八重山で買ったもの。

思えば、去年9月の八重山旅行の日記がすっかりストップしている。
ストップしているという自覚はあるのだが、なんせ寒いので(こればっか)どうも腰を落ち着けて長い文章を書く気力がないのである。

その代わりといってはなんだけど、今日は八重山で買ったものをご紹介しようと思う。

どん




2








こっち見んな







といいたいところだけど、よく見ると皆微妙に視線がずれているのがまた味わいがあってよい。

これは波照間の小さなカフェ兼土産物屋で購入した。
土台は平べったい珊瑚で、上に乗っかっている正体不明の奴らは波に揉まれて摩耗したガラスの欠片たちである。
サイズは私の掌(標準よりかなり小)にすっぽり納まる程度。
の割には随分よいお値段がしたが、如何せん店先で目が合ってしまったので、これはもう運命だと連れて帰ることにした。
後で買っときゃよかったと後悔しても、場所が場所だけにちょっと戻れませんからね。

今はカエルの置物だの、貝でできたシーサーだの同じく「目が合ってしまった」小物達と一緒に飾り棚に鎮座ましましている。
なので、この棚の前を通るといつも妙に視線を感じてしまう。
えー加減この手のもの買うのよそうと思うのだが、やっぱりふとした時に何故かしらん呼ばれて連れて帰ってしまうのですねえ。
我ながらヘンなもの好きで困ったもんだ。

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幸せ、招きます?

昨日、こんなものが届いた。

1

猫とアヒルが~力を合わせて~みんなの幸せを~
(すっちゃっちゃっちゃ)
招き猫ダック♪
っていう、あのキャラである。
お腹を押すと、CMと同じ男の子の声で(但し些か、いやかなり割れてはいるが)あの歌を歌ってくれるという趣向だ。

因みに、この写真はピンボケのようにも見えるが断じてそうではない。
何故ボケているように見えるかというと、このダック、毛がやたらともさもさしており、肝心の?お目目が薄らぼんやりとしか見えないからなのである。
本人(本ダック)もこれではさぞかし見難かろうと思われる。

で、今回初めて気づいたのだが、この招き猫ダックってアヒルのコスプレをした猫ではなく、猫のコスプレしたアヒルなんですね。知らなんだ。
まあよく考えてみたらそもそもこの会社、アヒルがキャラなんだから当然っちゃ当然ですな。

ともかく、30代二回目の本厄(難儀な話でんな)に突入した私にとって、このような開運グッズを頂けるのは非常にありがたい話である。
早速机の脇に鎮座頂き、幸せを招き猫ダックして頂くことにした。

さて。
招き猫ダックといえば、こんな映像を見つけたのでご紹介しておこう。

逃げてー!
あおいちゃん逃げてー!!

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みんな寒さのせいでやんす。

えー、ブログさぼりがちで失礼しておりやす。

といいますのも、どうも最近モノを書く気がしないんでやんすよね。
それもこれも、みんなここのところの寒さのせいでやんす。
ま、仕事が地味に忙しくなってきたってこともあるんですがね。

しかし、近頃ほんまに寒うござんすね。
今日のオオサカ地方なんぞ、当に寒風吹きすさぶという表現がぴったりでござんした。
なもんであっしは日がな一日家にひきこもり、ぬくぬくしつつ本当に今日が休みでよかったと我が身を寿いでおった次第でありんす。
だってほら、こんな寒みい日には、ウチの職場のあの阿呆がきっと窓を開けやがりやすからね。

とまれ。
ここんところの寒波を見るに、世間で騒がれておりやす温暖化といいますのがいまいち実感できねえのはあっしだけでございやしょうか。
なんでも、紅毛碧眼の地でも何十年ぶりだかの吹雪に見舞われているそうで。
いってえ地球はどうなっているんでありやしょうねえ。

なんですんが、こんな冷える日にもウチの近所の猫はお盛んで、こうやってブログを書いてる最中にも熱烈なカンツォーネが聴こえて参りやす。
この愛の賛歌を聴くと体感気温はさておき春遠からじ、と感じるんでありやすねえ。
あんまり五月蠅えと窓を開けて怒鳴ってやるんですがね。

てな訳で、ここまでつらつら毒にも薬にもならねえことを書いて何がいいてえんだと申しますと、つまりはネタがないんでやんす。
それもこれも皆寒さの奴のせいでありやすんで、どちら様もどうぞ悪く思ってくださいますな。
ほんじゃああっしはここらへんで。
お目汚し失礼いたしやしたー。

