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The Museum Putty

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私の部屋は「地震が起きたら絶望的に危ない部屋」の称号を頂いている。(from母)
なんとなれば、我が部屋は陶器や磁器、ガラス製品で埋め尽くされているのである。
確かに先の震災のような揺れが来たりなば、あっという間に床は無数の破片で覆い尽くされることであろう。
それも勿論困るが、コレクターとしては愛するコレクションが瓦礫に帰するのを見るのは実に忍びない。

常日頃なにかいい手だてはないものかと思っていたところ、偶然見ていたNHKの「まちかど情報室」で置物の転倒防止グッズとして変化自在な透明樹脂を紹介していた。
そうそう、私が欲しかったのは当にこれなのよ!と早速ネットで調べたのだが、残念乍らレビューによると、この樹脂は木製品に使用するとシミのような痕がつくらしい。
私は木の家具にガラス他の置物を固定させたいので、これではアウトだ。

しかし尚もあきらめきれず探していると、類似品のパテを見つけた。
こちらは木製品も大丈夫。
但し不透明なのでガラス製品には向きません、とある。

てやんでい見た目より安全でい、と息巻いた(息巻いてませんが)私、早速このパテを注文してみた。
それが冒頭の写真のブツである。

使い方はパテをちょきちょき切って、指で好みの厚さ、大きさに成形し置物の下部に貼付ける、それだけである。
確かにちょっと目立ちはするが私基準では無問題。
何より、本当にしっかりと固定されるのが気に入った。
外したいときはちょっとスライドさせると簡単に外せるし、再度固定することも可能だし。
成形するのも昔懐かしい粘土細工のようでちょっと楽しい。

しかし我が部屋には莫大な数の置物があるので一気に処置する訳にいかず(途中で疲れ果ててしまった)、現在暇をみてはちょこちょこと貼付けている。
全て完了した暁には揺れが来ても大丈夫、な筈だ。
尤も、そんな揺れが来ないに越した事は無いのは言うを俟たないが…

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今日や昨日のニュース雑感(4)

(今日の記事はgoogle+に書き散らかした駄文を加筆修正したものです)

脱・ガラパゴス化 辺境劣等感を捨てよ


今流行の「脱ガラパゴス」論。
と思いきや、どこにも「論」はなかった。
ふーんあらそう。
だったらどうせいっちゅうねん、ちゅう話。

また、ここで例示されている事象はどこの国にでもある特異文化の羅列に過ぎず、日本固有のガラパゴス的風土(というものがあるとして)を説明するものではないであろう。

そもそも、グローバルスタンダード(笑)のメッカである(或いは、あった)オランダ、イギリスを例にとっても、チューリップや愛玩犬といった事物の品種改良等、マニアックな文化的事象が数多く存在していたのは周知のとおりである。
問題の核は、日本の「それら」が何故グローバルスタンダード(笑)にならないのか、ということなのだが、論者はそこまでは考えがお至りにならなかったようで遺憾の限りである。
しかしながら、実のところは日本発で、且つグローバルスタンダード(笑)になった事物は結構あるのは、これまた周知の事実である。

「ガラパゴス化」というネーミングは非常に強力、且つ魅力的で、名付けた人はセンスあるなあと思うのだが、そのインパクトに振り回されているだけ(或いは、そのインパクトに頼っているだけ)の言説を最近よく見かける。
この文章もまたその類であるとの誹りは免れまい。

※グローバルスタンダードに(笑)を入れてしまうのは筆者の癖です。何卒ご寛恕ください。

米国 ファストフード店でビール提供 イメージ低下の懸念

あれだけハジキ(死語?)が蔓延している国で、アルコール供したらイメージ低下を懸念する、とか正直感覚がよく分からない。
(それとこれとは話が違うよ、と言われそうだけど)

あと、ファストフードの「ブランド」イメージ、というのもピンとこない。

「パパ、ボク今日はチーズバーガーが食べたい!」
「ははは、そうかマイケル。じゃあパパはビッグバーガーにしちゃうぞー」
「あらパパ、最近ちょっと太りすぎだからビッグはやめておいたら?」
「それはママの料理が美味しいからだよ」
「もう、パパったら」
「あはは」
「あはは」

こんなイメージですか?分かりません。
建前としても、ファストフードに今時そんな「アメリカがアメリカだった頃のアメリカ」的なイメージ抱いてる消費者はいないでしょう。

とまれ、個人的にはファストフード店のアルコール導入、私は賛成である。
ハンバーガーとポテト食べつつ、ああここにコーラではなくビールがあれば…と何度思ったことだろう。
絶対売れますよ、ハンバーガー屋さんのビール。
懸念される諸問題については、牛丼チェーンみたくアルコール販売に時間制限を設けたり、身分証の提示を厳重に義務付けたりすることで或る程度解決するのではあるまいか。
あと、飲酒運転の懸念に関しては、アルコール販売店舗は都市部に限定し、ドライブスルーが主力の国道沿いの店舗には置かない、など棲み分けを徹底すればよいと思う。

批判精神に“共感” 魯迅作品「現在も国民の思想改造に有意義」77% 中国意識調査

一読して、
ふーん、中国の方は7割以上が魯迅がお好きなのか。
そりゃまあ国民的作家だし、日本人の9割が漱石好きだという位の話で別にニュースバリューないなあ。
と読み流しかけたのだが、設問を見てちと考えた。

だって、
「(魯迅は)現在も国民の思想改造に有意義だと思うか否か」
ですよ。
なんだか一昔前の中国ニュースを読んでいるみたいな気分になった。
そうか、かの国では未だに「思想改造」とか仰っているのか。
そして、かの国では未だに文学作品は国民の思想改造(勿論中共的にPCな)に資するものでなくばならないのか。

と思ったけど、この記事内には

「調査で「現在も国民の思想改造に有意義」と回答した8割近い人が、具体的にどのような「思想改造」を求めているかは示されていない」

とあり、ここら辺の書き方に何か含みがありそうな気もする。

その後には

「他方で、「作品内容は現代の中国人のプライドを傷つける」との批判や、「若者による中国共産党一党支配への批判に飛び火するのではないか」との警戒感もあり、昨年から一部の高校生向け国語教科書から魯迅作品が消え始めた」

などという記述がある。
前者はともかく後者(魯迅作品が中共批判となりうる可能性)に言及することにより、暗に記者はこの8割近くの賛同を得ている魯迅の「思想改造」の具体的な中身について、実は回答者は中共に親和的な改造ではなく、一層ラディカルな内容を孕む改造を想定しているのではないか、と示唆しているようにも思われる。

とはいえ、これは記者氏の推測(そして私の更なる推測)なので、そこまで深読みすることが的を得ているかは勿論定かではない。
案外、日本でも
「漱石は現在も国民の思想改造に有意義だと思うか否か」
なんて質問をさらっとしたら、漱石好きの人、及び漱石好きと言って置くことに何らかのバリューを見出す人なら普通に「はい」と答えそうな気もしますしね。
何はともあれ、未だかような支持を受け、またその政治的影響が期待(若しくは懸念)され続けているほどに魯迅先生は偉大な作家だということでしょう。

ただ、教科書から魯迅作品が消えているのにはどうやら他に理由がありそうだ。
たまたま見つけた2年ほど前の「レコードチャイナ」にはかような記事があった。

「近代文学の父」魯迅の作品が教科書から消えていく…原因は難解な文章?進学優先?―中国

要は
・文章、というか用いられている言葉、文体が難解
(中国語には詳しくないのだが簡体字への変遷等も影響あるのだろうか)
・時代背景複雑なため教えるのに時間がかかる→教える暇ない
(昨今の本邦の高校の世界史問題のようだ)
という理由で教科書への採用が減少している、ということであるらしい。
実情はかような現場の台所事情に依るところが大きいのではあるまいか。

(えー、オチはありません。申し訳ございません)

使い捨てライター安全規制27日から、でも認知度低く

Child Resistanceという字面を見て、ふと子供の民兵が瞼に浮かんで暗い気分になったのは私だけですねそうですね。

さてこのライター規制自体は大変よいことだとは思うのだが、やはり色々問題はあるようだ。
まずはこの規制はあくまで「販売」の規制であり、お店などで無償で配る景品的扱いのライターは対象外であるらしい。
危険防止を目的とする規制であるのに、その適用が「どのように流通したか」を基準として決定される、というのはどうも理屈が分かりかねる。
いやいや取締が難しいではないか、と仰るのかもしれないが、それでは規制を流通の段階ではなく製造段階で行えばよいだけの話ではなかろうかと素人は考えるものである。

あと、これはこの規制とは直接には関係ないが、記事にあるようにライターの万全な回収システムが未だ構築されていないというのも問題だ。
「分解して金属部分は不燃物、プラスチック部分は可燃物」とか言ってたら、そりゃポイ捨ても増えようし、普通のごみに紛れさせてこっそり廃棄して結果火が出たり、なんて危険性も増そう。
せめてCR化するのと同時に(安全性には十分に留意して)素人にでも容易に分解、廃棄できる品を開発しては頂けまいか。
いや、いっそ使い捨てというのをやめて、ジッポみたく繰り返し使えるライターのみ販売するというのはどうだろうか。
使い込むほどに愛着も湧こうし、環境にも優しいしで一石二鳥だと思うのだが如何。

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残暑のお江戸珍道中(その4)9/10・フォーシーズンズ椿山荘、そしてリストランテ ラ・バリック トウキョウ)

さてさて。
そんなこんなで六本木ヒルズを堪能した後は本日の宿に移行した。
今回の旅では一泊目は准教授素敵女子、二泊目は合唱素敵女子とお泊りする算段である。
某氏にいいでしょーと自慢すると、
「女をとっかえひっかえやな」
と言われた。んまあ人聞きの悪い。

一泊目のこの日の宿は、フォーシーズンズ椿山荘であった。
前々から泊まってみたかったのだが、ある日某サイトでお手頃価格で出ていたのでおっしゃとゲットした次第である。
お部屋はシティビューのデラックスツイン。
自慢のお庭が見えるガーデンビューよりはランクが下がるが、ここはここで非常に景色が良い。
遥かに向こうではあるがスカイツリーも拝むことができた。

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ポーターさん曰く、椿山荘にはスカイツリーが見える部屋は殆どないそうである。ラッキーでしたな。

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別の方角。 

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内装はクラシカルである。

部屋にて今宵のディナーに向かうまで素敵女子と暫し歓談。
この場で土産にとはるばる持ってきた佐渡は真野鶴の大吟醸を進呈する。

「そういやさあ、素敵おじ様(今宵ご一緒するお方。後述する)にも大吟醸、持ってきたんだけど適当な袋がなくって…
剥き出しだったらやっぱり礼を失するよねえ。なんかいいものないかなあ」

「うーん、そうですねえ…
あ!これってぴったりじゃないですか!」

彼女が指し示したもの、それはなんとフォーシーズンズのスリッパ袋であった。
スリッパ袋といっても使い捨てものなので清潔そのもの。
不織布なので強度も十分、フォーシーズンズのロゴもついて見た目もお洒落である。
件のお酒を入れてみると、まるで誂えたかのようにぴったりではないか。
うん!これはいい!
よしこれでラッピング(ちゃうちゃう)決定。

