新潟/佐渡紀行(vol.13 8/22・村上グルメに村上市内、そして旅の終わり)

さてさて。

ソフトを堪能した後は再び村上市に戻った。
「悠流里」なるお店でごはんを食べようという算段だったのだが、丁度お昼時で店は地元の人やら観光客でいっぱいだった。
とはいえ、待っているのが一組だけだったのでおとなしく待つことにする。

ほどなく席に案内され、メニューを紐解く。
ああ、美味しそうなものがいっぱいだ。
どれもこれも食べたい。
これほど真剣になることは昨今そうはねえな、と自分で感心したほど熟慮した上、選び抜いた料理は以下の通りである。

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岩牡蠣フライ

高級な岩牡蠣をフライにするとはまあなんと贅沢な。
味は、うん、普通に美味しかった。
でもやっぱり岩牡蠣は生がよい。(ごめんなさい)
しかし「真夏に牡蠣フライが食べられる」という愉悦を味わうことができるのは岩牡蠣フライならではだとは言えよう。

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はらこ飯

村上来たらやっぱはらこでしょう。
この時期はシーズンオフもシーズンオフ、最悪に近い時期だったが、それでもやっぱり村上のはらこは美味しかった。
今度は秋のとれとれを食べてみたいな。

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村上牛の陶板焼き
(写真は焼いてないけど)

鮭(はらこ)と並び、村上のグルメの双璧をなす村上牛。
蕩けました。瞬殺しました。
量は少なめだったけど(もとい、お財布の都合で少なめしか食べられなかったけど)これだけ脂が乗ったお肉は少量で十分満足できる。

これらをノンアルコールビール(ああ恨めしいったら)で平らげお腹一杯となった後は、村上の街を少々探索した。

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酒屋さん。

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軒には鮭が干してある。流石は村上。

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だそうです。村上小の皆さん。

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お茶やさん、「富士美園」。
天井の高い、囲炉裏のあるお座敷でお茶を頂いた。

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この日は暑かったが、このお座敷はよく風が通りまことに快適であった。
やはり伝統的日本家屋というものはよく考えて作られている。
お茶もまことに美味であった。
頂いた後は一飯の礼、ならぬ一茶の礼ということで、お土産に抹茶きんつばを購入した。

その後は村上の名湯、瀬波温泉へ。
日帰り入浴施設「ゆ処 そば処 盤舟」で汗を流した。

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(この日も私以外誰もお客はおられませなんだ)
日本海を見晴るかす露天風呂が気持ちよい。
風呂上りにビールが頂けたらもっと気持ちよかったのだが。
(しつこい)

瀬波を出た後はいよいよ帰路に着くべく新潟空港へと車を走らせた。
空港で車を停めて、デスクのボックスにキーを放り込んでレンタカー返却完了。
えらいざっかけな返し方なので、これでよいのかちょっとどきどきする。
普通、空港返しってこんな感じなんだろうか?

最後に売店で家用の甘味系お土産を購入した。
・笹団子
(定番中の定番)
・枝豆大福
(枝豆ずっしり、なかなか旨い)
・越の雪
(美味しいお茶を淹れて食べると至福)
私自身は甘いものはさほど得手ではないのだが、両親が大変に好むのでいつも旅行の際には幾つかその土地の銘菓を買って帰ることにしている。
本当は二人とも血糖値が高かったり高血圧だったりするので、余り宜しくないのだが…

ところで、在新潟中から一つずっと疑問に思ってたことがある。
新潟の有名なお菓子屋さんに「大阪屋」という名のお店があるのだが、このお店、新潟なのに何故大阪を名乗られるのであろうか。
という訳で、今回調べてみた。

初代、岡嘉平は、当時、彦根藩領であった近江の国犬上郡石畑村(現滋賀県犬上郡豊郷町石畑)に生まれ育ち、長じて志しを立て、大阪に出て菓子修行を行いました。これが社名の由来と伝えられています。

成る程、初代さんが大阪出身という訳ではなかったのですね。
ここのお菓子も色々と美味しそうなのだが、どうもこの屋号のお菓子を大阪に土産にするのはへんなー気がして一度も買ったことがない。

さあ、そうこうしているうちにいよいよ搭乗である。

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さよなら新潟

飛行機の中で寿司でも食べようかと物色したが、折詰らしきものはなかったので、仕方なく笹川流れで仕入れたスモークサーモンとイカ焼き、そしてビール(待ち焦がれたぞえ)で機上プチ宴会をしたのであった。
どこに出しても恥ずかしくない立派なおっさんである。

これにて長々と続けてまいりました新潟、佐渡旅行記は終了です。
ご清聴、誠に有難うございました。

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新潟/佐渡紀行(vol.12 8/22・村上・笹川流れ)

