pass away
今日、幼馴染の弔問に行ってきた。
彼女はここ数年、不治の病と闘ってきた。
日本に数例しかないという難病であった。
自宅療養しているという話は聞いていたが、ついぞ私は訪れることはなかった。
既に人の顔も分からなくなっているということだったし、プライドの高かった彼女は自分のそんな姿を見られるのは嫌だろうと慮ってのことであった。
いや多分、それは私が自分にそう言い聞かせていただけだ。
先日、彼女のお母様より、身内だけでお葬式を済まされた旨連絡があった。
母同士もまた親交があったので、今日母と二人、白い花を抱えお宅に伺った。
リビングには介護用のベットがまだそのまま置かれていた。
車椅子の脇には、とてつもなく大きな白い花束が2つ活けられていた。
うっすらピンクの花も入っているのは、若い女性のためのものだからだろう。
その前には、発症した頃の彼女の遺影が飾られていた。
元々童顔の彼女だったが、その顔は本当にあどけなくて中学生か高校生のようだった。
そしてその前には小さな骨壷が二つ。
田舎のお墓への納骨用と、発症後帰依したというカトリクの十字がついたものであった。
お母様は元々細い方だったが、久しぶりにお会いしたところまた一まわり小さくなっておられた。
私は昔からこのお母様が大好きだった。
まっすぐで竹を割ったような性格で、そしてなによりも明るくユーモラス。
小学校の頃よく彼女の家に遊びに行っていたのだが、私はいつも朴訥で口が重い彼女よりもこの面白い「おばちゃん」とおしゃべりしていたものだった。
その「おばちゃん」は、今日もやはり明るかった。
だけど、やはり時々で声を詰まらせておられた。
お母様は、彼女の病気が分かった時、これからの人生を娘のために費やすことを決意したと仰られた。
「…覚悟はしてたよ。
してたけどね、こう突然逝かれるとね、どうしていいかわからないよね。
これからどうやって過ごしていったらいいんだろうね…」
母は、黙ってお母様の手を摩っていた。
私はただただ、黙って涙を流すだけだった。
「ぴこらちゃんはあの子と同い年だもんね。
これからぴこらちゃん見てたら、ああ、もうこれ位になったんだなーって分かるよね」
私と同い年だけど早生まれの彼女は、奇しくも誕生日のその日、天に召されていった。
陳腐な言い回しだけど、どうぞ、どうぞこれからは天からお母様を見守ってあげて欲しい。
私も時々、おばちゃんのところにほら、こんなにおばはんになっちゃいましたよ、って報告しに行くからさ。
彼女のお葬式は教会で行われたとのことで、帰る間際にその際の挨拶状を頂いた。
そこには「コヘレトの言葉より」として、次の聖句が書かれていた。
「何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある」
確かに、そのとおりですね。
でも神様、いくらなんでも少し早すぎやしませんでしょうか?
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