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1月の読書。

1月度の読書数、以下の通り。

・読んだ本
17冊 (1日平均0.5冊)
・読んだページ
5540ページ (1日平均178ページ)

うーむ。
正月休みがあった割にはさほど冊数が伸びなかったな。
20冊はいけると思っていたんだけど途中で失速してしまった。残念。

でもま、自分としてはかなり読んだ方だと思う。
今回読んだ本の内、実に11冊は内田樹先生のご著作であり、彼の本は私にとってはチョー読み易く相当なスピードで読了できるので、それもまた冊数が稼げた一因であろう。
来月はイベントが多く休日は殆ど潰れるし、何といっても月の日数自体も少ないので10冊いけば御の字だと思われる。

【今月のMVP】

『神は妄想である』リチャード・ドーキンス
『私家版・ユダヤ文化論』内田樹

選びきれぬので今月は2冊。
感想など書いてみたいけど、時間がないのと頭が働かぬので(いつものことですが)割愛致しやす。

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呪いのコミュニケーション。(その2)

さてさて。

「深い、極端な疲労」をもたらす「意味不明の問い」を「反復する」。
そんな極悪非道(言いすぎ)の輩とは一体だれかといいますと!(いいますと!)
じゃじゃーん!!







はい、我らが先生です。
#ひっぱりすぎて恥ずかしくなったらしい。

先に、孫引いた田口ランディ氏の文章を読んだ際に目から50枚の鱗が落ちたと書いたが、うち5枚は私自身に対しての認識にくっついていたもので、残りの実に45枚は私の先生への認識にこびりついていたものであった。
(分かりにくい例えだこと)
あれを読んだ瞬間、色々なことがクリアになった。

まずは「意味不明」の部分。
彼は些細なことで人を叱責、恫喝することを好むが、この時発する言葉は時として、いや屡々、論理的に意味が通っていなかったり突拍子がなかったりするので理解が非常に困難なのである。
最近主に若い人口に膾炙していると思われる
「日本語でオッケー」
(要は、日本語でしゃべれ=意味が分りません)
は、当に彼に対峙するときにこそ相応しい応答である。
#ま、言いませんが。

これはなにも叱責の場面だけに限らない。
彼の口頭、或いはメールでの指示は時としてまるで判じ物のようである。
私なんぞは長い付き合いなのでなんとなーく分るのだが、他の秘書さん達はいつもこれに非常に難儀しており、時々謎解きをしてくださいとプリントアウトしたメールを手にやってこられる。

しかし、彼は一応(って酷いな)教授であるからして、勿論出るところに出ればちゃんと論理的に分り易く話すことができるのである。
ではなぜ、ひとたび我々のようなシモジモに話す時には打って変って訳の分らぬ話をするのか。
その理由の一に、彼が我々を徹底的に婢(はしため)として見ているということが挙げられる。
いや別に、事実婢だからそれは構わないのだが、彼はそこから飛躍して

「婢なんだから、通常の人間関係に必要な気遣いは一切無用」

と思っておられるらしい。
それはつまり、絶対的上位者の下位者への甘えである。
#話は横道に逸れるが、彼は最近Leadership論に凝ってらっしゃる。
素人にはよく分らぬけれど、そもそもこういうありふれた「欲望」を如何にコントロールするかというのがLeadershipの基本のキなのではあるまいか。
もともと全く関心のない分野ではあるが、正直、秘書の4人もうまく扱えぬ人の語るLeadership論とは一体どういうものかという興味はある。

とまれ。
そういった訳で、我々に対峙するときは、彼は物事を分り易く人に伝えようという努力を全くしない。
自分の頭の中でも整理できていない代物を、あたかもまだ固まっていない豆腐(半分豆乳状態みたいなやつ)の如くほらよっ!と放ってよこすので、当然彼に非ざる我々は受け取ったところでこれは一体なんなのか、さっぱり分らないのである。

ま、多かれ少なかれ上司というものはそんなものさ、というのは百も承知だが、一般企業でお勤めになった経験の長い他の秘書さんに聞いても、やはり彼の「豆腐投げ」は余りにも度を超しているらしい。

そして、またこの「豆腐投げ」は実は我々婢ズにも責任がある。
我々は、(少なくとも当初は)