さて遂に新潟滞在、最後の日である。

今日は比較的(佐渡出発前の4時起きに比べれば、という意味だが)ゆっくりの出立であったので、宿泊したコンフォートホテルのウリの朝ごはんを食べることができた。
ラインナップはパン各種、おにぎり各種(コンビニタイプではなくのりが最初からくっついてる手握りタイプだった)、おかず少々、スープ2種。
ビジホの朝ごはんとしては大充実だと思う。

おにぎりを二つ頂いていざ出発。
この日は北へ車を走らせた。
向かうは村上市、そして笹川流れだ。
笹川流れ、といっても渓流ではなく、奇岩が居並ぶ海の眺めをそう呼ぶのであるらしい。
なんでも、岩の間を盛り上がるように流れる潮流を「流れ」と言い表したのだそうな。

幸いなことに、天気予報に反してお天気はすこぶるよい。
残暑の陽射しを浴び、見渡す限りの稲田の中、一本すっと伸びる「東北日本海道路」を突っ走るのは非常に気持ちが良いものであった。
この眺めは、当たり前だが近畿では到底味わえない。
(運転中のため当然写真はございませぬ)

村上に到着し、更にシーサイドラインを北上す。
ここらへんの海の透明度は大したものだ。

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30分ほどで目的地、笹川流れ遊覧船乗り場に到着。
この船から奇岩の眺めを堪能するのである。
では暫し風景をお楽しみ下さい。


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岩を縫うトンネル続きの線路を、カラフルな列車が通過して行った。

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船内の注意書き。
つかまえられるんですかい。

正直、岩にはさほど興味はないのだが(ここまで写真ばしゃばしゃ撮っておいて身も蓋もないこと)、再び三たび海の透明度の高さには驚かされた。
流石は日本海。

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下船して、ふと見ると売店にいかにも旨そうな海の幸たちが売られていた。
帰りの飛行機用にとちょこちょこと買う(当然飲む気まんまんである)

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その後立ち寄ったは「道の駅笹川流れ」。
ふと見ると「日本海ソフトクリーム」なる張り紙があるではないか。
やあやあ出たな怪しいソフトクリームめ。
出会え出会え。

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なんだそうな。
フレーバーは案外普通のようだ。
では早速買ってみよう。

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色は日本海をイメージしたとのことで、ほんのりブルーである。

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日本海と日本海ソフトクリーム。美しい。

色は想像したほどどぎつくはなくほんのりラムネ色。
味は、バニラと塩だけではない何かの風味を感じた。
かき氷のブルーハワイだろうか。


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誇大広告の例
(ここまで青かったら多分食べない。
いや、やはり怖いもの見たさで食べるかも)

つ づ く の よ

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新潟/佐渡紀行(vol.11 8/21・新潟最後の夜の宴)

さてさて。

カーフェリーの中でうたたねしたり、放映されていた某24時間テレビにいらついたり(あの番組本当に嫌いやねん)しているうちに新潟に到着。
タクシーで本日の宿(前回に引き続きコンフォートホテル)に着きチェックインし、続いて予約しておいた本日の食事処へと向かった。

食事処の名は「いかの墨」という。
新潟名物が食べられ飲めるお店であり、且つネットでの評判もなかなか宜しかったので白羽の矢を立てた次第である。

店に入ってみると、エントランスも内装もなかなかに現代和風(って何だ)的にこじゃれている。
綺麗なのは嬉しいが、この手の店は当たり外れが激しいのでちょっと心配になる。

お座敷に上がり、先ずは飲み物を物色していると、新潟銘酒15種類が2時間飲み放題で1500円!という私ホイホイなキャンペーンがあったのでじゃあそれ、と注文する。

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飲んだのは麒麟山に緑川、吉ノ川、〆張鶴に北雪…以下忘れてしまった。
取り敢えず、元は十分過ぎるくらいに取ったのは間違いあるまい。

そして食べ物。

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突き出し。なかなか美しい。
かきのもと(紫色の食用菊)、久しぶりに食べた。

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何度食うねん、な刺身盛り。
しかし何度食べても旨いものは旨い。

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そしてこれを食べたかったのよ、な岩牡蠣。
新潟の夏のこれ食うとけグルメ、第一位である(私独断)
ミルキーでぷりぷりでちゅるっちゅる。
くはー、生きててよかった(おでこぺしーん)

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これも、食うとけグルメの上位にランキングされること必定ののど黒。
シーズンは秋からだというが、それでもしっかりと乗った脂の旨味を楽しむことができた。

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鯨の脂身の味噌漬け。
これまたこってりと味くーたー(味わい深い)で、それでいて日本酒に合うのだ。

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肉っけも欲しくなったので名物だというつくねを頂いた。
ふむ、名物だけあってなかなかいける。