話は前後するが、その後このお酒を素敵おじ様にお渡ししたところ非常に喜んでくださった。

「わあありがとう!
で、これフォーシーズンズの日本酒なの?」

「違います違います違います違います」

いや、いっそその方が箔がついたか?
(つきません)

さて話を先走らせてしまったがこの日のディナー話である。
素敵女子が予約しておいてくれたのは江戸川橋の「リストランテ ラ・バリック トウキョウ」
超絶的に予約がとり難いという大人気の一軒家イタリアンだ。
二か月前から予約を取ってくれた素敵女子には感謝感謝である。

そして前述のとおり、このディナーにはもう一人特別ゲストをお呼びしていた。
それは誰あろう、私達の敬愛して止まない素敵おじ様である。
素敵おじ様に関しては様々なエピソードというか思い出というか感謝の念というか、まあいいや、兎も角そういった諸々の思いがあるのだが、それを皆ここで書くとただでも長い日記(本当に話が長くてすみません)がとんでもなく長くなるのでここには書かないのである。

とまれバリック話である。
このイタリアンはとんでもなく分かり難い場所にある。
細い路地から更に、一階はプチ駐車場、二階は家屋(事務所かな)?というよくある建物の駐車場部分を通り抜けなければ辿りつけないのだ。

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エントランス。
本当に普通のおうちのようだ。

以下、料理の印象を簡単に記す。
写真は撮っていません(1眼レフしか持っていなかったのと、目上の人の前で料理写真を撮るのは気が引けたから)
尚、料理名は全て適当です。


Amuse その一:ひとくちサイズの小さなオープンサンド(様のもの)

小さなロールパン状のパンの背に切れ目が入り、様々な具が詰められている。
なんてことないスナックだが味は濃厚。
期待が高まる序曲だ。

Amuse その二:ひとくちサイズの鱧のフライ、ズッキーニ他のソースがけ

あつあつの鱧のフライ。
その上に酸味があるソースがかかっている。
文句なしに見事なハーモニー。

Antipasto Freddo (冷製前菜):兎のガランティーヌ 山羊チーズ添え

しねしねした歯触りの少し癖のある兎肉と、同じく癖のある山羊チーズとの相性は抜群。
もう、抜群なんていうありふれた言葉で語りたくないくらい抜群。


Antipasto Caldo (温製前菜):石川芋を使ったニョッキと鮑の蒸し物 鮑の肝のソースがけ

石川芋とは何ぞや?
某サイトで調べてみた。

旬は夏から秋。
古くは大阪は南河内の石川村で栽培されたことから石川芋と呼ばれる。
つまりは里芋なのだが、味がよく皮離れもよいことから日本全国で栽培されるようになったのだそうな。

そんな風味の良い芋のニョッキに、旨味の塊のような鮑の肝ソースがとろりとかかる。
芋のまったりとした甘味に肝の苦甘さが絡み、悶絶もののハーモニーを奏でる。
蒸した鮑の天上的美味は言わずもがな。
もちっとしたニョッキにしんねり柔らかい鮑との食感の対比も面白い。


Primo:アニョロッティ(ダル・プリン)/上質な羊のチーズに沖縄のちゅら豚、各種ハーブにナッツの詰め物が入ったパスタ・ローズマリー風味

なんと申しますやら。
一つ口に頬張るごとに笑みがこぼれる、そんなパスタでした。
一口ごとにチーズが勝ったり豚が主張したり、ナッツが香ばしかったりして様々な表情を見せるのもまた楽し。
ほっぺたを人差し指でぐりぐりして「Buono!」て言うのは、こういうものを食べているときにこそ相応しいポーズですな。

Second:馬ヒレ肉のロースト その肝とゴボウ他根菜類のソテー添え

一目見て、そのポーションに恐れをなした。
厚さ1cm、縦6cm、横3cmはあろうかという馬ヒレ肉が3枚もどどんと鎮座ましましていたのだ。
わー無理、これは食べられない。

と思いきや全てぺろっと平らげてしまった。
(時間はかかったが)
赤身の肉は癖もなく(癖がある肉も好きだがそれはさておき)、それでいて噛みしめるとしみじみ旨く食べて食べ飽きない味わいだ。
最近は松阪牛のような見事な霜降りよりこういう赤身肉を好むようになってきた。年だろうか。
尤も、食べて食べ飽きないのは肉質もさることながら、勿論シェフの味付けの力によるところも与って大であろう。

dolce:白桃と、同じく白桃のソルベ

コンポートといえるほど手を加えていない、ほぼそのままの白桃に同じく白桃のソルベ、その上に乾燥させた白桃のスライスがぐさっと刺さっていた。
甘いものがさほど、というかかなり得手ではない私だが、食後のデザートとしてこれほどあらまほしきものはないと思った。いやほんとに。
特にソルベが絶品。
この私がもうあとお茶碗一杯分欲しいと思った位である。
(どんぶり鉢は流石にお腹壊しそうだしね)

プティフール

プチチーズケーキ、いちじくのタルト、フィンガービスケット(八角の味がした!)、メレンゲクッキー等々。
とてもじゃないが食べきれなかったので包んで頂き、翌朝にコーヒーと共に頂いた。

以上、全て美味。全て最高。私大絶賛。私まっしぐら。
誇張でもなんでもなく、今までさんざ食べ歩いてきたイタリアンの中で最高峰であった。
ちきしょうちきしょう、やっぱ洋モノは東京には勝てないんだな。
和食は正直関西の方が全然美味しいと思いますけどね。きりっ。
(負けず嫌い)

そうそう、食事に合わせて頂いたワインがまたぴったりであった。
珍しく白を選んだのだがこれがまた大正解。
その名をWinkl(ヴィンクル)という。
オーストリア国境のトレンティーノ=アルト・アディジェ州産で、ソーヴィニヨンブランで作られた白ワインである。
そのまま飲めば酸味と果実味がバランスの良い綺麗な飲み口のワインだったが、これがまた料理によって色んな顔を見せるんである。
ワインは皆そんなもの、と言ってしまえばそれまでだが、このヴィンクルは思わず「おおっ」と唸るほどの七変化ぶりを見せてくれた。
(楽天で調べてみたけど品切れでした。ううう)

以上、極上ディナーでありました。
途中、お疲れであられたらしい素敵おじ様がぐうぐう眠りこけてしまわれるというハプニングもあったが(お疲れなのに来て頂けたんだなあ、となんだか申し訳なかった)、食事も会話もみーんなひっくるめて最高に楽しい一時であった。
こんな素敵な場を設けてくれた素敵女子に再度感謝感謝である。

てな訳で、これにて大充実の東京ステイ、一日目は終了。
素敵女子と連れ立ち椿山荘に帰り、豪華なベッドでぐっすり眠ったのであった。

つ づ く ね ん

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有田焼のかえる

それは先日、京都市美術館に行った時のこと。
特設のミュージアムショップを覗いていると、ふと知り合いと目が合った。
といってもそれは売り子さん等ではなく、陶器製の可愛いかえるである。

「可愛いでしょ?この子達」

売り子のおにいさんがにこやかに話しかけてきた。

「ええそうですね。
実はこの子、うちにいるんですよ」

「ええー?本当ですか。
これは有田焼のかえるで、2年前にここでルーブル美術館展があったときにも売ってたんですよ」

「ああ、間違いなく私、その時に買ってます」

「そうなんですか!じゃあ売らせて頂いたの、僕です」

2年を経ての再会。(おにいさんと、ではないよ)
これはもう運命としか言いようが無い。

売り場には、同シリーズのかえるがいくつか並んでいた。

「お家の子のお友達に一つ、如何ですか?」

おにいさんが巧みなセールストークで誘惑なさる。
うう、そんなこと言われなくても、さっきからほら、そこにいるあの子と目が合って離れないんですけど。
でもちとお高そうだ。

「その子、お幾らですか?」

「…円です」

ぐっ、高い。
けど目が合ってしまったし。
今度はいつ逢えるかわからないし。
こういうのはほら、運命だし。

運命には逆らわないのがモットーなので(もとい、逆らえないので。なんせ相手は運命だ)逡巡の末、結局彼/彼女を連れ帰ることにした。
他にも喉を膨らませたかわい子ちゃんや、かわい子ちゃんが張り付いたぐい呑みもあったが、これ以上運命を感じていると破産しかねないのでぐっと我慢した。

さて。
これが件の彼/彼女である。

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ね。
目が合うの、分かるでしょ?

先住者とのツーショット。


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くー、たまんねえ。(悶絶)


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今日や昨日のニュース雑感(3)

今日は一本だけ。

KDDI、「iPhone5」参入の衝撃 ソフトバンクの独占崩れ、auで11月にも発売

今日一番のビックニュースはなんといってもこれでしょう。
私はauのガラケー&iPhone3GS持ちで、iP5が出たら乗り換えようかな、けど電波のことを考えたらやっぱauは手放せないな等と考えていたので、このニュースは当に渡りに船といったところです。

ソフトバンクさんも所謂プラチナバンド(電波が建物や障害物を迂回して届きやすい700~900メガヘルツの周波数帯)を取得すべく動いているとのことで、恐らく中長期的に電波の問題は解決するのでしょうが、そこまでソフトバンクさんについていく義理もなし、やはり使い慣れた&沖縄に強い(これ重要)auに纏められるものなら纏めたいところです。

しかしappleは例によって初期不良が怖いので、暫く様子見しようかと思っています。
あと、純粋に一台持ちだと電池の減りに慄くであろうことが予想されます。
(今の二台持ちですらスマホはこまめに電源消していますのに)
iP5が劇的に電池持ちがよいことを祈ります。ないか。

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残暑のお江戸珍道中(その3)9/10・ベルギービールウィークエンド東京

さてさて。
そんなこんなで展望階を堪能した私だったのだが、降りても未だ准教授素敵女子は現れぬ。
この日は特に暑かったので、暫く歩くと忽ち頭モードがびーるびーるびーる(@椎名誠氏)になったので、悪りい、先始めとくわーと彼女にメールし、一路会場へと向かった。

そう。
こたびこのオサレスポット六本木ヒルズに駆け付けたのは、展望階を堪能するためでもオサレ買い物をするためでもなく、一にも二にも「ベルギービールウィークエンド(BBW)」なるエベントに参加するためであった。

このBBWはつまり、ベルギーのビールを飲みましょうというその名の通りのエベントなのだが、実はこれ、6月(だっけな)に大阪でも開催されていたのである。
酒飲みの私がかような素敵エベントをスルーできる訳もなく、大阪会場にも当然駆け付けたのだが、実はそこにて事もあろうに痛恨のミスを犯していたのであった。

