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呪いのコミュニケーション。(その2)

さてさて。

「深い、極端な疲労」をもたらす「意味不明の問い」を「反復する」。
そんな極悪非道(言いすぎ)の輩とは一体だれかといいますと!(いいますと!)
じゃじゃーん!!







はい、我らが先生です。
#ひっぱりすぎて恥ずかしくなったらしい。

先に、孫引いた田口ランディ氏の文章を読んだ際に目から50枚の鱗が落ちたと書いたが、うち5枚は私自身に対しての認識にくっついていたもので、残りの実に45枚は私の先生への認識にこびりついていたものであった。
(分かりにくい例えだこと)
あれを読んだ瞬間、色々なことがクリアになった。

まずは「意味不明」の部分。
彼は些細なことで人を叱責、恫喝することを好むが、この時発する言葉は時として、いや屡々、論理的に意味が通っていなかったり突拍子がなかったりするので理解が非常に困難なのである。
最近主に若い人口に膾炙していると思われる
「日本語でオッケー」
(要は、日本語でしゃべれ=意味が分りません)
は、当に彼に対峙するときにこそ相応しい応答である。
#ま、言いませんが。

これはなにも叱責の場面だけに限らない。
彼の口頭、或いはメールでの指示は時としてまるで判じ物のようである。
私なんぞは長い付き合いなのでなんとなーく分るのだが、他の秘書さん達はいつもこれに非常に難儀しており、時々謎解きをしてくださいとプリントアウトしたメールを手にやってこられる。

しかし、彼は一応(って酷いな)教授であるからして、勿論出るところに出ればちゃんと論理的に分り易く話すことができるのである。
ではなぜ、ひとたび我々のようなシモジモに話す時には打って変って訳の分らぬ話をするのか。
その理由の一に、彼が我々を徹底的に婢(はしため)として見ているということが挙げられる。
いや別に、事実婢だからそれは構わないのだが、彼はそこから飛躍して

「婢なんだから、通常の人間関係に必要な気遣いは一切無用」

と思っておられるらしい。
それはつまり、絶対的上位者の下位者への甘えである。
#話は横道に逸れるが、彼は最近Leadership論に凝ってらっしゃる。
素人にはよく分らぬけれど、そもそもこういうありふれた「欲望」を如何にコントロールするかというのがLeadershipの基本のキなのではあるまいか。
もともと全く関心のない分野ではあるが、正直、秘書の4人もうまく扱えぬ人の語るLeadership論とは一体どういうものかという興味はある。

とまれ。
そういった訳で、我々に対峙するときは、彼は物事を分り易く人に伝えようという努力を全くしない。
自分の頭の中でも整理できていない代物を、あたかもまだ固まっていない豆腐(半分豆乳状態みたいなやつ)の如くほらよっ!と放ってよこすので、当然彼に非ざる我々は受け取ったところでこれは一体なんなのか、さっぱり分らないのである。

ま、多かれ少なかれ上司というものはそんなものさ、というのは百も承知だが、一般企業でお勤めになった経験の長い他の秘書さんに聞いても、やはり彼の「豆腐投げ」は余りにも度を超しているらしい。

そして、またこの「豆腐投げ」は実は我々婢ズにも責任がある。
我々は、(少なくとも当初は)

「この人は一応(またですか)教授様なんだから、仰ることが訳が分らなくてもそれは私達の頭の出来の悪さに起因するのである」

という呪縛にかかっているのである。

私が一人で秘書をやっているときは、当にこれであった。
当時は「分らなさ」を確かめあえる同僚もいなかったので、先生の言うことを理解できないのはひとえに私がバカであるからだ、と毎日毎日深く反省したものであった。
#まあ、根がこんなこと書き散らす態度の悪い人間なので長続きしませんでしたがね。

また、彼の戦略?は意味不明な言動だけではない。
彼は内田先生が言及しておられた、「答えようのない問い」をも見事に駆使なさるのだ。
一例を挙げると、

「こんなことをされたら、○○先生は厭がりますよ」

「□□さんはお困りですよ」

等など。

言われてみれば、ふーん、確かに○○先生だの□□さんだのがそういう可能性は0ではない。
しかし、それはあくまで推測でしかない。
だが彼は、それらがさも決定事項のように「~しますよ」と断言口調で自信満々に言い切るのである。
で、此方はそれを否定することはできない。
(だってここにいない誰かがどう思うかなんて分らないんだから)
これは一見筋が通っているようだが、それを言うことに相手への恫喝以外に何の意味もない、それこそ「答えようのない」問いである。

#因みに、この彼の「断定」、大概が大ウソである。
昔々、私の同僚Aさんは理由も告げず、でも手続きはきちんと行ったうえで時々午前休を取っていた。
このAさんがお辞めになって暫くしたある日、私も用事があったので手続きをすませ午後休を取ろうとした。
ところがどっこい、どうも先生はその日に休むことが気に食わなかったらしく、前日に呼び出されお小言を頂戴した。
しかしその日には特段イベントもなく、また当然のことながら休暇取得は当然の権利であるからして、彼としては正面から不満は言えないのである。
そこで彼が持ち出したのがAさんであった。