これだけ飲んで食べていると、そろそろお腹もくちくなってきた。
普段「飲んだあとの〆」として炭水化物を摂る習慣はないのだが、ここのメニューには魅惑的な海の幸尽くしの釜飯がずらっと並んでいる。
これは頼まざるを得ない。
そこで注文したのが雲丹にイクラ、鮑の豪勢な釜飯。


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どうです美しいでしょう。

味付けも濃いめで酔っぱらいの舌には大変好ましいものであった。
ここらへん、よく分かってるねえ。

店構えを見たときの不安はどこへやら、大変結構なお店でありました。
今度新潟に行くことがあったら必ずリピします。
母とか連れて来たいなあ。

これにて新潟最後の夜は終了。
明日はいよいよ大阪に帰る。
…の前に、またもやがっつり新潟観光をしたのであるが…
その模様は ま た 次 回

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新潟/佐渡紀行(vol.10 8/21・金山観光にお師匠様のおうちなど)

さてさて。
次なる目的地は佐渡の観光のメッカ、金山である。

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佐渡金山の観光コースには、江戸期に掘られた宗太夫坑コースと明治以降の道遊坑コースの二つがある。
両方周りたいのはやまやまだったが、皆様との待ち合わせの時間もあったので古い方がよかろうと宗太夫のほうにしておいた。


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坑道をゆく

中は涼しいが湿度が高く、薄暗い中ではリアルな薄汚れた工夫の皆さんの人形がえっちらおっちら働いておられて少々おっかなかった。

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資料館には、手だけを入れられるよう丸い穴が開いたプラスチックの箱があり、中には12.5kgの金の延べ棒が入っていた。
この穴から延べ棒を取り出せた人には記念品が贈呈されるらしい。
というのは、後ほどお師匠様の奥様から聞いた。
私ははなからあんなの取れるわけないじゃーんと思っていたが、取れるもんなんですねえ。驚きである。

「…そしたら、取れたら持って逃げちゃえるんですよね?やろうと思えば」
「いいえ、あそこはテレビカメラで監視されてて、取れそうになったらちゃんと人がやってきて監視するんですよ」

成る程。
一攫千金の夢は潰えた。
(元から夢見てませんが)

金山を見学し終わった後は、一路皆様との待ち合わせ場所に向かう。
落ち合ったのはこの日の昼食処「貝の口」。
ナポリタンが出てきそうな古き良き喫茶店といった趣のお店であった。

ここで頂いたのはナポリタンではなく海老フライ定食。
前日長浜荘で頂いたのと同じく、比較的スリムな海老ちゃん達の海老フライである。
そしてお味は、長浜荘と同様、いや揚げたてだったので長浜荘以上に美味しかった。
結論:佐渡の海老フライは旨い
(調査人:私、調査サンプル:2点)

食後はお師匠様の住む集落(でいいのかな?)、稲鯨へ。
まずはご挨拶代り?に三線ゲリラライブをやるというので、ぺーぺーは非常に焦った。
しかもゲリラ故立ったままの演奏となったのだが、おばちゃん立って三線弾くのなんか初めてだったのであわあわしてしまった。
そして、あわあわしているうちに演奏は終了と相成った。(だめだめ)
もっとちゃんと修業しなきゃねえ。

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その後はお師匠様のお宅へ。

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どどーん。
立派な看板だ。

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この三艘は全てお師匠様の船である。
お師匠様の本職は漁師さん。
世に名高い佐渡牡蠣の養殖をされておられる。
私も二度ほど取り寄せさせて頂き食したが、実に美味しい牡蠣であった。

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いつもこの部屋からテレビ電話でご指導頂いている訳である。

お宅を拝見した後、少し外を歩いてみた。

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かわいいコに出会った。
虎視眈々とむいむいを狙っている。

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いくわよ。

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とりゃ。


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ばりょばりょばりょばりょ
(苦手な人ごめんなさいよ)

にゃんこのおやつタイムを拝ませて頂いた後は、集落を散策してみた。

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細い路地を見つけて歩いて行くと、神社を見つけた。
写真を撮ろうとカメラを構えたところ、上から降りてこられたおじさまに声をかけられた。

「ここ、天神さんを祀ってるんだよ。北野天神さんなの」
「ほほー!そうなんですね」
「ほら、この狛犬珍しいんだよ。子供つれてんの」

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(分かりにくいかもしれないが、足下にちょこんといる)

「あ、ほんとだ」
「由緒正しい神社さんなんだよう」
「本当ですね。ではちょっとお参りしてきます」

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小さな本殿は修理中らしくなにやら囲いがしてあったのが残念だったが、旅の安全を祈念して手を合わさせて頂いた。