「この人は一応(またですか)教授様なんだから、仰ることが訳が分らなくてもそれは私達の頭の出来の悪さに起因するのである」

という呪縛にかかっているのである。

私が一人で秘書をやっているときは、当にこれであった。
当時は「分らなさ」を確かめあえる同僚もいなかったので、先生の言うことを理解できないのはひとえに私がバカであるからだ、と毎日毎日深く反省したものであった。
#まあ、根がこんなこと書き散らす態度の悪い人間なので長続きしませんでしたがね。

また、彼の戦略?は意味不明な言動だけではない。
彼は内田先生が言及しておられた、「答えようのない問い」をも見事に駆使なさるのだ。
一例を挙げると、

「こんなことをされたら、○○先生は厭がりますよ」

「□□さんはお困りですよ」

等など。

言われてみれば、ふーん、確かに○○先生だの□□さんだのがそういう可能性は0ではない。
しかし、それはあくまで推測でしかない。
だが彼は、それらがさも決定事項のように「~しますよ」と断言口調で自信満々に言い切るのである。
で、此方はそれを否定することはできない。
(だってここにいない誰かがどう思うかなんて分らないんだから)
これは一見筋が通っているようだが、それを言うことに相手への恫喝以外に何の意味もない、それこそ「答えようのない」問いである。

#因みに、この彼の「断定」、大概が大ウソである。
昔々、私の同僚Aさんは理由も告げず、でも手続きはきちんと行ったうえで時々午前休を取っていた。
このAさんがお辞めになって暫くしたある日、私も用事があったので手続きをすませ午後休を取ろうとした。
ところがどっこい、どうも先生はその日に休むことが気に食わなかったらしく、前日に呼び出されお小言を頂戴した。
しかしその日には特段イベントもなく、また当然のことながら休暇取得は当然の権利であるからして、彼としては正面から不満は言えないのである。
そこで彼が持ち出したのがAさんであった。

「前のAさんがね。
理由も言わず、ちょこちょこ休むのは困るっていってましたよ」



あーはははは。
ぴこらばくしょー。











この大ウソつきが








「あはー、そりゃおかしいですねえ。
私がAさんがいる間お休みしませんでしたし、しょっちゅう午前休取ってたのはAさんだったんですけどねえ」

「…
兎に角、みだりにお休みを取ることは控えてください」←あっ、言っちゃった。

「はあ。勿論、有給以上には取りませんよ」

とまあこんな風に、彼は今も昔も

「(推測した、或いは意図的に捏造した)他人の発言を自分の主張の担保とする」

ことが多いのである。
確かにそれは効果的だとは思うが、これだけ濫用されちゃ少なくとも私は耳を貸す気もない。
オオカミ少年(いや、老年か)、いかんよ。

閑話休題。

このように、意味不明、且つ一見尤もらしく見えるがその実意味のない相手の返答を封じた問いでもって先生はじわじわと我々を「深い、極端な疲労」へと追い込む。
これは今起こっている(大抵が)些細な問題を解決したり、仕事を円滑に進めんがための所業でない。
今まで、私は先生のことを「なんて人を使うのが下手な人だろう」と思っていた。
確かにそれはそうなのだが、最近、そもそも彼は上手に人を使い仕事を上手く回そうという意思がないのではないかという気がしてきた。
それが言い過ぎであれば、彼にとっては「上手く人を使うこと」は二の次にしか重要ではないのだ。
では彼が最も重きをおき望んでいることはなにか?

内田先生は「呪いのコミュニケーション」の根にあるのは、他人の生き方に影響を与えたいという「関係への欲望」である、と仰る。
そしてその欲望をもつ人間は対峙する相手に「節度のないコミュニケーション」を要求するに至る、と。
この段で考えると彼は、我々をオフィシャルな上司ー部下としての関係のみならず、それ以上の関係の中に縛りつけることを欲望し、故に「節度ないコミュニケーション」を押しつけてくるように思われる。
彼の名誉のためにも大急ぎで釈明すると、この「それ以上の関係」とは決してセクシャルなものではなく、(オフィシャルな場だけではなくプライヴェートな場においても)絶対的な上位者となることである。と私は理解している。

勿論、人は多かれ少なかれこういった欲望を持っているものだが(私にだってある)、それが「節度」を越えると即ち相手への「呪い」となるのである。
上述したように、彼は「婢には通常の人間関係に必要な気遣いは一切無用」と考えている節がある。
このようなことを考えている人に勿論「節度」などはあろう訳もなく、従って我々は彼と対峙するたびに「深い、極端な疲労」を感じるようになるのである。

さてさて。

この先生様、先だって元CAの美人さんれんちゃん(仮名)としっかりものでこれまた綺麗なまいさん(仮名)を「来年度の業務体制を話し合いたいから」と強引に食事に連れて行った、らしい。
(そんなもん業務時間内にすべきだろうに)

で。
そこで彼が話した内容といえば次のようなものだったらしい。

・僕は最近もてるんですよ。
これからは恋に生きますから、そのつもりでいてください(?)

