういうモノはただ手元に置いて時々眺めるだけで存在意義があるのだ。
球体のものだと、うまくしたら眺めていると自分の未来が映し出されるかも知れませんしね。

・硝子ブロック(6800円)

綺麗なソーダ色、かつ、気泡が入った大変美しいものである。
これは本気で購入しそうになった。
え?使い道?
だからそんなものありませんってば。

・バルサ材

木材コーナーにて発見。
バルサといえば、かの有名なT・ヘイエルダール氏が古代の筏を再現した「コンティキ号」に用いた素材である。
このバルサでちょっとしたテーブルなんかを作ると大変お洒落だろうなあ。
#技術家庭科の成績、万年「2」だったくせに何をいっておるのだ。

・アルコールランプ

ランプ本体に換え芯、燃料のアルコールがセットである。
こやつで自分の部屋にてコーヒーでも沸かせばなかなか宜しいのではないか、という夢想がふと浮かんだが、まあうちには台所がちゃんとあるんだから何も七面倒くさいことすることないよな、と思い直す。
でも、アルコールランプで何かちょこっと調理するのは大変楽しそうである。
ちょっとしたキュリー夫人気分を味わえそうですしね。

・ウェンガーナイフ(ヴィクトリノックスのものではないよ)

ウェンガーナイフとは、赤くて小さなスイス製の万能ナイフである。
このナイフ、1939年に生産が開始された後、その実力は直ちに人口に膾炙するところとなり、すぐさまスイス陸軍にて正式に採用された。

しかし何といっても、このナイフの雷名が轟くきっかけとなったのは第二次世界大戦中のアフリカ戦線での出来事であろう。
この戦線は膠着状態を呈していたが、ある時前線にいた一人のイギリス兵が壊れた無線機をウェンガーでちゃちゃっと応急修理し、とある情報を打電したところこれが大当たり。
見事連合軍を勝利に導くことになったのだという。
後にこのことを知ったかのチャーチルは、このナイフを称え「小さな、偉大な戦士」と呼んだとか。
#個人的には、この賞賛は無線機を修理した兵士の技術、及び機転に帰せられるべきだと思うのだけど。

最近、万能ナイフは類似品のヴィクトリノックスのものを見ることが多く、ウェンガーはめったに見ることはない。
(時計はよく見るのだが)
しかし昨日のハンズでは、久しぶりにウェンガーを見ることができた。
けど、並んでいたのはあのトレードマークの赤い柄のものではなく、黒やらグレーやらの渋いカラーのものであった。
でもいいよなあ。欲しいよなあ。
このナイフにまつわるドラマ(上記のものね)にも惹かれるし、また、何があるか分からない世の中だから
(ex.ある日突然大災害が起きてサバイバルな状態に放り出されるとか)、
カバンにこの小さく偉大な戦士を忍ばせておくというのもいいよなあと思うのである。
備えあれば憂いなしですしね。

でも、このナイフ、優秀なだけあってお値段もなかなかよろしい(7000円くらい)。
酔狂だけでほいと買うにはちょっと勇気のいる価格である。
でも、多分いつか買ってしまうような気がする。

…やっぱり、私はハンズには近寄らないほうがいいようであるな。

|