これにて佐渡の旅の全行程は終了。
皆で両津港に戻り、お師匠様と奥様にお礼とお別れを告げ、再びカーフェリーの船上の人となったのであった。

まだ つ づ く よ

(おまけ でーじ仲良しのにゃんこず)


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新潟/佐渡紀行(vol.9 8/21・佐渡観光続き)

佐渡、二日目である。

まずはさておき朝ごはん。

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シンプル且つノーマルなラインナップである。
昨日のエクストラヴァカンツァのあとではこれ位が丁度よい。
お米が大変美味しかった。

この日の午前中、若人&お師匠様は昨日の公演のエキシビジョンとして公民館で三線演奏なさるとのことであった。
そこまでの腕はない(どころの話ではないが)私は、再びお師匠様の車を借り佐渡観光の続きをさせて頂くことになった。

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シーサイドドライブ途中、路傍に咲いていた向日葵。
向日葵と海の取り合わせって実に絵になりますね。
でも傍らの叢では秋の虫が盛んに鳴いていた。
佐渡の秋は早い。

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名勝地、尖閣湾。
この湾の透明度の高さに峡湾の眺めは日本でも随一である、らしい。
(とか案内のお姉さんが仰ってたと思う。たぶん)
遊覧船と海中透視船の二つが出ているが、今回は海中透視船の方に乗ることになった。

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確かに海が透き通っている。

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荒海に食まれた切り立った岩々。

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漁村の「姫津」。
海産物直売所が見えた。後で行ってみよう。

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イカ釣り漁船の数々。

帰りは海中のお魚ウォッチポイントへと赴く。

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確かに透明度は大したものだ。
(写真故ボケボケだが)
クロダイが泳いでいるのも見ることができた。食べたい。

下船後は、先程船から見えた海産物直売所に行かんと漁村、姫津に出かけた。

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のんびりとした空気が流れている。
でも、沖縄の漁村ののんびりぶりとはやはり少し違う。(当然)

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あちこちでイカを干していた。
これらが発散する匂いだけで日本酒一合はいけそうだ。
(でもやっぱり本体が欲しい)

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マンホールにも尖閣湾遊覧船。

直売所でイカの一夜干しにイカの沖漬けを購入し、大阪に送って再び出発。
次なる目的地は佐渡といえばここ、という皆様もご存知のあそこである。

写真ばっか載せて長くなってしまったので
次回に つ づ く

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新潟/佐渡紀行(vol.8 8/20・真野観光(その2)、海の幸晩ご飯、そして佐渡おけさ))

さてさて。

歴史伝説館でジェンキンズさんにお会いした後は、真野御陵へ。
先程、伝説館でもお見かけしたお気の毒な順徳天皇の陵墓である。

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石造りの柵こそ立派だったが、中は木が鬱蒼と生い茂り静かで寂しい場所であった。

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伝えられる所によると、彼は在島21年の長きの後、もうこれ以上命は永らえたくないと自ら断食し、最期は頭に焼石をあてがい絶命したという。
ここで眠る君は未だ都を儚んでいるのであろうか。

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり

尤も、彼の遺骨はその後京都は大原に持ち帰られたという。

そして次に向かったのは真野酒造。
佐渡の銘酒「真野鶴」で知られている。
行った際には既に店仕舞いかけであったが、まだいけますかー?と声をかけると快く招き入れてくださった。

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ここで真野鶴をはじめ、自分用、そして友人達への贈答や土産用の酒をごっそりと買い込む。
酒造限定の大吟醸なんかあったら、そりゃ買わせて頂くっきゃないだろう。
(でもこれは自分用。ごめんね友人達)
ただ一つ、運転手の悲しさで試飲ができなかった事だけが心残りである。

以上で観光を終え、今宵の宿に向かう。
宿の名は長浜荘。
大きな生簀があることで有名な料理旅館、であるらしい。(るるぶ調べ)

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確かにあった。

ここで先ほどの若人やお師匠様と再合流し、いよいよ宴の始まりとなった。

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宴会するで!的雰囲気に満ち満ちている。
(奥に見えるはお師匠様です)

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窓からの景色も絶品である。

さて、ここからは怒濤のご馳走攻めだ。

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どどーんと舟盛り。
地物のヒラメやマグロ(地物のマグロって驚きだ)、南蛮海老に鮑(ふはははは)がずらっと並ぶ。
どれもこれも言わずもがな、最高に旨い。

他にもカニや海老フライ(冷めていたが妙に美味であった。不可思議千万)、茶碗蒸しにサバの味噌煮、しかも一人一つの寿司桶までどどんと並び、お膳は文字通り立錐の余地もなくなった。
こうも品数が多いと、各個撃破する前に、勿体ない話ではあるがどれを涙を呑んで諦めるか、という戦略を立てねばどうしようもない。
深考熟慮の末、サバの味噌煮とカニちゃんは少し頂くだけに留めておいた(ごめんね)