・(えー、でも奥様がおられるじゃないですかというつっこみに)
そんなのこれからの時代(?)には関係ありませんよ。

・今のうちに恋はしとかないとねえ。
だって、もう少ししたら何もできないじゃないですか。
(何をする気なんですか?)

・僕も昔はプライドが高かったからもてなかったんですよ。
でも、プライドを捨てたら滅法もてるようになりました。
もっと早く気付いておけばよかったですねえ。

・だから、れんさんも早くプライドを捨てておしまいなさい。
ならばもてるようになりますよわはははは。

・れんさん、今幾つでしたっけ?
え?30歳?
うーん、まだまだですね。
まだ色気が足りませんよ。
少なくとも、あと3年は結婚してはだめですよ。
3年たったら、熟れた柿がぽっとり落ちるように色気が出てきますから。

・まいさんは40過ぎでしたか。
ほらね(とれんちゃんに)、色気があるでしょ?
女の人は40から本物の色気が出てくるんですよ。








はい。









セクハラ決定。







こりゃあもう「密やかなコミュニケーションへの欲望」とかなんとか言ってるレヴェルじゃねーわ。
てか、そもそも言っている内容が余りにもアホ過ぎる。
アホ過ぎて、聞いていた私は(面白がりつつも)つくづく情けなく思った。
そりゃあね。
この6年間、この人と対峙してきて、

「この人ほんまはアホとちゃうんかな」

と思った事なぞ星の数ほどありましたよ。
けど、その度に

「いやいや、この人は曲がりなしにも腐っても教授なんだし、本当は賢いのだ」

とその疑いを打ち消してきた訳ですよ。

でも、こんな話でれでれとするおっさんは本当、アホとしか思えない。
同じ呪いをかけるにももう少しクレバーにして頂かないと、かけられる此方としても浮かばれようがないではないか。

とまあ、そんな訳で私はこの話を聞きつつ、密かにもう幾許かでこの先生様の元を脱出できる我が身を寿いだのであった。
残していく皆、ごめんね。

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呪いのコミュニケーション。(その1)

最近、内田樹氏の著作に嵌っている。
読んだら最後、漫画みたく(というのは例えが適切ではないか?)延々と読み耽ってしまう。
年末に単行本を12~3冊ばかり買い込んだのに、気づくともう底をつきそうだったので慌てて密林書店にて未読の本を追加注文した次第である。
#本の買い方としてどうよ、それ。

このように私は只今内田先生ぞっこんLOVE(歳がばれるよ)状態なので、今はとてもじゃないが彼の思想やうぇいおぶしんきんや文体については語れそうにはない。
もしくは語りつくせそうにない。
ほら、好きすぎる相手のいいところとかってなんか人に無暗に言いたくなかったり、言ったら言ったでいくら言っても言い切れないきーっ!って思うもんじゃないですかどうですか。
#なにぶん、書いてる本人がそういう心ときめくシチュエーションから百万光年離れているものでどうも説得力に欠けておりますがそこんとこはご容赦ください。

とはいいつつも、なんせ今どっぷり嵌っちゃってるものだから、本当のところは我が駄筆(なんて言葉あるんだろか)でご紹介して褒め称えたくって仕方がないのである。
なので、まずは部分のご紹介から始めてみたい。
今日は彼のエッセイ集『子供は分かってくれない』で私が非常に印象に残ったクダリをご紹介することにしよう。

なんだけど、件のクダリは彼が書いたものではなく、作家の田口ランディ氏(お名前は知っているけれどもご高著は寡聞にして知りませぬ)の筆による文章の引用である。
お題はずばり「呪い」だ。
ちょいと長いが孫引きしよう。