BBWのシステムは、まず最初にグラスとコイン10枚の「スターターキット」を買い、コインでビールや食べ物を購い、コインがなくなればまた追加で購入する、というものである。
私は当然スターターキットでは飽き足らず追加コインも買いまくり、結果うんとこさビールを飲んでるんるん気分で帰宅したのであったが、家について服を脱いでみるとなにやらこんからかーんと音がする。
何かいなと見てみると、なんとコインが4枚も床に散らばっているではないか。
ぎゃー勿体ない。
これだけあれば、安めの値段帯のビールだったらたっぷり二杯は飲めたじゃないかくそうくそう。
とがりがり臍を噛んだのであったが、後でふとサイトを調べてみると、なんと丁度上京予定日に再び東京でBBWが開催されるとあるではないか。
よっしゃリベンジや!
という訳で、無理やり素敵女子を巻き込み再参戦と相成った次第である。
振り回してすまない素敵女子。

てな訳で東京BBWである。
密かに、東京と大阪ではグラスが同じ、という情報は得ていたので、そしたらグラスとコイン4枚あればスターターキット買わなくていいじゃん!と思い、わざわざ大阪からグラスを持参したのであったが(バカ)、窓口でスターターキットを販売しているのを見ると、ちゃんとずるできないように手首に巻きつける様のテープを渡していたのでおとなしくスターターキットを買うことにした(バカ)
よって、以降の私の荷物の中には常にBBWのグラスが2客入っていたのであった(大バカ)

グラスをゲットしビールもゲットし、さて落ち着き場所を探すもどこもかしこも人だらけで立錐の余地もない。
テーブルをゲットするのなどは夢のまた夢。

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こんな感じでした

しからばウッドデッキに座り込むか、と眺めてみるもここもジベターズで溢れている。
女の子が座っている横にスペースを見つけ、やれ嬉しやと座り込むと、
「あの、そこ僕座ってたんですけど」
と冴えない男がやってきた。
てやんでえべらぼうめ、イス席ならまだ分かるけど物も置かず地べたで先取特権を主張してんじゃねいやい。
つーか、そこの女、連れおるんやったらそう言えやどアホが。
(最後に浪速化)
と喧嘩を売りそうになったが、暫し生暖かく彼らをじっと眺め、おもむろにああはいはいそーですかとちょこっとだけつめてやるに留めておいた。ちょこっとだけ。
私も大人になったなあ(なってません)

そうこうしているうちに素敵女子から電話がかかってきた。
場所を説明するのにちと難儀したが(なんせ地べただし)、なんとか無事に合流することができた。
久闊を叙した後は飲めや歌え(歌ってないけど)のプチ宴会。
やー、ビールうめー。
因みに銘柄等は忘却の彼方である。ブロガー失格。呵呵。
ただ一つ、まるで甘くないヤクルトのような乳酸菌ばりばりの味わいのランビックが印象に残った。
勿論ランビックは乳酸発酵なんだから当たり前っちゃ当たり前なのだが、ここまでラクトバチルスしているのはなかなか珍しいと思った次第である。

新しいビールを取りに行かんとふらふら歩いていたら、知り合いとばったり顔を合わせた。
私と同じく大阪からやってきた合唱素敵女子である。
彼女も、私の今回の上京の主目的のために上京してきたのである。
(その主目的については後述する)
合唱女子もまたお友達連れで飲んでおり、彼女たちの陣地(陣地て)は日が燦々と降り注ぐテーブル席であった。
そのせいで合唱女子はこの晩熱中症で倒れてしまったのだそうな。
確かに炎天下でビールをたらふく飲む、というのは魅惑的だが危険な行為だ。
本人的にはごくごく水分摂ってるつもりでも、つまりはアルコールですしね。

この時彼女より、大阪のBBWよりフード美味しいですよ!という耳より情報を得たが、時既に遅く私も准教授女子はビール腹になっており、結局この会場で食べたのは二人でフリテン(ポテトフライ)1袋きりであった。

コインそれぞれ10枚ずつ、そしてはるばる大阪から持参してきたコイン4枚を使い切っていい気分になったところで離脱することにした。
そういえば、素敵女子はコインを1枚ウッドデッキの下に落としちゃったわーん!と嘆いていたが、会場本部に訴えたらはいどうぞと渡して貰えたらしい。
BBW実行委員会(正式名称は知りませんが)、素敵やね。

その後はほろ酔い気分でヒルズのオサレショップを見て回る。
素敵女子お気に入りという雑貨屋さんにて、一目惚れした蕎麦猪口2客をお買い上げ。
これ以降、私の荷物の中にグラス2客に加え、蕎麦猪口という割れ物が追加されることになったのであった。
(かなりバカ)


つ づ く ね ん

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今日や昨日のニュース雑感(2)

イタリア中部地震、予知できず起訴された科学者らの初公判

過失致死ですか…。
この科学者達の住民に対する結果予測、結果回避「義務」をどのように立証していくのか興味があるところです。
あと、彼らのコメントと住民が避難しなかったこととの因果関係、及び避難しなかったことと死に至った/怪我を負ったことの因果関係(これはまあ容易でしょうが)の証明も必要となるでしょう。
つまりは法律的には難しいんとちゃいますの、とマジレスする次第です。
とはいえ、私はイタリアの刑法よく知りませんのであくまで憶測ですが…
(日本の刑法も半ば忘却の彼方ですが)

しかしこれ、よしんば有罪になった日には科学者一般に対して箝口令敷いた位のインパクトを与えるように思います。
故に、その結果として「なんかわかんないけど、とりあえず気を付けときましょうね」的な毒にも薬にもならない「科学的」言説ばかりが蔓延する事は必至ではないでしょうか。

科学者の発言に付随する社会的責務というのは大変重いものですが(私達はそれを今回の震災で嫌と言う程思い知らされた訳ですが)、その責務に反したことで(この「反する」の定義も大変に難しいと思います)即ち刑事罰を下すべきだとは思えません。
勿論、故意に人命にかかわるトンデモ説を流布するような悪質行為は別ですが…
やはりこのようなケースもad hocに判断していかざるを得ないのでしょう。
と何の意味もない結論に至ったのでありました。ちゃんちゃん。

しかし、此方のCNNのニュースを見ると、(刑事告訴とは別に、民事訴訟として)市当局が訴えてるのですね。ううむ。
(私が見た冒頭のニュースでは「地震で負傷した住民」が損害賠償を求めている、となっていましたがどちらが正しいんでしょう?)
もしも市当局が原告であるならば、それは即ち己の行政的責務を棚に上げた責任転嫁であるとの誹りを受けても仕方がありますまい。
(後で時事通信版も見ましたが、此方も市当局となっていました)

最後に全く関係ないですが、CNNニュースの中段、

最後に記者が「ところでワインでも飲みに行きましょうか」と声をかけると「もちろんだ」と答えていた。

に地味にウケました。
脈略なさすぎてわけわかめですが、私もこうやって誘われたら「もちろんだ」と答えると思います。

関空・伊丹 7月1日に経営統合 すみ分けが課題に

赤字経営のところにに優良黒字経営を持ってきて一緒にやりましょう、ってことですよね、これ。
それだけならまだいいのですが、この統合によって伊丹廃港論が一気に加速しないか心配です。最近また例の知事が気焔を上げていることですし。
私はよく沖縄に行きますが、金額が幾らプラスになろうとも伊丹発着を選びます。時は金なりですからに。
廃港にするんだったらリニア整備してからにせい。
話はそれからだ。

「Google+」が一般公開に、モバイル版Hangoutsなど新機能も

遂に一般公開されましたね。
不肖私は招待制のときから+を使っていますが(微々たるものですが)、正直使用人口が少ないのが魅力かも、と思っていました。
ですがかようなサービスは増殖を続けるのが習いというか生命線ですから、それはとやかく言っても仕方のないことですね。

ただ、既にFBやらmixi(最近FBの真似っこをしたといって評判悪いですが)やらのサービスがありますからに、+の登録人口は漸進的にしか増えないと予測しているのですがどうでしょう。
いやひょっとしたら、招待制という「特別感」があったが故に、解禁になった途端我も我も皆さん登録なさるのかもしれませんね。
しかし、これだけSNSが増えれば管理するのも一苦労です。
上手い事連動させる術(アプリ)等はないものなのでしょうか。

あと、Hangouts機能ってまだAndroidでしか使えないのですね。
主流(と思われる)のiOSが後発になるとは少し意外でした。
尤も、対応したからといってビデオチャットするかと言われたら多分しませんけど。

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残暑のお江戸珍道中(その2)9/10・ヒルズ展望階の眺めを堪能す。

さてさて。

切符を買って荷物もめでたくロッカーに預け、いざエレベーターへ。
耳キーン体験の後、目の前に広がるは天空の楽園である。(誇張表現あり)
この日は綺麗に晴れ上がっていたので眺めはなかなかに宜しかった。

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やっぱり東京タワーは絵になるねえ。

今回は35mmの単焦点レンズしか持っていなかったので望遠で撮ることができずちと悔しい思いもしたが、でもこれはこれで結構綺麗に撮れているような気もする。
という訳で、遥か向こうのスカイツリー。

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ここが完成した暁には、上り料3000円取るとか取らないとかいう噂が流れているがほんまかいな。
そう考えるとヒルズの1500円なんて可愛いもんである。

他にも渾身の(誇張表現あり・もうええってか)写真をご覧ください。

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本当に目の前を飛んで行ったヘリコプター。
これ、望遠とかじゃなくて本当に単焦点で撮ったんですよ。

さてさて。
東京タワーが見える方角の窓の手前には大きな水槽が据えつけられていて、中には大量のカクレクマノミ、つまりニモちゃん達が泳いでいた。
皆さん、わあタワーをバックにしたニモちゃんが写せる!と群がって写真を撮っておられたがざんねーん、ど逆光でニモちゃんシルエットしか写らないのである。
どんな感じかというと、こんな感じである。

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ね、残念な感じでしょ。

なので通は(私のことです)横からはすかいにカメラを構えて写真を撮るのである。
ほら、こんな感じ。

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うーん、ちょっと怖いですね。
じゃあこれならどうだ。

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更にはクローズアップレンズまで取り付けて個体の撮影に取り組んだりもするのである。

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んー、ぼけてますな。残念。

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比較的まともに撮れた写真。

こんなことをしているうちにふと気づくと、ニモ水槽の前にたっぷり15分程も張り付いていた。
さぞかし頭のいかれている女に見えたであろう。
実際いかれてるんだけど。

その後は他の場所からも写真を撮りまくった。(上記参照)
1500円の元は十分取ったと思う。
そもそもこういう意識をもつのがさもしいということは百も承知だが、しょうがないやん大阪の女やさかい(逆ギレ)

写真撮りも一段落したところでふとお土産物屋さんを覗くと、「ミドリムシクッキー」なる大変素敵なクッキーが売られていた。
ええええ、勿論即買い。ああ即買い。
だがブツを受け取った後、これが東京初買い物であるということに気づきなんともいえぬ気分になる。
しかしその後は白椿の柄の可愛い手ぬぐいも買い(ほらほら女子的買い物もしとる訳よ)、大満足で展望階を降りたのであった。