魚はどれもこれも絶品であった。(当たり前)
流石は佐渡沖に近い地だけのことはある。(ひどく当たり前)
途中から日本酒も供されて万々歳。
ああ、佐渡の夜は楽し。

宴が一段落したところで、お師匠様が車を出してくださり皆で乗り込んだ。
向かうは先の「アース・セレブレーション」の会場の小木。
ここでは、かの有名な佐渡おけさ流しが行われているのである。

会場に着くと、雨がぱらついていたにもかかわらず既に通りは踊る人々で埋め尽くされていた。

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同じなんちゃらなら踊らな損損、と、よく分からぬままに列(輪ではなく列なのだ)に飛び込んでみる。
佐渡おけさの振り付け、そしてステップは大変難しく、最初は皆目理解できなかったが、そのうち上手い人をロールモデルにして見よう見まねで「もどき」ではあるが踊ることができるようになった。

なんとかついていけなくもない感じになってきた頃、小降りだった雨が本格的に降り始めた。
普段の私なら濡れるのは嫌なので直ぐに軒下に引っ込むのだが、その頃にはおけさがどうにもこうにも何かのツボに入ってしまったらしく、びしょびしょになりながら延々とえっちらおっちら踊っていたことであった。
帰りに誰かが軽くトランス状態になったよねえ、と言っていたがまさしくその通り。
すべからくこういうドメスティックな踊りは、脳内深くに刻まれたプリミティブなスイッチをオンさしめるものであるのかもしれない。


さて、以後は若い人から聞いた話。
このおけさの輪、じゃなかった列の中には、なんとマスター・オブ・おけさの「佐渡の壇れい」がいたのだという。
彼らはこの壇れいから踊りの手ほどきを受けたそうだ。

「…へえ、壇れいに似てたんだ。そりゃ美人だったんだね」

「いえ、ちっとも似てませんでした」

「…?」

「なんていうか、雰囲気が壇れいだったんですよ」

「…ふーん…」

雰囲気壇れいなら、全国に自薦・他薦合わせて100万はいそうだが(それは多いか)、この佐渡の壇れいはそんじょそこらの張三李四の壇れいとは一味違う。
なんてったって彼女はマスター・オブ・おけさなのだ。

そしてこの佐渡の壇れい(面倒くさいから以下略して佐渡れい)、難しい踊りに手こずる若人たちを忍耐強く、優しく、そしてじっくりと指導してくれたのであるらしい。
そりゃあもう、本物の壇れいのように忍耐強く優しく。
(あくまでイメージです)

いたく感激した若人達、しまいには琉球民謡「唐船ドーイ」のメロディで佐渡れいに捧げる一曲を即興で作り、帰りの車の中で大いに歌い彼女に感謝と敬意を捧げていた。
その中では「佐渡の壇れい♪でーじセクスィーしにセクスィー♪」なるフレーズが繰り返される。
まこと、若者らしい純粋な感謝の念に満ち溢れているではないか。
おばちゃんは感動し、その後彼らと共に高らかに唱和したのであった。

しかしおばちゃん、大阪に帰ってきて暫く経った後もこのフレーズがなかなか頭から離れず難儀した。
職場では「でーじセクスィー」の「でー」まで口に出かかったし。
若人が作る、しにキャッチーなフレーズには強力な伝播力があって困ってしまう。
※でーじ、しに:ウチナーグチ(沖縄方言)でいずれも「すごい」位の意。

宿に帰って後は、夕ご飯の残りの刺身にミミガージャーキー、ポッキーという闇鍋のようなラインナップのつまみを囲み皆で飲み、語り明かしたのであった。
就寝は午前1時。(意外と健全だな)
大部屋に男女雑魚寝という、大学のサークル以来のざっかけぶりであった。
#いや、サークルでも男女部屋は違ったぞ。(当然)
いやー、でーじ青春、しに青春。

次回に 続 く

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新潟/佐渡紀行(vol.7 8/20・お昼ご飯に真野観光(その1))

さてさて。

そんなこんなでアースセレブレーションのステージはめでたく終了した。
ほっと一息ついた後はお昼ご飯である。
先ほど練習していた宿根木集落内に戻り、船主の納屋をリフォームしたという趣ある「茶房 やました」さんで美味しいパスタを頂いた。

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テーブルはかの有名なたらい舟をアレンジしたものだ。

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まずはサラダ。
かぼちゃ旨い。

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ホタテとボッタルガのオイル系パスタ。
シンプルに旨い。

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食後はお抹茶とお菓子でほっと一息。

宿根木の街並。
ここは佐渡金山が華やかなりし頃、廻船業の集落として発展した集落である。
間口が狭い家が多いが、どの建物も趣がある。

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午後からは自由行動となる。
まずはアース・セレブレーションの一環であるフリーマーケットを一巡。
なかなかワールドワイドな品揃え、そして顔触れである。