呪いというのは、口という字が入っている通り、口で行う。もともと呪いとは相手を縛ってがんじがらめにして、世紀を奪い取ることなのだそうだ。いかにもおどろおどろしいが、こんなことは誰でもやっている。
(中略)
呪いの特徴はまず、「意味不明の反復」に始まる。
呪いの言葉というのは明瞭ではおかしい。相手を縛るためにはまず不明瞭であることが重要なのだ。よって人は呪いをかけるために不明瞭な反復を行い。理解不能だ。なぜなら呪いは理解を嫌うからだ。理解されては呪いにならない。
「あなたのためだけを思ってるのよ」「なにが気に入らないかはっきりいってよ」(中略)等は典型的な意味不明の呪いの言葉だ。この言葉を繰り返されても、相手は答えることができない。相手の答えを封印しつつ、答えられない質問を繰り返すことで相手を呪いにかけていく。呪いの言葉をかけられた相手は、沈黙するしかない。答えは最初から封印されているのだ。
(中略)
そもそも、呪いの目的は相手を遠ざけるためではなくて、相手を縛るためなので、呪いを操る者は必ず相手の側にいる。


なんだそうだ。
私はこれを読んだ時、目から鱗が50枚ほど(多いな)落ちるのを感じた。
なるほどそうか。
誰かと喧嘩した時など、私はよくどわーっと捲し立て結果相手を黙らせ、ふふん、何も言えまい、論で勝ってやったわうふふふと意地悪くほくそ笑んでいたりするのだが(本当性格悪いですね)、それは実は論理で捩じ伏せたのでもなんでもなく、呪いをかけていたのであったか。
なるほどなるほど。

とはいえ、私の「呪いの呪文」は上記に孫引きしたほど頭が悪い(失礼か?)ものではない。
寧ろ私の呪文は、「相手が答えることができない」という性質に主眼を置いている。
このエッセイの後半部分にて、内田先生が好例を引いておられるので引用させて頂こう。

例えば、教室で騒いで教師に叱責されて、教師から「ウチダ、おまえは学校を何だと思っているんだ?」と問いかけられたとする。
この教師の言葉は形式的には「問い」である。しかし、私はこれに答えることができない。どのような答えをしても教師は私の答えからさらに答えにくい問いを引き出すことができるからだ(「学校とは勉強するところです」と私が答えれば、教師は「おまえがしていたことのどこが勉強だ?」と問い詰めてくるだろうし、「学校とは人格陶冶の場です」と答えれば「床を転げまわることがおまえの人格陶冶のやり方か?」と問われるだろう)


そうそう、これだ。
私は喧嘩したり怒ったりしているとき、頭の中で必死にこのような「問い」を組み上げては相手に雨霰と降り注ぐ。
これらを自分では(少なくとも、争いの最中では)
「相手を黙らさしめることによって自分の悪さを知らしめ、懲らしめるための問い」
だと信じて疑わないのであったが、そうかあれは呪いだったのか。なるほどなるほど。
超納得である。
#かといって反省しました!もうしません!と改心するのかどうかは別の話である。

さてここからは私見なのだが、この「問い」の邪悪なところは、若干なりといえども「公的」な色合いを帯びていることにある。
うーん、公的だと固きに過ぎるかな。
では「天に代わって悪を討つ」手段としての「問い」とでも言おうか。
(余計分かりにくいか)
つまり、

「お前は悪い。
それは私にとってだけではなく、公の場から見ても絶対的に悪い。
なので心苦しくはあるが(嘘つけ)、私が公に代わってお前を処罰してくれよう」

という意図がこの「問い」には見え隠れするのだ。

相手は、この突如現れた「公の」問いにどぎまぎする。
そりゃそうだ、今まで個対個の喧嘩だと思っていたのに、いきなりなにやしらん大きな正義(そうだ、正義っていえば一番しっくりくる)を嵩にきた「問い」が「問われる」のだ。
それは意味不明だし(そもそもの具体的な争いからは超越している)、しかも答えようがない(先ほどの教師の問いを想起されたい)。
で、答えられず黙りこむと、問いを弄した相手は我勝利せりとにやりほほ笑むのである。

このような「意味不明の問い」が「反復」されるとどうなるか。
内田先生は、その相手は生気を奪われ、深い絶望的な疲労に陥るという。
因みにこの話はセクハラを語る章にて取り扱われているのだが、英語のハラスメントの原語であるフランス語harassementの元の意は「深い、極端な疲労」なのだそうだ。

なのでこのような疲労感を与える人間がいたならば速やかにそやつとの関係を解消しなさいよ、でないと生気吸い取られちゃうよ、と先生は軽やかに締めくくるのだが、いやしかしこの浮世、はいそうですか、ならばおさらばよとさっぱりと切ることができる人間関係などそうはないのではないか。
特に上記のセクハラが生じる温床(言わずと知れた職場の上下関係)などはそうそう切れるものでもない。