「前のAさんがね。
理由も言わず、ちょこちょこ休むのは困るっていってましたよ」



あーはははは。
ぴこらばくしょー。











この大ウソつきが








「あはー、そりゃおかしいですねえ。
私がAさんがいる間お休みしませんでしたし、しょっちゅう午前休取ってたのはAさんだったんですけどねえ」

「…
兎に角、みだりにお休みを取ることは控えてください」←あっ、言っちゃった。

「はあ。勿論、有給以上には取りませんよ」

とまあこんな風に、彼は今も昔も

「(推測した、或いは意図的に捏造した)他人の発言を自分の主張の担保とする」

ことが多いのである。
確かにそれは効果的だとは思うが、これだけ濫用されちゃ少なくとも私は耳を貸す気もない。
オオカミ少年(いや、老年か)、いかんよ。

閑話休題。

このように、意味不明、且つ一見尤もらしく見えるがその実意味のない相手の返答を封じた問いでもって先生はじわじわと我々を「深い、極端な疲労」へと追い込む。
これは今起こっている(大抵が)些細な問題を解決したり、仕事を円滑に進めんがための所業でない。
今まで、私は先生のことを「なんて人を使うのが下手な人だろう」と思っていた。
確かにそれはそうなのだが、最近、そもそも彼は上手に人を使い仕事を上手く回そうという意思がないのではないかという気がしてきた。
それが言い過ぎであれば、彼にとっては「上手く人を使うこと」は二の次にしか重要ではないのだ。
では彼が最も重きをおき望んでいることはなにか?

内田先生は「呪いのコミュニケーション」の根にあるのは、他人の生き方に影響を与えたいという「関係への欲望」である、と仰る。
そしてその欲望をもつ人間は対峙する相手に「節度のないコミュニケーション」を要求するに至る、と。
この段で考えると彼は、我々をオフィシャルな上司ー部下としての関係のみならず、それ以上の関係の中に縛りつけることを欲望し、故に「節度ないコミュニケーション」を押しつけてくるように思われる。
彼の名誉のためにも大急ぎで釈明すると、この「それ以上の関係」とは決してセクシャルなものではなく、(オフィシャルな場だけではなくプライヴェートな場においても)絶対的な上位者となることである。と私は理解している。

勿論、人は多かれ少なかれこういった欲望を持っているものだが(私にだってある)、それが「節度」を越えると即ち相手への「呪い」となるのである。
上述したように、彼は「婢には通常の人間関係に必要な気遣いは一切無用」と考えている節がある。
このようなことを考えている人に勿論「節度」などはあろう訳もなく、従って我々は彼と対峙するたびに「深い、極端な疲労」を感じるようになるのである。

さてさて。

この先生様、先だって元CAの美人さんれんちゃん(仮名)としっかりものでこれまた綺麗なまいさん(仮名)を「来年度の業務体制を話し合いたいから」と強引に食事に連れて行った、らしい。
(そんなもん業務時間内にすべきだろうに)

で。
そこで彼が話した内容といえば次のようなものだったらしい。

・僕は最近もてるんですよ。
これからは恋に生きますから、そのつもりでいてください(?)

・(えー、でも奥様がおられるじゃないですかというつっこみに)
そんなのこれからの時代(?)には関係ありませんよ。

・今のうちに恋はしとかないとねえ。
だって、もう少ししたら何もできないじゃないですか。
(何をする気なんですか?)

・僕も昔はプライドが高かったからもてなかったんですよ。
でも、プライドを捨てたら滅法もてるようになりました。
もっと早く気付いておけばよかったですねえ。

・だから、れんさんも早くプライドを捨てておしまいなさい。
ならばもてるようになりますよわはははは。

・れんさん、今幾つでしたっけ?
え?30歳?
うーん、まだまだですね。
まだ色気が足りませんよ。
少なくとも、あと3年は結婚してはだめですよ。
3年たったら、熟れた柿がぽっとり落ちるように色気が出てきますから。

・まいさんは40過ぎでしたか。
ほらね(とれんちゃんに)、色気があるでしょ?
女の人は40から本物の色気が出てくるんですよ。








はい。









セクハラ決定。







こりゃあもう「密やかなコミュニケーションへの欲望」とかなんとか言ってるレヴェルじゃねーわ。
てか、そもそも言っている内容が余りにもアホ過ぎる。
アホ過ぎて、聞いていた私は(面白がりつつも)つくづく情けなく思った。
そりゃあね。
この6年間、この人と対峙してきて、

「この人ほんまはアホとちゃうんかな」

と思った事なぞ星の数ほどありましたよ。
けど、その度に

「いやいや、この人は曲がりなしにも腐っても教授なんだし、本当は賢いのだ」

とその疑いを打ち消してきた訳ですよ。

でも、こんな話でれでれとするおっさんは本当、アホとしか思えない。
同じ呪いをかけるにももう少しクレバーにして頂かないと、かけられる此方としても浮かばれようがないではないか。

とまあ、そんな訳で私はこの話を聞きつつ、密かにもう幾許かでこの先生様の元を脱出できる我が身を寿いだのであった。
残していく皆、ごめんね。

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