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ここでは藍染のタンクトップ(1,000円也。格安)、そしてガラスのモチーフのついたブレスにチョーカーを購入した。
嗚呼、何故かくも私はガラスの装飾品(勿論ブルー限定)に弱いのであろうか。

その後はお師匠様の車をお借りして「真野地区」へ。
まず向かったのは「佐渡歴史伝説館」だ。

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佐渡の黎明からの歴史に関する資料があるのか、と思いきや、そのテーマの殆どが遠流のやんごとなかったりやんごとなくなかったりする方々であることに驚いた。

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堂々と「遠流の地」と書いちゃうのは観光地イメージ的には如何なものなのか。

更には、その方々(と周囲の人々)が実にリアルなロボット人形で再現?されていることにも驚いた。
しかし、順徳天皇が都を儚む詩を詠み、堪えきれず(と見えた)くるっと背を向けたり、おつきの側女(或いは皇女か?)が傍らでよよよと泣き崩れたり、死にそうな老体の世阿弥が必死で雨乞いの舞を舞ったりしているのを見ると、やはり佐渡のイメージ的にこれは果たしてよいのだろうかと思ってしまったが、ま、史実は史実だし、これでよいのだろう。

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背を向ける順徳天皇。おいたわしい。

かような演出を堪能し(何か違うけれどそれはさておき)、館外に出るとお土産物屋さんが控えていた。
そこでの一番の売りは、伝説館オリジナルだというおせんべいである。
味見をさせて頂くと、ふむ、よくある(といえば失礼だが)甘いさっくりしたおせんべいだ。
ときに、横でこのおせんべいの箱を整理している年老いたガイジンさんの男性、どっかで見たことがあるなあ。誰だっけ。

「このおせんべい、売り上げの2%が拉致被害者の皆様のために使われるんですよ。
ほら、あそこのジェンキンズさんも販売に携わってらっしゃるんです」


そうだー!
ジェンキンズさんだー!!
ジェンキンズさんだったー!!

思わず一緒に写真を撮って頂いたことであった。
ミーハーですまない。
どこに謝ってるんだか知らないが。

2

ありがとうございました

次回につ づ く

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新潟/佐渡紀行(vol.6 8/20・佐渡、そしてアースセレブレーション)

さてさて。

そんなこんなで船に乗る事2時間半、午前8時半に佐渡に上陸した。

船を出ると、見慣れてはいるのに初対面のお方がにこにこと出迎えて下さった。
この方こそだれあろう、我が三線のお師匠様、髙野先生である。
私とお師匠様の出会いについては誰しもあっと驚く数奇な経緯があるのだが、ただでも長い話がうんと長くなるのでここでは割愛させて頂くこととする。

という訳で詳しい話はさておき。
ネット上でご指導頂き早や10か月、途中私の仕事の都合で長く中断した時期もあったにもかかわらず不肖の弟子を忍耐強く三線の世界に導いて下さったお師匠様には、私は文字通り頭が上がらないのである。
まこと、お師匠様という存在は有難いものだ。

今回の佐渡行きは、佐渡で開催される音楽やらその他諸々のイベント
「アース・セレブレーション」
に参加するためのものであった。
とはいえ、生半可な練習しか積んでこなかったぺーぺーの私が突然ステージなどに乗ることができる訳はなく、お師匠様、そしてお師匠様と一緒に練習を積んできた新潟の三線グループの皆さんの刺身のツマ(いや、そんなにいいものではないな。ちりめんじゃこに混ざってるちっちゃなカニ位が妥当であろうか)としてご一緒させて頂いた次第である。
手練れの皆様にとってはさぞかしお邪魔な存在だったことだろうと思う。ごめんなさい。

さて。
新潟三線グループの皆様も無事上陸し(同じフェリーに乗ってらしたのだ)、いよいよ出発と相成った。
まずは古くからの街並みが残る「宿根木」という集落の静かな湾にておむすび二つの朝ごはんを頂く。

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そして食べた後はすぐ練習。
わあ、みなさん本当に上手だ。
自分の下手さっぷりも身に染みたが、それよりも初めて複数の人と三線を合わせることができたことに嬉しくてどきどきした。

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なんか青春って感じの写真やおまへんか。

途中、ちょっと席を外したところ、すれ違った観光客と思しき方々が

「…あれ?なんか沖縄の音楽聞こえてこない?」

と訝しんでいるのを聞いた。
ま、確かに佐渡で突然琉球音楽が聞こえてきたら驚きますわな。

練習が終わった後はいよいよ会場へ。
会場は地元の「小木小学校」の体育館だ。
入り口には「フリンジ」との文字があった。
なんの房飾りか、と思いきや此方では「ステージ」的な意味で用いられているらしい。