とここまで書いたところで。
私は不意に、うんと身近にこの「深い、極端な疲労」をもたらす「意味不明の問い」を「反復する」人間がいることを思い出した。
その人は一体誰かというと…


次に つ づ く よ


#当ブログの愛読者様(そんな奇特な方がおられるとして)ならば、既にこの人物が誰であるか100%お分かりのことでしょうが、まあ乗ってやってくださいまし。
##てか、「不意に思い出した」とか、嘘ばっかりお書きじゃないよ>>私。

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永遠の都ローマ物語―地図を旅する



30年にわたる研究と8000時間をかけて描いた緻密なパノラマ地図で、古代ローマを完全再現。
ローマを訪れた青年の案内で、歴史、文化、民衆の暮らしぶりを紹介する。
写真も豊富に掲載。古代ローマ大型復元地図付き。


(Amazonより)

大型本で219ページ。
しかもこの充実した内容。
これはかなりお高いに違いない。

と思いきや、


Dsc_1226_2s


あら素晴らしい。
これは買うっきゃないでしょう。

という訳で、またもや密林書店の誘惑に負けて買ってしまいました。

届いて再び吃驚。
大型本で200頁越しとは知っていたけれど、


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こりゃまたお得感更に倍率ドン!である。
#ね、チェブメジャー、お役立ちでしょ?
##と、これが言いたいだけのために写真を撮りましたつまり自己弁護。

で、肝心の感想だが。
いやあ、細かいですね素晴らしいですね、再現地図。
地図と共に遺跡の写真も掲載されていて、何度でも見飽きない趣向になっている。

文章部分は属州ヘラクレイアの青年がローマを訪れ、名所を訪ね歩いているという設定で書かれている。
生まれて初めてカプトゥ・ムンディ(世界の都)を見る彼の驚きや賞賛、そして時に当惑の目線がなかなかに面白く、あっという間に読み終えてしまった。

ただ、二点ばかり苦言というかこうしたらもっと面白くなったんじゃない?と思うところがあった。
まずは、現在のローマ地図も並行して載せて欲しかったということ。
薄紙で印刷したものを上に被せるようになったりなんかしていたら最高である。
ローマ好きなら、あらあそこにこんなものがあったのねー、と楽しめること請合いだ。
確かに昔の地図だけでもテヴェレ川にコロッセウムにパンテオン、あとはハドリアヌスの霊廟(今のカストロ・サンタンジェロ)で大まかな位置は同定できるけど、しかしそこはやっぱり詳細に今のローマとの対比ができると嬉しいなあと思うのである。

そして、件の属州青年の足取りと地図をもうちょっと連動させて頂きたかった。
確かに一応章分けはされていて、記述と地図は一致するようになっているのだが、例えば文章部の地名に番号を振って地図にも同じ番号を振るくらいの工夫は欲しかったなあと思う。

とまあちょこちょこと僅瑕(といったら酷だけど)はあるものの、何度も繰り返して楽しめそうな良本である。
本当、この作りでこのお値段は破格ですよ。
絶対買いです。

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手抜き恒例・小ネタ集。

今日も時間がないんで小ネタ集でお送りします。

・朝、パソコン見ていてしこたま足をぶつける。
即ち暫し悶絶。
そして、動揺のあまりなにやらおかしなコマンドを打ってしまい日本語入力ができなくなる。
(再起動したら直りましたが)

暫くして痛みはひいたのでるんるんと出勤。
15分のバス通勤、1時間の電車通勤、15分の山登り(誇張表現あり)の時は全く何ともなかったのに、お昼前から突如足が痛みだす。
最近の私の脳みそは三歩歩いたらなんでも忘れるステキ鳥頭スペックなので、暫しなんだってこんなに足が痛むのか、これはひょっとしたら悪い病気なのかもしれない!と思い悩む。

家に帰ってじっくり我がお御足を見てみると、あらあらどこに出しても恥ずかしくない見事な青タンが出来ている。
こんな青タンを見るのは、酔っぱらってホームをダッシュした揚句、一点の非の打ちどころもない素晴らしいスライディングを決めたとき以来である。
思えば、あのときは恥ずかしいわ、電車の出発を止めるわ、タイツ破けて血は滴り落ちるわで酷い目にあったものだ。
(全ててめえの所為ですが)
今回はそこまでの重症でもないので放っておくことにした。
ま、そのうち治るでしょ。
#おばちゃんの治癒力を過大評価しています。