つ づ く ん だ よ

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今日や昨日のニュース雑感

イタリア国債格下げ

えっと、経済的にもそもそもアレだし、連立政権不安定、おまけに首相があのおっさんの国でA-でも高すぎると思うのは私だけなのでしょうか。
(とかいいつつ、A-がいかほどのものなのかはよく分かりませぬが)
恐らく皆さんそんなことは暗黙の了解でご存じだけど、いざこのように評価が形をとって出てしまうと影響は大きいのでしょうね。
他でもない、今の時期に「何のために」格下げしたのかは気になるところです。


イラク通貨 数十億円超の投資→デノミで“紙くず”になる恐れ

正直、投機目的でイラク通貨を買っている人がいて、しかも大人気であったというのは初めて聞きましたしびっくらこきました。
びびりの私はおしなべて投機というものは身代潰すものだと思っているので今までも、これからも手を出すことはないと思われますが、万が一どうしてもしなくてはならないというシチュエーションに陥っても、死んでもイラク通貨などといったものには手を出さないと思います。
よっぽどハイリターンを謳っていたのですかね?
あの政情、状況を見て、よく投資しようという気になるなあというのが正直な感想です。
「復興の進展を踏まえ」云々って、未だにあそこで米兵何人死んではると思ってんでしょ。
同じくデノミった北朝鮮ウォンと殆ど同レベルの通貨のように思えるのですが。


「ノーベル賞対抗」の第2回孔子平和賞 プーチン首相らが候補に

孔子インスティテュートといいこの賞といい、中国さんが国際影響力を意識するときにはやはり孔子様を持ち出すものなのですね。
確かに毛さんは色がつきすぎだしまだまだ生臭いし、チンギスハンは漢民族的にはアレだしユーラシア系の皆さんはアレルギー持ってるしで、一番平和裏に知名度が高いのは孔子さんなんでしょうね。
しかしプーチンさん(の報道官)、「どんな賞なのかよく分からないので、時間をかけて調べたいと思う」って、冷たいなあ。そんな本当のこというなんて。
例えば鳩山さんだったら、何の疑義も挟まずほいほい貰いそうですね。
尤も、向こうさんが断じてくれそうにないですけど。
あと、もう少し賞金は出すべきだと思います。中途半端いくない。

野田首相に「1年で辞めるな」=鳩山元首相

お 前 が い う な

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京都の洋食屋さん

「えー、京都いうたら和食やろ?なんで洋食なん」

と友や母に言われるのだが、でも私は京都に行くときは10中8、9はこの店に行ってしまう。
(あとの1、2は予約がとれなかった時だ。ぐすん)
訝る人も、きっとここのお料理を食べたら会得が行く筈だ。絶対。

という訳でまたまた行ってきました洋食屋さん。
この日(三連休初日)も予約でいっぱいだった。

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お酒を頼んだときに出てくる突き出し。
(というのは、我が敬愛するグルメお姉様のブログで初めて知った。いつもデフォルトでお酒を注文するので皆にでてくるものだと勘違いしていたのである)
このガーリックがたっぷり効いたマッシュポテト(卵入り)は絶品である。
ドライトマトにサラミは勿論味も良いし、また鮮やかな赤がポテトの黄色とのコントラストを演出し目にも楽しいものである。

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大分産の岩牡蠣。
先だって新潟でも頂きその旨さに驚倒(大袈裟な)したのだが、正直こちらの牡蠣の方がクリーミーさ、くせのなさで一枚上だったように思う。
(新潟の方がお値段は安かったので一概には言えぬが)
かような美味をちゅるんと一口で食べてしまうのは、なにかとてつもない贅沢をしているようでちょっぴり後ろめたい気分にすらなってしまう。
でもまあ、勿論食べるんですけどね。
そんな後ろめたさもまた美味の一つの構成要素なのかもしれない。


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グルメお姉様にブログでご指南頂き、以後必ず頼むコーンスープ。
そのまま飲んではにやり、パンにつけて食べてはにやりと笑う。
私の考えるスープの理想型がここにある。
かぼちゃスープもミネストローネも美味しそうなんだけど、いつまでもこのコーンスープの呪縛(いうたら失礼だが)からは逃れられそうにない。

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毎度お馴染み、グラタン(後述する)についてくるサラダ。
添えられているポテトサラダが兎に角旨い。
これはブイヨン入ってるよな、セロリもいるな。
ふむふむよし家で実践しよう、と思ってもきっと逆立ちしたって再現できないんですええええ分かってます。
プロのお仕事って素晴らしい。

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そしてグラタン。
これまた毎度お馴染み、「同行者を抹殺したい」と思わしめる天上的美味である。
中に入ってる海老にホタテ、マカロニ全てが平等に(ってヘンだが)旨い。
ベシャメル素晴らしい!ベシャメルばんざい!


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メインは鴨のコンフィ。
毎度乍らこの皮のぱりぱりさ加減には感動する。
ついでに、付け合わせのポテトの皮のぱりぱりさ加減にも感動した。
八角系(多分)のちょっぴりオリエンタルな風味もなかなかに乙である。

以上、京都の洋食屋さん・残暑編でした。
(頼んだものに季節感はないけれど)
ここ、どこやねん?行ってみたいわあと思われたリアル知り合いの方、ご連絡頂けましたら拉致りますので一つ宜しく。


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残暑のお江戸珍道中(その1)9/10・ベタに六本木ヒルズに到着。

9/10(土) 大阪:晴れ 東京:晴れ

AM7:50に伊丹に到着。
本日はAM8:30の飛行機にて出立予定である。
出発時刻の40分前だし余裕余裕と思いきや、手荷物預けが私史上最長に近い長蛇の列で焦りまくる。
列中にいる時に自分の乗る便を連呼されたのは初めてだった。あせあせ。
なので、演奏会の差し入れ用に関西土産を買おうという計画は敢え無く頓挫。
朝食用のサンドイッチを買うのもそこそこに飛行機に飛び乗った。

機内販売カタログを見てよし、今月は欲しいものねえなと確認したり、機内誌読んで福井のたらの子の缶詰て美味しそうだなあ、今度福井出身の某先輩に尋ねてみようと思ったり(あ、いや、お土産とかそんな気を遣わなくていいんですよ>>某先輩)、やっぱイギリス行きたいなあでもまだイーストエンドとか怖いのかなあとか夢想したり、沖縄好きだけどやっぱスカイタイムはシークヮーサーよかゆず味の方がよかったよなあとか思ったりしているうちに羽田に到着。
今回の第一目的地は六本木ヒルズなのだが、六本木までスーツケースひっぱって電車乗り継ぐのも面倒だよなあと思い、ヒルズ横にあるグランドハイアット東京行きのリムジンバスに乗ることにした。
10時20分発で到着は11時20分か。
ふーん、そんなもんか。
(ここで私の土地勘のなさというものがはしたなくも露呈している訳であるが、まあそれはさておく)

リムジン乗り込んで暫くして、ふと窓の外を見るとアウディのディーラーが目に付いた。
看板には「六本木支店」とある。
え、もう着いたの?えらい早いな。まだ10時40分なのに。
と訝しく思って、はたと気づいた。
そっかこのバス、ハイアットだけでなくニューオータニやらオークラやら(この二つ、しょっちゅう混同するのは私だけでしょうか)東急キャピタルやら、六本木~赤坂近辺のホテルを回るんだった。
そして我が(泊まらないけど)ハイアットに着くのは一番最後である。
ちゅうことは、つまりこのバスはつまりプチはとバスであるということだ。
…んー、まあいっか。急ぐ旅でなし。

という訳で、私はその後車窓から首相官邸やら霞が関一帯やら赤坂御用邸やらの眺めを堪能したのであった。
これはまたこれで悪くない。
首相官邸前では右翼の街宣車が盛んになにやらアジっていた。
野田さんも色々大変ですな。

やっとのことでハイアットに辿りついたのは定刻通り11時20分。
ここで、今日落ち合う約束をしていた某大学准教授の素敵女子より連絡が入る。
曰く、再配達の荷物がなかなか届かないのでちょっと遅くなりますということらしい。
OKOK、では取り敢えず荷物を預けましょう。

ヒルズには小さなロッカーは充実しているのだが、スーツケースサイズのロッカーは僅かしかない。
やっと見つけたそこは、森美術館手前にあった。
さて小銭を、と探すと札しかない。
自販機もないしううむどうしよう、と思ってふと見ると展望階への窓口が目に付いた。
ここの展望階に上るにはお代1500円が必要だ。
普段の私ならてやんでいべらぼうめ、たかが高えところに上るのに大枚1500円も払うような馬鹿はいねえよ、と似非江戸っ子の如くいきり立つのだが、今回はそもそもがおのぼりさんモードであるし、小銭も欲しいしで泣く泣く(嘘つけ)軍門に下る(どこのよ)ことにしたのであった。

写真一枚も登場せぬまま
つ づ く ね ん

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フィエスタ・メヒカナ大阪2011

最近イヴェントの開催されることの多い新梅田シティ(スカイビル)。
今週末は「フィエスタ・メヒカナ大阪2011」なるメキシコのイヴェントが開催されていた。
なんでも、毎年やってる日本最大級のメキシコの祭りなんだそうな。すごいね。

この日(初日17日)はやたらとお天道様が気まぐれで、突然どわーっと雨が降ったりさくっと止んだり、となんとも慌ただしい?お天気であった。
どわーっの時は一時屋内に避難したりという一幕もあったが、夜が更けるにつれ天気も安定し、のんびりと楽しむ事ができた。

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居並ぶ屋台。
さあ何を食べましょうかの。


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でもまずは何はさておきメヒコビールだ。
上はNEGRA MODELO、下はDOS EQUIS LAGER。
NEGRAは黒ビール系で、上品な味わいが魅力的で大変私好みであった。
DOS EQUISは飲み易いが、少々、いやだいぶコクに欠ける。
盛夏にがぶ飲みするにはよいビールかもしれない。

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チョリソーのタコス。
結構ピリ辛でビールの合いの手にもってこい。
ミンチがぱさぱさではなく、こういった屋台ものの割に上手く調理してあるなあと感心する。
難点はけっこう汁気が多く、うっかりするとどちゃーっと流れてしまうことだ。
渡す前に一言そういって欲しかったなあ、売り子のおねいさん。
(服汚しました)


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さあさもっと飲みましょう。
右はご存知コロナビール、左はTECATEなるビール。
TECATEも飲み易いが、先のDOS EQUISに比べてコクがありなかなか旨い。
本場では缶の口にライムと塩をつけて飲むらしい。
今回はライムだけ。


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メキシコのピザ、ケサディージャ。
タコスに使われるのよりも分厚いトルティージャに肉やチーズを挟み、焼く、若しくは油で揚げた一品だ。
今回のケサディージャの中にはトマトとモッツァレラにバジルが入っていた。
まるでイタリアンだ。

このケサディージャがですねえ。
いやはや大変美味しかったのであります。
屋台を出していたお店、多分在阪のメキシコ料理店だよね?
調べて今度行ってみよう。
と、面倒くさがりの私が思う程には旨かった。

で、早速調べてみた。
(こういう事だけは仕事が早い)
バラガン
京橋店と中之島店にあるらしい。
お友達の皆さん、今度是非ご一緒しませんか??