ここで出番までしばし待ちを入れる。

待ちつつふと見ると、会場内に即席売店があるのが目についた。

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早速旨そうなものはねえがーと物色す。

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おばちゃんが売っていた凍りおけさ柿、一串100円。
(ぼけぼけ写真ごめんやしやー)
一口齧り、その余りの旨さと冷たさに悶絶しそうになる。
その後あちこちで探したが、ついぞここ以外では見つけることはできなかった。
やー、これはほんに美味じゃった。いつの日か是非また食べてみたい。

さて、そうこうしているうちにやがて我等の番が来た。

へっぽこの私は一人奥に隠して頂いた。

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ああお恥ずかしい。

曲目は「かぎやで風」、「安里屋ユンタ」、そして「唐船ドーイ」であった。
前2つはなんとか弾けるものの、最後の早弾きの唐船ドーイはまだまだゆっくりしか弾けぬので後ろでにこにことお囃子に徹していた。
オーディエンスの皆様におかれましては、なんだあの後ろに隠れてるおばちゃん、と思われていたに相違ない。すまない(あらゆる方面に)
しかし、私以外の皆さんはほんにほんにお上手であった。
私も真面目に精進せねば。

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新潟/佐渡紀行(vol.5 8/20・いよいよ佐渡へ。)

さていよいよ新潟旅行記、二日目である。

この日は、朝も早よから佐渡島へと渡った。
朝一のカーフェリーの出航時間は午前6時。
いつもの私の出勤時間(6時50分)よりも随分早い。
ちょっぴり、いやかなり二日酔いの働かぬ頭で5時前に起きだし、ぼんやりと身支度をしてチェックアウトを済ませ、タクシーを拾って一路佐渡汽船乗り場へと向かった。

カーフェリーには2等、1等ジュータン席、1等イス席、特等船室、そしてスイートルームの別がある。
ここを見れば全容が分かる)
特等やスイートルームはなかなか豪気だが、2時間半ほどの船旅にはいかにも勿体ない。
やんごとなきお方の御行幸などに使われるのであろうか。

如何なる意味においてもやんごとなくない私は、お師匠様(後述する)の教え通り1等イス席を選んだ。
なんとなく、片仮名の「イス」の字面から銀河鉄道999のような直立の木製のイスを想像していたのだが、案に反してリクライニングもオットマンも完備されたなかなか上等なイスであった。
おまけにこの日は海も穏やかで、思わず船上にあることを忘れそうであった。

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一等イスの全容(分かり難くてすまない)

出航後は二日酔いにもかかわらず、うれしの血が騒ぎ船内をあっちゃこっちゃ見て回る。

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食堂。
氷にビール、なんでもあるよ。

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二等客室。
文字通りの雑魚寝状態。
これはこれで楽しかったかもしんない。

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買い食いコーナー。
何故、人はアルミホイルでくるまれたおにぎりを見ると激しく欲望を覚えるのであろう
(私だけですかすみません)
食べたいのはやまやまであったが、お師匠様(だから後述しますってば)が朝ご飯におにぎりを用意して下さっているというのでぐっと我慢した。

因みにこの写真は、流石にかぶりつきで撮るのは恥ずかしかったので望遠で撮影した。
(どっちが恥ずかしいねんという話だが)

船のデッキでは、小さい子供が海に向かってスナック菓子を巻いていた。
それを目がけて必死でついてくるカモメたち。

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ヒッチコックの「鳥」とまではいかなかったが、結構な沖合いまで結構な数のカモメが追いすがってきていた。
世知辛い世の中、生きて行くって大変よね。うん。

まだ佐渡につかぬまま
次回につ づ く 


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新潟/佐渡紀行(vol.4 8/19・新潟グルメ!)

さてさて。

観光やら食やら、色々な角度から阿賀野川ラインを堪能したあとは一路新潟市へと戻った。
新潟駅前にてレンタカーを返却し、今宵の宿のコンフォートホテルにチェックインする。

今回の宿はお師匠様(後述します)にお勧め頂いた場所だ。
場所は便利で新しくて朝食ついてて(なかなか充実してた)、何よりも肝心なことに大変お安かった。
勿論その安さ故狭くはあったが、十分お値段以上ではあったと思う。

荷を解いた後はお待ちかねのディナーだ。
この日伺ったのは「新潟土筆」。
新潟在住時に何度か通った割烹である。

ネット情報によると、このお店も10数年経つうちに色々あったらしかった。
数年前、上にあった中華料理屋さんの失火により元のお店は全焼したという。
(皆様ご無事で本当によかったと思う)
その後場所を替えて再オープン。
現在は、大将とイタリアンを修業していた息子さん、そしてお母さんの3人でお店を経営されている、らしい。