・とあるブログを見ていて知った情報。
化粧水をつける時、皆さんどうやってつけておられますか?
私はただなんとなーくびちゃびちゃとつけるだけだったのだが、あれってやっぱりCMみたく爽やかにぱっしゃんぱっしゃんとパッティングしないといけないらしい。

で、そのパッティングの回数なのだが。

驚くべきことに。







年齢×3回




せねばならないそうですのよ奥様。

つーことはなんだ。
不肖私の場合、100ウン回ぱっしゃんぱっしゃんせねばならないということか。
うえええ、面倒くせえなあと思ったが、某ブログにはこれをすると翌日の肌が全然違います!と散々っぱらどっかで聞いたような、でもジョシ的には魔力を持ったオコトバが添えられていたので、本日の風呂上りに早速試してみることにした。

しかしながら、不肖私兎に角根が面倒くさがりでいらちであるが故、優雅にぱっしゃんぱっしゃん、ではなく、高橋名人もかくやと言わんばかりのスピードでぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ!と連打(”打”て)してみた。

結果。

なんと!

驚いたことに!!













顔が真っ赤になりました









なんつーかもう、面白いなあ私。
自分で言うのもなんだけど、実に面白い。
うん、そりゃ当然の帰結だわな。
つーか、ちったあ加減というものを知れ。私。

ゆでダコの如く化した己の顔を見つつ、私は一人洗面所で笑いこけたのであった。
#この姿、親に見られず本当に良かったです。

なんですけどさ。
2時間後の今、試しに肌を触ってみたところあら吃驚。
誇張でも何でもなく、もっちもちなんですの。ええもっちもち。
…いえいえ、嘘じゃございませんことよ奥様。
一度騙されたと思ってお試しになってくださいまし。
但し、力加減は程々になさったほうがよろしくてよ。

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チェブラーシカがやってきた。

二日続けてチェブネタであります。
というのも、昨日頼んだDVDがなんと今日の、しかも午前中に届いたよやっはー☆だったのである。
お急ぎ便でもなかったというのに、(たまには)やるな密林書店。

で、先ほどじっくり鑑賞した。
例によって感想文とか書くのが苦手なので、以下思いついたことを箇条書きにてしたためていこうとぞ思う。

・兎に角チェブが可愛い
・人形たちの動きが実に巧み
・音楽が子供向けらしからず、実に物悲しい
(これは絶対ロシア語バージョンで聞くべき)
・ところどころ理不尽だけど、まあそれは子供向けアニメじゃよくあること
・前評判通り共産的教条主義は殆ど感じられなかった。
かろうじてチェブ達が「ピオネール※」に憧れるところくらいか。
※旧ソ連の共産主義少年団。10〜15歳の自由参加の学童を団員とする。集団活動や奉仕活動を行う。1922年創設。
・登場人物が皆ひとりぼっち。家族や係累の影も形もない。
ここらへんはひょっとしたら共産時代の影響なのかしらん。

こんなところかな。
想像以上に楽しめ和めたのは収穫であった。

さて。
実はというと私、このDVDを買う際、つい出来心でとあるものをぽちってしまっていた。
そう、件の悪名高き密林書店の買え買え詐欺にひっかかってしまったのだ。
即ち、

「この商品を買った人はこんな商品も買っています」

詐欺である。
#進んでひっかかってんだから詐欺もなにもありませんが。

それはなにかというと…

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お前さん、三次元系のキャラものは実用性が低いから買わないんじゃなかったのかい?ええ?
(なんのこっちゃか分らぬ人は前回の記事をご覧あれ)

との厳しいご指摘を頂いてしまいそうだが、いやちょっと待ってほしい。
この子、写真では安もっぽく見えるけれど、実は全身木製でなかなかしっかりとした作りなのだ。
そして何より、この子は定価1050円だったのだが、



300円で叩き売られていたのである




嘘だと思うなら此方をご覧あれ。



可哀想に、これじゃ送料にもならんじゃないですか。
こりゃあもう、買ってやるしか仕方がないですか。
そうじゃないですか。

…そうか成る程。
お値段がリーズナブルなのは分った。
ではこれの用途は一体何なんだい?