この後、もう一杯ビールを飲む。
写真は失念したが、「SOL」、つまり太陽という名のビールである。
んー、やっぱコクに欠けるかな。
5種類飲んでみて、一番好みなのはNEGRA MODELOであるとの結論に至った。

そうこうしているうちにステージが始まった。


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メヒコといったらこれよね、なマリアッチ。
お客さんのノリもよくビールも進む。


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そのうちアリーナ席(席じゃないけど)ができる始末。
私も後ろからあーいーやいやさっさっとお囃子を入れる。
(節子、それマリアッチやない、カチャーシーや)


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最後はやっぱテキーラでしょ。
という訳で控えめに1ショット頂く。
ライムを齧って一気飲みすると、くはー、堪らない。
あと3ショットはいけるぜ!と思ったが明日の自分のことを思い強靭な精神力で1ショットに留めておいた。
私も大人になったもんだ。

以上、メキシコ滞在紀(大嘘)でした。
大変楽しかったので来年も行くぞー。おー。


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「おとなになる」ということ。

先日発売された話題の書『思想地図β2』内に収められていた、東京都副知事の猪瀬氏と東氏、そして村上隆氏の鼎談において、猪瀬氏の発言に(いい意味でも悪い意味でも)ちょいとひっかかってちょいと考えさせられた。
なので、ちょいと自分への覚書として書きつけておくのである。

(以下、今思想地図が手元にないのでディテールが異なる可能性がある。ご寛恕下さい)

氏曰く、「漱石は大人になることを拒否し、鴎外は大人、つまり家長としてその生を全うした」のであるらしい。
「この国は滅びるね」と登場人物に軽々しく口にさしめた漱石に比べ、鴎外はあくまで責任ある「日本の」家長として振る舞い、文章を書いた。
その具体例として猪瀬氏は、大正の次に来たるべき新しい元号は(日本の、だけではなく東アジア圏全ての)開闢以来まだ何処の国にも使われたものであってはならない、と過去全ての元号を洗い出し、後継者にそのリストを託した、ということを挙げておられた。
なんでも、「大正」は越、即ちベトナムで過去に既に使用されており、そのことが鴎外にとっては非常に遺恨を残すものであった、らしい。

この言説を読んでまず第一にひっかかったのは、氏が「元号を全て網羅して、次の世代に託す」ことが即ち家長としての責任を全うする態度として当然認識できる、と言い切っておられることである。
我が国の年号はどこも使ったことがない、オリジナルのものであらねばならない、という自負というかこだわりは理解できる。
もう少し進めて愛国心といってもいいかもしれない。
しかしそれが、江戸期からの古き良き(というニュアンスだろう。この文脈では)家長としての責任を断固として全うする意志表明であることは自明だ、と言われれば正直首を傾げざるを得ない。
その行為はひょっとすると、マニアックな学問的渉猟主義の表れである、とも解釈はできるのではないか。
とはいえ、鴎外の著書のあちこちから感じとれるエートスから、彼が「日本を支えていく家長としての責任」を志向していたということは確かに間違いはあるまい。
ただ、上の元号の一例でのみ、この「覚悟」のエビデンスとすることには違和感を覚えた次第である。

もう一つひっかかったのは、漱石=新しい時代に大人になることを拒否した子供である(猪瀬氏は「放蕩息子」と評しておられた)という視点に関してである。
というのも、先日私は奇しくも「漱石は明治期以降の正しい『大人』の方向性を指し示した作家である」という論を読み、成る程成る程!と深く首肯したところであったからだ。
これは、内田樹先生著(またか、と謂う勿れ)『おじさん的思考』の中に収められた「『大人』になること-漱石の場合」なる論である。

(此方も、只今元本が手元にないのでディテールが異なる可能性ありです)

内田先生によると、まず漱石は『虞美人草』にてこれからの時代にあるべき「大人への道」のロールモデルを示し、『こころ』にて同じくこれからの成熟した大人=正しいおじさんのロールモデル、そして師と弟子のあり方(またか、と謂う勿れ)を示したのだという。

これらのモデルは、江戸期、いやそれ以前から連綿と受け継がれてきた大人=家長モデルとは全く異なる。
だが、明治の御維新で変わってしまった世界には従前とは違った「大人」のロールモデルが必要であった。
そしてそのことを漱石は正しく、且つ切実に認識していた。

どのようなモデルを漱石が提示したのかは原著、及び内田先生の著書をご一読頂きたいのだが(それは例えば「家長」の様に一言で言い表せる類のものではない)、ここで重要なのは漱石もまた鴎外と同じく「正しい大人のあり方」を提示していたのではないかという事である。

つまり、鴎外と漱石は共に新しい時代における「大人への道」を模索し、前者はそれを伝統的な「家長の責任」という形態に落とし込んで伝承しようとし、後者は新しい時代に相応しい新しいロールモデルを作り上げ読者に広めようとした、といえるのではあるまいか。
結局どちらが正しかったのかは私には判断しかねるが、一つだけ言えることは私達はどちらの系譜の衣鉢も受け継ぐことはなく、遂に大人のロールモデルというものが具現化することはなかったということだ。
かくして、日本はめでたく放蕩息子=子供だらけの国となったのであった。

私達はどうやったら、そしていつになったら「大人」になれるのだろう?

そんな問いが、観念的なものから急にリアルに具体性を帯びだしたのが当に今年、2011年であるといえよう。
敗戦からこの方続いてきた、一億総子供でいられた時代は終わった。
このまま皆で仲良く惰性で子供を続けていたら、それこそ漱石大人の仰る通り「日本は滅びる」であろう。

しかし今現在の我らが日の出ずる国には、鴎外も漱石もいない。

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新潟/佐渡紀行(vol.13 8/22・村上グルメに村上市内、そして旅の終わり)

さてさて。

ソフトを堪能した後は再び村上市に戻った。
「悠流里」なるお店でごはんを食べようという算段だったのだが、丁度お昼時で店は地元の人やら観光客でいっぱいだった。
とはいえ、待っているのが一組だけだったのでおとなしく待つことにする。

ほどなく席に案内され、メニューを紐解く。
ああ、美味しそうなものがいっぱいだ。
どれもこれも食べたい。
これほど真剣になることは昨今そうはねえな、と自分で感心したほど熟慮した上、選び抜いた料理は以下の通りである。

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岩牡蠣フライ

高級な岩牡蠣をフライにするとはまあなんと贅沢な。
味は、うん、普通に美味しかった。
でもやっぱり岩牡蠣は生がよい。(ごめんなさい)
しかし「真夏に牡蠣フライが食べられる」という愉悦を味わうことができるのは岩牡蠣フライならではだとは言えよう。

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はらこ飯

村上来たらやっぱはらこでしょう。
この時期はシーズンオフもシーズンオフ、最悪に近い時期だったが、それでもやっぱり村上のはらこは美味しかった。
今度は秋のとれとれを食べてみたいな。

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村上牛の陶板焼き
(写真は焼いてないけど)

鮭(はらこ)と並び、村上のグルメの双璧をなす村上牛。
蕩けました。瞬殺しました。
量は少なめだったけど(もとい、お財布の都合で少なめしか食べられなかったけど)これだけ脂が乗ったお肉は少量で十分満足できる。

これらをノンアルコールビール(ああ恨めしいったら)で平らげお腹一杯となった後は、村上の街を少々探索した。

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酒屋さん。

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軒には鮭が干してある。流石は村上。

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だそうです。村上小の皆さん。

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お茶やさん、「富士美園」。
天井の高い、囲炉裏のあるお座敷でお茶を頂いた。

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この日は暑かったが、このお座敷はよく風が通りまことに快適であった。
やはり伝統的日本家屋というものはよく考えて作られている。
お茶もまことに美味であった。
頂いた後は一飯の礼、ならぬ一茶の礼ということで、お土産に抹茶きんつばを購入した。

その後は村上の名湯、瀬波温泉へ。
日帰り入浴施設「ゆ処 そば処 盤舟」で汗を流した。

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(この日も私以外誰もお客はおられませなんだ)
日本海を見晴るかす露天風呂が気持ちよい。
風呂上りにビールが頂けたらもっと気持ちよかったのだが。
(しつこい)

瀬波を出た後はいよいよ帰路に着くべく新潟空港へと車を走らせた。
空港で車を停めて、デスクのボックスにキーを放り込んでレンタカー返却完了。
えらいざっかけな返し方なので、これでよいのかちょっとどきどきする。
普通、空港返しってこんな感じなんだろうか?

最後に売店で家用の甘味系お土産を購入した。
・笹団子
(定番中の定番)
・枝豆大福
(枝豆ずっしり、なかなか旨い)
・越の雪
(美味しいお茶を淹れて食べると至福)
私自身は甘いものはさほど得手ではないのだが、両親が大変に好むのでいつも旅行の際には幾つかその土地の銘菓を買って帰ることにしている。
本当は二人とも血糖値が高かったり高血圧だったりするので、余り宜しくないのだが…

ところで、在新潟中から一つずっと疑問に思ってたことがある。
新潟の有名なお菓子屋さんに「大阪屋」という名のお店があるのだが、このお店、新潟なのに何故大阪を名乗られるのであろうか。
という訳で、今回調べてみた。

初代、岡嘉平は、当時、彦根藩領であった近江の国犬上郡石畑村(現滋賀県犬上郡豊郷町石畑)に生まれ育ち、長じて志しを立て、大阪に出て菓子修行を行いました。これが社名の由来と伝えられています。

成る程、初代さんが大阪出身という訳ではなかったのですね。
ここのお菓子も色々と美味しそうなのだが、どうもこの屋号のお菓子を大阪に土産にするのはへんなー気がして一度も買ったことがない。

さあ、そうこうしているうちにいよいよ搭乗である。

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さよなら新潟

飛行機の中で寿司でも食べようかと物色したが、折詰らしきものはなかったので、仕方なく笹川流れで仕入れたスモークサーモンとイカ焼き、そしてビール(待ち焦がれたぞえ)で機上プチ宴会をしたのであった。
どこに出しても恥ずかしくない立派なおっさんである。

これにて長々と続けてまいりました新潟、佐渡旅行記は終了です。
ご清聴、誠に有難うございました。

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新潟/佐渡紀行(vol.12 8/22・村上・笹川流れ)

さて遂に新潟滞在、最後の日である。

今日は比較的(佐渡出発前の4時起きに比べれば、という意味だが)ゆっくりの出立であったので、宿泊したコンフォートホテルのウリの朝ごはんを食べることができた。
ラインナップはパン各種、おにぎり各種(コンビニタイプではなくのりが最初からくっついてる手握りタイプだった)、おかず少々、スープ2種。
ビジホの朝ごはんとしては大充実だと思う。