新しいお店は、昔の純和風の佇まいとは全く違い実にモダンな雰囲気であった。
奥にはワインセラーも見える。
当初は、今宵は新潟のとれとれぴっちぴちの魚一点狙いだぜ!と勢い込んでいたが、店の雰囲気や他のお客さんのテーブルを見て(皆イタリアンを食しておられた)、一品ぐらいイタリアンを食べるのもいいかもしんないと思いだしてきた。
故に、日本酒に移行する前のアペリティフ、とりビー(とりあえずビール。説明不要ですね)の間にいっちょ頂いてみた。

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トリッパの煮込みである。
ほほう、これはなかなかではないか。
普通トリッパの煮込みにはお豆類がつきものなのであるが、これはまじりっけなしの徹頭徹尾トリッパのみの一皿であった。実に肉肉しくてよい。

味付けも大変私好みで、このままプリモもセコンドも頂きたい!と思ったのだが、ここは新潟、魚と日本酒の天国である。
なので泣く泣く次からは和食系をチョイスしたのであった。

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という訳で、何はともあれ刺身盛り。
ほんっとーに、何を食べても旨い。
特に印象に残ったのは新潟名物南蛮海老とつぶ貝の刺身であった。
前者はとろんと甘く、後者はこりこりとした小気味よい歯応えでまことに美味である。

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新潟来たらまずはこれでしょ・魚以外シリーズ・その1、茶豆。
最近は扱っているお店も増えたけど、やっぱり地のものは旨い。気がする。
豆の味がぎゅぎゅっと濃縮されている感がある。

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新潟来たらまずはこれでしょ・魚以外シリーズ・その2はこの「栃尾の油揚げ」である。
油揚げっつってもそんじょそこらの油揚げとは違いますのよ、奥様。
ふわふわでいて厚みがたっぷりあり食べでがある。
そして何より、原料の豆腐が旨い。
これは勿論、ただ炙っただけでも十分に美味なのだが、ここのお店では所謂「葱味噌仕立て」にしてあった。
葱は得手ではない私だがこれは別物。
日本酒を間の手に箸がとまらぬ。

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その間の手の日本酒はこれ。
新潟純米吟醸酒飲み比べセットである。
銘柄もちゃんと書いて下さっているのが嬉しい。
それで、どれが美味しかったかというと…
…どれもみなおいしかったです。はい。
(ブロガー失格)


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海老しんじょの揚げ物。
あんがとろっとかかった椀物ではなく、揚げてあるのが面白い。
中身の海老がぷりっぷりでこれまた逸品。

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海そうめん。
聞けば、海藻の一種であるらしい。
想像したよりもしっかりした歯応えに味がした。
普通のそうめんより断然好みだ。

以上、新潟土筆でのお食事であった。
あ、勿論日本酒も、上の飲み比べセット以外にも浴びるほど(修辞的表現)頂きましたよ。
ここのオリジナルの「越の万代橋」がその、ちょいと、乙なのである。
(池波正太郎風に)
他の地酒もどれもこれも旨うござんした。

で。
感想なのだが…
どれもこれも美味しく頂いたのだが、正直どっちつかずのお店になってしまっているなあと思った。
息子さんのイタリアンは至極まっとうなイタリアンで、日本酒に合うとかそういう方向を目指しているわけではなさそうであった。
(日本酒を造る米(山田錦系?)で作ったリゾット、とかいう面白そうなメニューもあったが)
つまりどういうことかというと、このお店に来た人は恐らく、和食かイタリアン、どちらかしか食さないことになりそうなのである。
それはそれで勿論結構なのだが、失礼ながらならば一緒におやりにならなくてもいいのに、と思ってしまった次第であった。

あと、和食(大将さんご担当)を頼んだ時のサーブの遅さも気になった。
確かにお年だしゆっくりにはなるのだろうが、実質客が私達一組(上記の通り他のお客は皆イタリアンを食しておられた)なのを考えると少し常軌を逸した遅さであった。
例えば海そうめんであれば、洗ってお出汁入れればすぐ供することができると思うのだが…

などと色々書いてしまったが、何度もいうようにお味は非常に好みであったので、次回新潟を訪れる際にも寄ってしまうことになるだろうと思う。

とまれ、そんなこんなで一日目は終了した。
ウコンの力(勿論superさ)と酒豪伝説をダブル飲みし、翌朝の早起きに備えて早めに就寝した。
(とかいいつつナイトキャップに更にビールを飲み、結局その缶を握りしめたまま寝落ちしていたのであったが)

明日はいよいよ佐渡に渡る。

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