と疑問をお持ちの方。
よくぞ聞いてくださいました。



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以上。










ほ、ほら。
荘子も「無用の用」は大事だって言ってるじゃないですか!
#解釈違いも甚だし。

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キャラ好き。

ここだけの話(でなくてもいいのだが)実は私はキャラものが好きだ。
勿論おしなべてキャラものラビューンなのではなく好みはやかましいが、しかしひとたび気に入ったとなると見かけるたびにちょこちょこ買ってしまう。

そんな私が最近気になるのは、最近JR西の駅でよく見かけるこやつである。

Poster03

ま、よくある電車マナー広告なのだが、このセンターの立ち位置の熊だか猿だか分らぬ謎の生物に私は強く惹かれたのであった。
こいつ何だろう?とよく見ると、下部に
「チェブラーシカの守ろう☆マナー」
と書いてある。
へー、こいつチェブラーシカっていうのか。
なんかロシアっぽい名前だこと。

と思ったら案の定、彼(多分)はロシアの絵本、そしてアニメのキャラであった。

ロシアのある街の果物屋で、オレンジの箱に入った正体不明の動物が見つかった。
とても大きな耳に愛くるしい目。 ふわふわした茶色の毛。
サルのようでもクマのようでもあるけどどこか違う。
箱から出てもばったり倒れてばかりで、
「チェブラーシカ(ロシア語でばったり倒れ屋さん)」と名づけられた。
見知らぬ南の国からやってきたチェブラーシカ。
わにのゲーナと大親友になったり、お友達の家を皆で作ったり、ピオネールという少年隊に憧れたり、はたまた、ゲーナとアドベンチャーの旅に出たりと、チェブラーシカの冒険は続くのでした。


(公式ホームページより)

ばったり倒れ屋さん!
あらやだ、ちょっとよく分らないけどなんだか萌えー、じゃないの。

でもってもう少しよく調べてみると、この絵本(そしてアニメ)、なんとソヴィエト時代に作られたものなのであるらしい。
チェブの造詣のかわゆさもさることながら、ソヴィエトアニメというものがどういうものかちょっと知りたくなったので、早速DVDを注文することにした。
鑑賞し終わった暁にはまた感想をば書いてみたいと思う。
(レビューを見る限り、共産系「説教臭さ」はさほど鼻にはつかぬらしくほのぼの系であるらしい)

で。

話は最初のキャラものに戻るのだが、JRのポスターで認知度が高まったのか、このところ巷でチェブのキャラグッズを見ることが多くなった。
チェブが気になる私、見かけるたびにチェックは欠かさなかったが、ついぞそれらを購うことはなかった。
それはいい歳のおばちゃんがキャラものを買うなんて恥ずかしいわ、という自覚と自制の所以…ではない。

キャラグッズには、大きく分けると二次元ものと三次元ものがある。
二次元ものは、つまりキャラの絵柄が文房具や食器といった対象物にプリントされたものである。
三次元ものは即ちフィギュアやぬいぐるみといった類のグッズである。
チェブものの場合、前者の二次元系ものは(あくまで私にとって、だが)どうも可愛いとは思えなかった。
三次元ものはそれなりに可愛いのだが、やはりそこはこの歳になってぬいぐるみ買うのはなあ…という良識(常識でもいいかも)が働くのである。

更に、三次元ものは二次元に対し概して「使えるモノ」が少ない。
つまり、

「今日はペン買っちゃいましたけど、これはあくまでペンが欲しかったのであって、キャラはたまたまついてたんですのおほほ」

という言い訳ができないということなのである。

#何故言い訳が必要なのかは聞かないでください。
##また、誰に対する言い訳なのかも聞かないでください。

とまあ、チェブものに関してはこのようなアンビバレンスな葛藤を続けていた私なのだが(だから深く突っ込まないでね)、この前

「三次元でかわゆく、かつそれ自体として用途を持つグッズ」

を発見し、思わず買ってしまったのであった。

Dsc_1251s

じゃーん。
これです。
なかなか可愛いでしょう。

で、これは一体何なのかというと…



2



ほら実用的。
持ち手がオレンジなところもディテールに対するこだわりが感じられる。

それがどうしたとか、そもそもお前はいつもそんなにモノを測る必要があるのかとか仰りたいのはやまやまかと存じますが、いいんです。
自分がやっと納得できた買い物なんですから。

しかし、キャラもの一個買うのにここまで色々考える自分は我ながら実に面倒な人間だと思う。
あーめんどくさ。

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