おにぎりを二つ頂いていざ出発。
この日は北へ車を走らせた。
向かうは村上市、そして笹川流れだ。
笹川流れ、といっても渓流ではなく、奇岩が居並ぶ海の眺めをそう呼ぶのであるらしい。
なんでも、岩の間を盛り上がるように流れる潮流を「流れ」と言い表したのだそうな。

幸いなことに、天気予報に反してお天気はすこぶるよい。
残暑の陽射しを浴び、見渡す限りの稲田の中、一本すっと伸びる「東北日本海道路」を突っ走るのは非常に気持ちが良いものであった。
この眺めは、当たり前だが近畿では到底味わえない。
(運転中のため当然写真はございませぬ)

村上に到着し、更にシーサイドラインを北上す。
ここらへんの海の透明度は大したものだ。

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30分ほどで目的地、笹川流れ遊覧船乗り場に到着。
この船から奇岩の眺めを堪能するのである。
では暫し風景をお楽しみ下さい。


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岩を縫うトンネル続きの線路を、カラフルな列車が通過して行った。

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船内の注意書き。
つかまえられるんですかい。

正直、岩にはさほど興味はないのだが(ここまで写真ばしゃばしゃ撮っておいて身も蓋もないこと)、再び三たび海の透明度の高さには驚かされた。
流石は日本海。

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下船して、ふと見ると売店にいかにも旨そうな海の幸たちが売られていた。
帰りの飛行機用にとちょこちょこと買う(当然飲む気まんまんである)

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その後立ち寄ったは「道の駅笹川流れ」。
ふと見ると「日本海ソフトクリーム」なる張り紙があるではないか。
やあやあ出たな怪しいソフトクリームめ。
出会え出会え。

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なんだそうな。
フレーバーは案外普通のようだ。
では早速買ってみよう。

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色は日本海をイメージしたとのことで、ほんのりブルーである。

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日本海と日本海ソフトクリーム。美しい。

色は想像したほどどぎつくはなくほんのりラムネ色。
味は、バニラと塩だけではない何かの風味を感じた。
かき氷のブルーハワイだろうか。


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誇大広告の例
(ここまで青かったら多分食べない。
いや、やはり怖いもの見たさで食べるかも)

つ づ く の よ

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新しい婚姻制度に家族制度を考えてみる。

(前書き1)本文章はgoogle+に書いたネタにちょいと手を入れたものです。既視感ありありの方はごめんやしや。
(前書き2)この主張はあくまで思考実験(殆ど妄想)です。私本人が是非ともこうしたい!と思っている訳ではありません。寧ろ逆です。

たまには机上の空論を語ってもいいじゃない にんげんだもの 
みつを

というコンセプトで書いた小文です。ご諒解下さい。
(どんなんや)
でははじめ。

今一番理想的な婚姻制度、ひいては家族制度は「妻問婚+母系大家族制」ではないかと愚考するものである。
(余談だけど、今「妻問婚」と変換したところ、「妻とイコン」と出てきて、うす暗いロシアの農家の中に、おっかさんとキリスト様のイコンが彷彿として佇んでいる図が目に浮かんだ。実にどうでもよい)

まず、何故妻問婚が理想的かというと、

1.母系継承は分かり易い(血統が明らか)
2.一対一の関係は継続し難い。ましてや個人主義が蔓延した現代をや

ということが挙げられる。

1.は、まあ説明不要ですね。
2.に関しては人によりけりではないか、ウチはそんなことないです!と反論を喰らいそうであるが、昨今の離婚率の増加傾向という事実により傍証はできそうである。

しかしこの形態には問題もある。
つまり、生まれた子の養育義務・責任が母系家族のみにかかってしまうのである。
核家族ベース(年老いた両親に母)のみの家庭では子が成長する環境としていささかバランスを欠くように思われるし、また経済的にも不安である。

故に私は、この妻問婚に「母系大家族制」をプラスすることを提唱したい。
具体的には、
1.一家の主は大刀自、つまり「祖母」とする
2.その下には「母」(「祖母」にとっての「娘」)、そして彼女の兄弟姉妹である叔母や叔父達がわらわらと乱れ暮らす
3.子の「父」はまた別の母系大家族の一員であり、母の元に時折通ってくる。
といった形態の構成を想定している。

この制度で期待できるメリットは以下の通りである。

1.子を大勢の人々の中で育てることができる
孤立した核家族の中での閉鎖された子育てのデメリットについては、既に多く叫ばれているところである。
おっちゃんおばちゃん、いとこにはとこといった多種多様な人間が混在する場で育てることは、社会性の醸成等、彼/彼女の人格形成上多くの面でプラスになること必定である。

2.母(女性)の社会参加の促進
大家族の中では、手の空いた誰かが子の面倒をみてくれることが期待できる。
故に、働き盛りの母親が仕事をはじめとした様々な社会活動に参加する道が拓かれることになる。

3.少子化の解消
上に同じく、皆で子の面倒をみてくれることにより子育てが容易となり、母親にかかる負担がぐんと減る。
となれば、ふーん、じゃいっちょ生んでみようかしらん。
二人目三人目もいいわよね。
と思う女性が増えるのではないかと思われる。

4.経済的である
小さな単位でばらばらと住むより、大勢で固まって住む方が断然経済効率がよいことはもとより自明の理である。
衣食住に関して考察すると、

1)衣:貸し借りやお下がりで賄える。
2)食:個々にちまちま作るより纏めて作った方が当然ながら安くつく。
3)住:大型消費財等は皆で使うため、購入は必要最低数で足りる。

という経済効果(節約効果だな、寧ろ)が期待できる。

尚、住居に関しては大家族という性質上規模の大きなものにならざるを得ないが、構成員もまた大勢存在するので、一人あたま分の負担住居費・維持費は現状の核家族のそれよりもかなり低減することは間違いない。

5.(今流行の)省エネである
4.の効果から必然的に導き出される利点である。

…とまあ、メリットはこんなものであろうか。

一方デメリットは何か、というと、個人意識ばかり育ってしまった現代人にかような集団生活はそぐわないのではないかということであろう。
(デメリット、というか予想される反論ですね)
私も大概近代的個人主義に毒された、端的にいうと我儘な人間なので、ここまで書いておいて大変なんではあるが、自分にはちょっと無理かもしれないと思う。
親類縁者同士の、近いが故のどろどろした関係というのも面倒くさいものだ。
「血族であるからこそ疎ましい」というのもよく分かる。

何かいい方策はないかと考えてみたが、せいぜい思いつくのは個人(或いは母子)毎にきっちり個室を設ける等、住環境での工夫くらいのものである。
しかしこれも工夫しすぎてプライヴェートな空間作りに重点を置き過ぎてしまうと、結局は元の木阿弥の核家族(家族じゃないから核ユニット、かな?)に舞い戻ってしまいそうだし、難しいものである。


とまれ、かような大きな問題はあるものの、この妻問婚/母系大家族制、前述の通りそれを上回るメリットがあると考えるものである。
けれどこんなことを提案したら最後、美しい慣習であり(なのかなあ)、及び開闢以来脈々と受け継がれてきた(それは違う)一夫一妻制を否定するとは何事だ、と正しい老若男女の皆様に怒られてしまうことは火を見るより明らかである。

また、倫理的バッシングとは別に、経済産業界もこぞって否を唱えるであろう。
(勿論、その「否」は倫理的隠れ蓑を纏った姿で展開するであろうが)
だって、消費単位が激減するんですよ。
消費単位は戦後この方大家族→核家族、そして個々人へと細分化され、それに従い大量の消費財が消費(なんかくどいな)されてきたのは周知の通りである。
大家族制は、そのトレンドに謂わば真っ向から逆行するものである。
経済界にとってこんな危険な思想はない。
長い目で見れば少子化解消が期待できる→消費人口が緩やかにではあるが増加する ことも期待できるのだが、ビジネスの世界というのは無時間モデルなので(内田樹先生のパクリ)「今、ここで」損失を被る事柄に関しては断固排除、反対するであろう。

という訳で母系大家族制、そしてその提唱者は哀れ闇に葬られるのであった。しゅん。

しかし、よもや個人主義の塊のような私がこんな事を(思考実験にせよ)考えるようになるとは思いもよらないことであった。
戦後日本がロールモデルとした個人(核家族も含む)を一単位とする謂わば「強者の」ライフプランは、高度経済成長期、バブル期といった、構成員皆が強者であった(ありえた)時代にはまことに適したものであった。
だが昨今の状況を鑑みるに、この「個人モデル」は、高齢化等による弱者扶助の必要性、世の様々なリソース不足(に対応するための「省エネ」、「節電」等)、そしてリスクの増大(失業率の増加等)に対抗するための相互扶助の必要性といった社会的要請の高まりにより、その限界を呈し始めているように思われる。

更に私達は今回の震災で、この世には個々人では到底太刀打ちできぬデインジャーが起こりうるという、よく考えてみればごくごく当たり前の事を改めて嫌というほど思い知らされた。
そして、かようなデインジャーについてお上は(全くといっては気の毒だが、殆ど)役に立たないということも。
さすれば我等か弱き小さな者共は、人間関係の軋轢というデメリットは覚悟の上でも寄り集まらざるを得ないのではあるまいか。

内田先生がかつてより終始一貫して小規模コミュニティの必要性を説かれ、恐らくその具現化として今秋(だったか)道場を開設されるというのは(内田ファンには)周知の事実である。
また、今東浩紀氏編集の『思想地図β2』を紐解いている最中なのだが、ここでもまた、収録されている様々なコンテンツに繰り返し「小さな/ローカルなコミュニティ」が好ましいもの、目指すべきものとして述べられているのが印象的であった。
編集長の東氏自身も(少しニュアンスは違うが)自ら包括的なコミュニティの構築を目指す、という事をgoogle+で書かれていましたしね。

だが、このようなコミュニティが一朝一夕に成立するとは正直考えにくい。
やはり人を束ね統率し、持続的な集団を形成するためには強力な求心力(カリスマ、宗教etc)が必要となろう。
単に頭で「集団となることの重要性」が必要だと思うから集まりました、では、よほどメンバーの尊敬を集めリーダーシップに満ち溢れた中心人物(つまりカリスマですな)が存在せぬ限り、若しくは強烈な思想(つまり宗教的な「何か」ですな)が存在せぬ限り、継続的且つソリッドなコミュニティを構築することは困難であると思う。

そこで一つ、手始めに「血族」という分かり易い求心要素で纏まってみるのは如何なものだろう、と愚考した次第である。

長々と書いてきましたが、という訳で、皆様もおひとつどうでしょ。女系大家族制。

【おまけ】
「女系大家族制」でぐぐったらこんなの見つけました。

こんなの

お伽噺レヴェルだけど、でもなんかいいなあ。
個人主義にどっぷり首までつかった私はこの歳で今から飛び込め、と言われれば泣いて拒否するけど、生まれた時からずっとこの形態、というのはさぞかし暮らしよいに違いない。

憧れるくらい いいじゃない にんげんだもの 
みつを

#このオチ(逃げ?)、気に入ったな。

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新潟/佐渡紀行(vol.11 8/21・新潟最後の夜の宴)

さてさて。

カーフェリーの中でうたたねしたり、放映されていた某24時間テレビにいらついたり(あの番組本当に嫌いやねん)しているうちに新潟に到着。
タクシーで本日の宿(前回に引き続きコンフォートホテル)に着きチェックインし、続いて予約しておいた本日の食事処へと向かった。

食事処の名は「いかの墨」という。
新潟名物が食べられ飲めるお店であり、且つネットでの評判もなかなか宜しかったので白羽の矢を立てた次第である。

店に入ってみると、エントランスも内装もなかなかに現代和風(って何だ)的にこじゃれている。
綺麗なのは嬉しいが、この手の店は当たり外れが激しいのでちょっと心配になる。

お座敷に上がり、先ずは飲み物を物色していると、新潟銘酒15種類が2時間飲み放題で1500円!という私ホイホイなキャンペーンがあったのでじゃあそれ、と注文する。

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飲んだのは麒麟山に緑川、吉ノ川、〆張鶴に北雪…以下忘れてしまった。
取り敢えず、元は十分過ぎるくらいに取ったのは間違いあるまい。

そして食べ物。

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突き出し。なかなか美しい。
かきのもと(紫色の食用菊)、久しぶりに食べた。

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何度食うねん、な刺身盛り。
しかし何度食べても旨いものは旨い。

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そしてこれを食べたかったのよ、な岩牡蠣。
新潟の夏のこれ食うとけグルメ、第一位である(私独断)
ミルキーでぷりぷりでちゅるっちゅる。
くはー、生きててよかった(おでこぺしーん)

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これも、食うとけグルメの上位にランキングされること必定ののど黒。
シーズンは秋からだというが、それでもしっかりと乗った脂の旨味を楽しむことができた。

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鯨の脂身の味噌漬け。
これまたこってりと味くーたー(味わい深い)で、それでいて日本酒に合うのだ。

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肉っけも欲しくなったので名物だというつくねを頂いた。
ふむ、名物だけあってなかなかいける。

これだけ飲んで食べていると、そろそろお腹もくちくなってきた。
普段「飲んだあとの〆」として炭水化物を摂る習慣はないのだが、ここのメニューには魅惑的な海の幸尽くしの釜飯がずらっと並んでいる。
これは頼まざるを得ない。
そこで注文したのが雲丹にイクラ、鮑の豪勢な釜飯。


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どうです美しいでしょう。

味付けも濃いめで酔っぱらいの舌には大変好ましいものであった。
ここらへん、よく分かってるねえ。

店構えを見たときの不安はどこへやら、大変結構なお店でありました。
今度新潟に行くことがあったら必ずリピします。
母とか連れて来たいなあ。

これにて新潟最後の夜は終了。
明日はいよいよ大阪に帰る。
…の前に、またもやがっつり新潟観光をしたのであるが…
その模様は ま た 次 回

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新潟/佐渡紀行(vol.10 8/21・金山観光にお師匠様のおうちなど)

さてさて。
次なる目的地は佐渡の観光のメッカ、金山である。

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佐渡金山の観光コースには、江戸期に掘られた宗太夫坑コースと明治以降の道遊坑コースの二つがある。
両方周りたいのはやまやまだったが、皆様との待ち合わせの時間もあったので古い方がよかろうと宗太夫のほうにしておいた。


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坑道をゆく

中は涼しいが湿度が高く、薄暗い中ではリアルな薄汚れた工夫の皆さんの人形がえっちらおっちら働いておられて少々おっかなかった。

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資料館には、手だけを入れられるよう丸い穴が開いたプラスチックの箱があり、中には12.5kgの金の延べ棒が入っていた。
この穴から延べ棒を取り出せた人には記念品が贈呈されるらしい。
というのは、後ほどお師匠様の奥様から聞いた。
私ははなからあんなの取れるわけないじゃーんと思っていたが、取れるもんなんですねえ。驚きである。

「…そしたら、取れたら持って逃げちゃえるんですよね?やろうと思えば」
「いいえ、あそこはテレビカメラで監視されてて、取れそうになったらちゃんと人がやってきて監視するんですよ」

成る程。
一攫千金の夢は潰えた。
(元から夢見てませんが)

金山を見学し終わった後は、一路皆様との待ち合わせ場所に向かう。
落ち合ったのはこの日の昼食処「貝の口」。
ナポリタンが出てきそうな古き良き喫茶店といった趣のお店であった。

ここで頂いたのはナポリタンではなく海老フライ定食。
前日長浜荘で頂いたのと同じく、比較的スリムな海老ちゃん達の海老フライである。
そしてお味は、長浜荘と同様、いや揚げたてだったので長浜荘以上に美味しかった。
結論:佐渡の海老フライは旨い
(調査人:私、調査サンプル:2点)

食後はお師匠様の住む集落(でいいのかな?)、稲鯨へ。
まずはご挨拶代り?に三線ゲリラライブをやるというので、ぺーぺーは非常に焦った。
しかもゲリラ故立ったままの演奏となったのだが、おばちゃん立って三線弾くのなんか初めてだったのであわあわしてしまった。
そして、あわあわしているうちに演奏は終了と相成った。(だめだめ)
もっとちゃんと修業しなきゃねえ。

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その後はお師匠様のお宅へ。

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どどーん。
立派な看板だ。

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この三艘は全てお師匠様の船である。
お師匠様の本職は漁師さん。
世に名高い佐渡牡蠣の養殖をされておられる。
私も二度ほど取り寄せさせて頂き食したが、実に美味しい牡蠣であった。

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いつもこの部屋からテレビ電話でご指導頂いている訳である。

お宅を拝見した後、少し外を歩いてみた。

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かわいいコに出会った。
虎視眈々とむいむいを狙っている。

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いくわよ。

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とりゃ。


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ばりょばりょばりょばりょ
(苦手な人ごめんなさいよ)

にゃんこのおやつタイムを拝ませて頂いた後は、集落を散策してみた。

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細い路地を見つけて歩いて行くと、神社を見つけた。
写真を撮ろうとカメラを構えたところ、上から降りてこられたおじさまに声をかけられた。

「ここ、天神さんを祀ってるんだよ。北野天神さんなの」
「ほほー!そうなんですね」
「ほら、この狛犬珍しいんだよ。子供つれてんの」

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(分かりにくいかもしれないが、足下にちょこんといる)

「あ、ほんとだ」
「由緒正しい神社さんなんだよう」
「本当ですね。ではちょっとお参りしてきます」

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小さな本殿は修理中らしくなにやら囲いがしてあったのが残念だったが、旅の安全を祈念して手を合わさせて頂いた。

これにて佐渡の旅の全行程は終了。
皆で両津港に戻り、お師匠様と奥様にお礼とお別れを告げ、再びカーフェリーの船上の人となったのであった。

まだ つ づ く よ

(おまけ でーじ仲良しのにゃんこず)


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新潟/佐渡紀行(vol.9 8/21・佐渡観光続き)

佐渡、二日目である。

まずはさておき朝ごはん。

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シンプル且つノーマルなラインナップである。
昨日のエクストラヴァカンツァのあとではこれ位が丁度よい。
お米が大変美味しかった。

この日の午前中、若人&お師匠様は昨日の公演のエキシビジョンとして公民館で三線演奏なさるとのことであった。
そこまでの腕はない(どころの話ではないが)私は、再びお師匠様の車を借り佐渡観光の続きをさせて頂くことになった。

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シーサイドドライブ途中、路傍に咲いていた向日葵。
向日葵と海の取り合わせって実に絵になりますね。
でも傍らの叢では秋の虫が盛んに鳴いていた。
佐渡の秋は早い。

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名勝地、尖閣湾。
この湾の透明度の高さに峡湾の眺めは日本でも随一である、らしい。
(とか案内のお姉さんが仰ってたと思う。たぶん)
遊覧船と海中透視船の二つが出ているが、今回は海中透視船の方に乗ることになった。

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確かに海が透き通っている。

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荒海に食まれた切り立った岩々。

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漁村の「姫津」。
海産物直売所が見えた。後で行ってみよう。

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イカ釣り漁船の数々。

帰りは海中のお魚ウォッチポイントへと赴く。

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確かに透明度は大したものだ。
(写真故ボケボケだが)
クロダイが泳いでいるのも見ることができた。食べたい。

下船後は、先程船から見えた海産物直売所に行かんと漁村、姫津に出かけた。

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のんびりとした空気が流れている。
でも、沖縄の漁村ののんびりぶりとはやはり少し違う。(当然)

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あちこちでイカを干していた。
これらが発散する匂いだけで日本酒一合はいけそうだ。
(でもやっぱり本体が欲しい)

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マンホールにも尖閣湾遊覧船。

直売所でイカの一夜干しにイカの沖漬けを購入し、大阪に送って再び出発。
次なる目的地は佐渡といえばここ、という皆様もご存知のあそこである。

写真ばっか載せて長くなってしまったので
次回に つ づ く

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新潟/佐渡紀行(vol.8 8/20・真野観光(その2)、海の幸晩ご飯、そして佐渡おけさ))

さてさて。

歴史伝説館でジェンキンズさんにお会いした後は、真野御陵へ。
先程、伝説館でもお見かけしたお気の毒な順徳天皇の陵墓である。

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石造りの柵こそ立派だったが、中は木が鬱蒼と生い茂り静かで寂しい場所であった。

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伝えられる所によると、彼は在島21年の長きの後、もうこれ以上命は永らえたくないと自ら断食し、最期は頭に焼石をあてがい絶命したという。
ここで眠る君は未だ都を儚んでいるのであろうか。

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり

尤も、彼の遺骨はその後京都は大原に持ち帰られたという。

そして次に向かったのは真野酒造。
佐渡の銘酒「真野鶴」で知られている。
行った際には既に店仕舞いかけであったが、まだいけますかー?と声をかけると快く招き入れてくださった。

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ここで真野鶴をはじめ、自分用、そして友人達への贈答や土産用の酒をごっそりと買い込む。
酒造限定の大吟醸なんかあったら、そりゃ買わせて頂くっきゃないだろう。
(でもこれは自分用。ごめんね友人達)
ただ一つ、運転手の悲しさで試飲ができなかった事だけが心残りである。

以上で観光を終え、今宵の宿に向かう。
宿の名は長浜荘。
大きな生簀があることで有名な料理旅館、であるらしい。(るるぶ調べ)

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確かにあった。

ここで先ほどの若人やお師匠様と再合流し、いよいよ宴の始まりとなった。

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宴会するで!的雰囲気に満ち満ちている。
(奥に見えるはお師匠様です)

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窓からの景色も絶品である。

さて、ここからは怒濤のご馳走攻めだ。

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どどーんと舟盛り。
地物のヒラメやマグロ(地物のマグロって驚きだ)、南蛮海老に鮑(ふはははは)がずらっと並ぶ。
どれもこれも言わずもがな、最高に旨い。

他にもカニや海老フライ(冷めていたが妙に美味であった。不可思議千万)、茶碗蒸しにサバの味噌煮、しかも一人一つの寿司桶までどどんと並び、お膳は文字通り立錐の余地もなくなった。
こうも品数が多いと、各個撃破する前に、勿体ない話ではあるがどれを涙を呑んで諦めるか、という戦略を立てねばどうしようもない。
深考熟慮の末、サバの味噌煮とカニちゃんは少し頂くだけに留めておいた(ごめんね)

魚はどれもこれも絶品であった。(当たり前)
流石は佐渡沖に近い地だけのことはある。(ひどく当たり前)
途中から日本酒も供されて万々歳。
ああ、佐渡の夜は楽し。

宴が一段落したところで、お師匠様が車を出してくださり皆で乗り込んだ。
向かうは先の「アース・セレブレーション」の会場の小木。
ここでは、かの有名な佐渡おけさ流しが行われているのである。

会場に着くと、雨がぱらついていたにもかかわらず既に通りは踊る人々で埋め尽くされていた。

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同じなんちゃらなら踊らな損損、と、よく分からぬままに列(輪ではなく列なのだ)に飛び込んでみる。
佐渡おけさの振り付け、そしてステップは大変難しく、最初は皆目理解できなかったが、そのうち上手い人をロールモデルにして見よう見まねで「もどき」ではあるが踊ることができるようになった。

なんとかついていけなくもない感じになってきた頃、小降りだった雨が本格的に降り始めた。
普段の私なら濡れるのは嫌なので直ぐに軒下に引っ込むのだが、その頃にはおけさがどうにもこうにも何かのツボに入ってしまったらしく、びしょびしょになりながら延々とえっちらおっちら踊っていたことであった。
帰りに誰かが軽くトランス状態になったよねえ、と言っていたがまさしくその通り。
すべからくこういうドメスティックな踊りは、脳内深くに刻まれたプリミティブなスイッチをオンさしめるものであるのかもしれない。


さて、以後は若い人から聞いた話。
このおけさの輪、じゃなかった列の中には、なんとマスター・オブ・おけさの「佐渡の壇れい」がいたのだという。
彼らはこの壇れいから踊りの手ほどきを受けたそうだ。

「…へえ、壇れいに似てたんだ。そりゃ美人だったんだね」

「いえ、ちっとも似てませんでした」

「…?」

「なんていうか、雰囲気が壇れいだったんですよ」

「…ふーん…」

雰囲気壇れいなら、全国に自薦・他薦合わせて100万はいそうだが(それは多いか)、この佐渡の壇れいはそんじょそこらの張三李四の壇れいとは一味違う。
なんてったって彼女はマスター・オブ・おけさなのだ。

そしてこの佐渡の壇れい(面倒くさいから以下略して佐渡れい)、難しい踊りに手こずる若人たちを忍耐強く、優しく、そしてじっくりと指導してくれたのであるらしい。
そりゃあもう、本物の壇れいのように忍耐強く優しく。
(あくまでイメージです)

いたく感激した若人達、しまいには琉球民謡「唐船ドーイ」のメロディで佐渡れいに捧げる一曲を即興で作り、帰りの車の中で大いに歌い彼女に感謝と敬意を捧げていた。
その中では「佐渡の壇れい♪でーじセクスィーしにセクスィー♪」なるフレーズが繰り返される。
まこと、若者らしい純粋な感謝の念に満ち溢れているではないか。
おばちゃんは感動し、その後彼らと共に高らかに唱和したのであった。

しかしおばちゃん、大阪に帰ってきて暫く経った後もこのフレーズがなかなか頭から離れず難儀した。
職場では「でーじセクスィー」の「でー」まで口に出かかったし。
若人が作る、しにキャッチーなフレーズには強力な伝播力があって困ってしまう。
※でーじ、しに:ウチナーグチ(沖縄方言)でいずれも「すごい」位の意。

宿に帰って後は、夕ご飯の残りの刺身にミミガージャーキー、ポッキーという闇鍋のようなラインナップのつまみを囲み皆で飲み、語り明かしたのであった。
就寝は午前1時。(意外と健全だな)
大部屋に男女雑魚寝という、大学のサークル以来のざっかけぶりであった。
#いや、サークルでも男女部屋は違ったぞ。(当然)
いやー、でーじ青春、しに青春。

次回に 続 く

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新潟/佐渡紀行(vol.7 8/20・お昼ご飯に真野観光(その1))

さてさて。

そんなこんなでアースセレブレーションのステージはめでたく終了した。
ほっと一息ついた後はお昼ご飯である。
先ほど練習していた宿根木集落内に戻り、船主の納屋をリフォームしたという趣ある「茶房 やました」さんで美味しいパスタを頂いた。

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テーブルはかの有名なたらい舟をアレンジしたものだ。

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まずはサラダ。
かぼちゃ旨い。

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ホタテとボッタルガのオイル系パスタ。
シンプルに旨い。

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食後はお抹茶とお菓子でほっと一息。

宿根木の街並。
ここは佐渡金山が華やかなりし頃、廻船業の集落として発展した集落である。
間口が狭い家が多いが、どの建物も趣がある。

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午後からは自由行動となる。
まずはアース・セレブレーションの一環であるフリーマーケットを一巡。
なかなかワールドワイドな品揃え、そして顔触れである。

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ここでは藍染のタンクトップ(1,000円也。格安)、そしてガラスのモチーフのついたブレスにチョーカーを購入した。
嗚呼、何故かくも私はガラスの装飾品(勿論ブルー限定)に弱いのであろうか。

その後はお師匠様の車をお借りして「真野地区」へ。
まず向かったのは「佐渡歴史伝説館」だ。

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佐渡の黎明からの歴史に関する資料があるのか、と思いきや、そのテーマの殆どが遠流のやんごとなかったりやんごとなくなかったりする方々であることに驚いた。

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堂々と「遠流の地」と書いちゃうのは観光地イメージ的には如何なものなのか。

更には、その方々(と周囲の人々)が実にリアルなロボット人形で再現?されていることにも驚いた。
しかし、順徳天皇が都を儚む詩を詠み、堪えきれず(と見えた)くるっと背を向けたり、おつきの側女(或いは皇女か?)が傍らでよよよと泣き崩れたり、死にそうな老体の世阿弥が必死で雨乞いの舞を舞ったりしているのを見ると、やはり佐渡のイメージ的にこれは果たしてよいのだろうかと思ってしまったが、ま、史実は史実だし、これでよいのだろう。

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背を向ける順徳天皇。おいたわしい。

かような演出を堪能し(何か違うけれどそれはさておき)、館外に出るとお土産物屋さんが控えていた。
そこでの一番の売りは、伝説館オリジナルだというおせんべいである。
味見をさせて頂くと、ふむ、よくある(といえば失礼だが)甘いさっくりしたおせんべいだ。
ときに、横でこのおせんべいの箱を整理している年老いたガイジンさんの男性、どっかで見たことがあるなあ。誰だっけ。

「このおせんべい、売り上げの2%が拉致被害者の皆様のために使われるんですよ。
ほら、あそこのジェンキンズさんも販売に携わってらっしゃるんです」


そうだー!
ジェンキンズさんだー!!
ジェンキンズさんだったー!!

思わず一緒に写真を撮って頂いたことであった。
ミーハーですまない。
どこに謝ってるんだか知らないが。

2

ありがとうございました

次回につ づ く

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新潟/佐渡紀行(vol.6 8/20・佐渡、そしてアースセレブレーション)

さてさて。

そんなこんなで船に乗る事2時間半、午前8時半に佐渡に上陸した。

船を出ると、見慣れてはいるのに初対面のお方がにこにこと出迎えて下さった。
この方こそだれあろう、我が三線のお師匠様、髙野先生である。
私とお師匠様の出会いについては誰しもあっと驚く数奇な経緯があるのだが、ただでも長い話がうんと長くなるのでここでは割愛させて頂くこととする。

という訳で詳しい話はさておき。
ネット上でご指導頂き早や10か月、途中私の仕事の都合で長く中断した時期もあったにもかかわらず不肖の弟子を忍耐強く三線の世界に導いて下さったお師匠様には、私は文字通り頭が上がらないのである。
まこと、お師匠様という存在は有難いものだ。

今回の佐渡行きは、佐渡で開催される音楽やらその他諸々のイベント
「アース・セレブレーション」
に参加するためのものであった。
とはいえ、生半可な練習しか積んでこなかったぺーぺーの私が突然ステージなどに乗ることができる訳はなく、お師匠様、そしてお師匠様と一緒に練習を積んできた新潟の三線グループの皆さんの刺身のツマ(いや、そんなにいいものではないな。ちりめんじゃこに混ざってるちっちゃなカニ位が妥当であろうか)としてご一緒させて頂いた次第である。
手練れの皆様にとってはさぞかしお邪魔な存在だったことだろうと思う。ごめんなさい。

さて。
新潟三線グループの皆様も無事上陸し(同じフェリーに乗ってらしたのだ)、いよいよ出発と相成った。
まずは古くからの街並みが残る「宿根木」という集落の静かな湾にておむすび二つの朝ごはんを頂く。

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そして食べた後はすぐ練習。
わあ、みなさん本当に上手だ。
自分の下手さっぷりも身に染みたが、それよりも初めて複数の人と三線を合わせることができたことに嬉しくてどきどきした。

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なんか青春って感じの写真やおまへんか。

途中、ちょっと席を外したところ、すれ違った観光客と思しき方々が

「…あれ?なんか沖縄の音楽聞こえてこない?」

と訝しんでいるのを聞いた。
ま、確かに佐渡で突然琉球音楽が聞こえてきたら驚きますわな。

練習が終わった後はいよいよ会場へ。
会場は地元の「小木小学校」の体育館だ。
入り口には「フリンジ」との文字があった。
なんの房飾りか、と思いきや此方では「ステージ」的な意味で用いられているらしい。

ここで出番までしばし待ちを入れる。

待ちつつふと見ると、会場内に即席売店があるのが目についた。

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早速旨そうなものはねえがーと物色す。

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おばちゃんが売っていた凍りおけさ柿、一串100円。
(ぼけぼけ写真ごめんやしやー)
一口齧り、その余りの旨さと冷たさに悶絶しそうになる。
その後あちこちで探したが、ついぞここ以外では見つけることはできなかった。
やー、これはほんに美味じゃった。いつの日か是非また食べてみたい。

さて、そうこうしているうちにやがて我等の番が来た。

へっぽこの私は一人奥に隠して頂いた。

1

ああお恥ずかしい。

曲目は「かぎやで風」、「安里屋ユンタ」、そして「唐船ドーイ」であった。
前2つはなんとか弾けるものの、最後の早弾きの唐船ドーイはまだまだゆっくりしか弾けぬので後ろでにこにことお囃子に徹していた。
オーディエンスの皆様におかれましては、なんだあの後ろに隠れてるおばちゃん、と思われていたに相違ない。すまない(あらゆる方面に)
しかし、私以外の皆さんはほんにほんにお上手であった。
私も真面目に精進せねば。

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